天気の子が何で君の名は。と違って真っ二つに分かれるか真剣に考えてみた(レビューの追記)


恐らくだけど大人子供とか年代もちょっとあるかもだけど、
理不尽な環境にドンピシャに自分を重ね合わせれちゃう人は、めちゃくちゃ最初のシーンから
各登場人物とか舞台に感情移入しちゃうからストーリー性とかじゃなくメッセージ性で
自然と映画を見ていくんだと思う。

だから新海監督はメッセージがより多くの人に伝わるように、感情移入できるように、
登場人物とか舞台とかに色んな種類の絶望をちりばめてて、でもそれは
ホラー映画みたいな絶望じゃなくて、限りなく今の社会のリアルに存在する絶望を描いていて、
少しでも共感する人が完全に感情移入して映画に入り込めるように、
リアルからいかにずれないようにするかにこだわって、伝わるように描いてたんだと思う。


だから、君の名は。のストーリー展開が秀逸だったから、それを超えるかそれと同等の
ストーリー展開を期待して見ちゃってる人とか、
君の名は。で感動して、新海監督の新作公開されたらしいから
見てみよーって見た人は恐らく終始、いやいや、なんで?
ってなって、つまんなかったねーってなったんだと思っていて、
序盤で、あっ、全く別の見方しないといけないんだって自然と気付く人はスッと入れたのかも。



で、ここからは勝手な考察で、

君の名は。の構成はめちゃくちゃ良くできていたと思っていて、
2時間くらいの時間を一瞬に感じさせるくらい、どこまで伏線回収できるの?ってくらい
飽きさせる暇がなくてめちゃくちゃ天才的に考えられた構成だなーって見終わって思ったけど、


そんな構成を考えられる人が、あえて天気の子みたいな映画を作ったのは、
監督がかなり前からこのメッセージをどうにか社会に投げかけたいと考えてて、
いつ、どうやって投げかけるかを考えてたけど、自分の一番得意な、映画で伝えるという方法を取って、

かつ、君の名は。が歴史的にヒットして更に自分の作品を多くの人が見てくれるようになった
このタイミングで実験的に投げつけたんじゃないかなーって思っていて、多分新海監督も、同じような
苦労とか絶望を味わって、でも、行ける、行け、大丈夫って同じようにもがいている人を
助けたいっていう想いがある気がする。


あと細かい設定でいうと(これも想像) 
諦めた人とか、うまくいってる人とか混沌とした社会が関係なさそうな登場人物と、
混沌とした社会に絶望を描写してる登場人物とで、
声優さんの声の感じを明確にわけてる気がして、ほだか、ひな、なつみ、社長は
凄く本当にいそうな素人っぽさを出していて、
警察とか、なぎ君、なぎ君の彼女たち、君の名は。の人とか
混沌とした社会が関係なさそうな人たちは、めちゃくちゃアニメ映画の声優っぽさを出しているんじゃないかなー
って気がする。明確に違い過ぎたから、よりメッセージをわかりやすくする為のあえてなんかな!?って思った。


あと舞台の見せ方も、君の名は。の時の東京は三葉のあこがれを描写する為に、田舎にはない
キラキラした情景ばっかりだったのに、天気の子の舞台は、
ネットカフェ、風俗街、雑居ビル、冷たい他人、汚い事務所、狭いアパートとか
同じ東京なのにネガティブなとこを全開に描いていて、でも、きっと現代社会の苦しんでる人たちが
感じるリアルって後者の設定の東京の方なんだと思う。「天気の子」っていう設定自体はファンタジーなのに、
とにかくとことんリアルを追及してるから、見る人によっては、頭の中めちゃくちゃになるんちゃうかなー。
よく考えるとバーニラバニラバーニラもめちゃくちゃリアルな混沌を感じる情景の1つ。



で歌の歌詞を、あとで見返して、マジで凄すぎるなって思ったのが、


1000年に一度の今日 太陽の死角に立ち
僕らこの星を出よう
彼が目を覚ました時 連れ戻せない場所へ
「せーの」で大地を蹴って
ここではない星へ 行こう もう少しで運命の向こう
もう少しで文明の向こう もう少しで運命の向こう
もう少しで 夢に僕らで帆を張って
来るべき日のために夜を超え
いざ期待だけ満タンで
あとはどうにかなるさと 肩を組んだ
怖くないわけない でも止まんない
ピンチの先回りしたって
僕らじゃしょうがない
僕らの恋が言う 声が言う 「行け」と言う

ってとこが映画に込めたい想いで、
(勝手な推測だけど、監督は映画、アニメという夢を持っていたけど、親とか周りに否定されたり、レールから外れるか葛藤があったり、作品が認められなかったりっていう強烈な原体験があって今があるんだと思う)

あと、


何も持たずに生まれ堕ちた僕
永遠の隙間でのたうち回ってる
諦めた者と賢い者だけが 勝者の時代にどこで息を吸う
支配者も神もどこか他人顔 だけど本当は分かっているはず
勇気や希望や絆とかの魔法
使い道もなくオトナは眼を背ける それでもあの日の 
君が今もまだ 僕の全正義のど真ん中にいる
世界が背中を向けてもまだなお立ち向かう君が今もここにいる


愛の歌も 歌われ尽くした 数多の映画で 語られ尽くした
そんな荒野に 生まれ落ちた僕、君 
それでも 愛にできることはまだあるよ
僕にできることはまだあるよ 愛にできることはまだあるかい

ってとこは、これは監督の全世代に向けた強烈なメッセージで
(若い人には応援歌、大人には𠮟咤激励って感じの)
で、
きっと「僕」は新海監督で、
「君」は苦しんでる人達と同じ経験をした過去の新海監督自身なんじゃないかな?



で、(大丈夫)の歌詞は、苦しんでる人に対しての監督からの
「愛」の手紙なんじゃないかなって思う。

って想像してウルウルする泣

これ聞いてもう一回歌詞見てほしい。


で、かつ天才だから展開的にもストーリー的にも楽しめるように、完全なカオスにしないでちゃんと展開も
考えられてるから、そこはそこでストーリーとしても楽しめるようにしててすごいなーって思いました!

正直個人的に一個不満を言うと、リアルから一瞬感情が離れちゃうから、君の名は。の登場人物とか
出さないでほしかったけど、ストーリーを楽しんでる人は、あっ、三葉!ってなって楽しめるんだと思った!

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