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ダンジョンバァバ:第6話(前編)

目次

”広場で毎朝100回” と決めていたジャンの素振りは、49回目の途中で終わった。木刀を振りかぶったまま、集落の外へと顔を向ける。丘陵へと続く街道は無人。街道から外れた方角から何かの音。そして土煙――
「よーんじゅきゅ…… どうしたの?」
傍で見物していた三姉妹が、揃って怪訝な顔をする。ジャンは慌てて彼女たちに向き直り、(宿屋へ戻って)と合図した。
「あっち行け? なんでー?」「ねー、誰か来るよー」「え? …ホントだ」
カナン、パッチ、べべは、好き勝手に言いながら呑気に首を傾げる。口がきけぬジャンは必死に身振り手振りで急かすが、少女たちはその場を動こうとしない。誰かを呼びに行こうにも、3人を置き去りにするわけにはいかなかった。風に乗って届いていた微かな音は、もはや大太鼓を乱れ叩くような重い地鳴りへと変わり、得体の知れぬ武装集団が目と鼻の先まで迫っている。
ベベを抱えて逃げれば2人はついてくるだろうか、とも考えたが、もう遅かった。ジャンはトンボから貰った木刀をギュッと握り締め、三姉妹の前に立った。
黒一色の装備に身を包んだ十数名の戦士たちは皆、轟然と駆ける怪物じみた巨大亀に乗っていた。先頭を駆ける男が広場に入り、ジャンの手前2ヤードで鎖の手綱を引く。後方の戦士たちは集落の手前で整然と停止した。
「勇気ある少年よ。その刀を下ろしてくれぬか」
男が声を発した。低く、力強く、落ち着いた声。ジャンは構えを解かない。見たことのない大柄な種族だった。目鼻立ちは人間に近いが、下顎から天に向かう2本の牙と灰白色の肌がそれを否定していた。頭部を支える首は牡牛のように逞しく、黒ずんだブレストプレートから伸びる太い両腕はそれ自体が凶器であるかのように威圧感を漲らせている。腰に下げる抜き身の大剣はジャンの背丈ほどもあるが、片手で振り回す姿が容易に想像できた。
「おっきな亀さん!」
末っ子のべべがニコニコと笑いながら指さして言った。さすがに状況を理解した長女のカナンが抱き寄せ黙らせる。次女のパッチも不安そうな顔で姉にしがみついた。
「キシシィィィィ……」
大男の下でドラゴンタートルが唸った。ジャンはそれが ”ただの大きな亀” ではないことに気づいてゾッとした。亀は禍々しく燃える瞳でジャンを見つめている。比喩ではなく、実際に双眸の奥で炎が揺れているのだ。
「キシシィィィィ……」
嘴の隙間から、本来亀にあるはずのない無数の牙が覗き見えた。頭頂部には短く鋭い角が1本生えている。この生き物に惨たらしく食い殺される4人の姿が目に浮かび、木刀を握る手の震えが止まらない。ジャンは恐怖のあまり失禁していた。だが戦士たちは嗤わない。後ろでパッチが泣き始めた。
静かな目で見下ろしていた大男がふたたび口を開く。
「取って食おうというわけではない」
「なんだいアンタら!」
猛烈な速さで駆けて来たのは、異変を察知したテレコだった。
「ジャン… 頑張ったね。ホラ、さがりな」
子供たちの前に躍り出たテレコは槍を構え、男を睨み上げる。
「オーガが何の用さ」
「ハーフリングよ。争うつもりは無い。我はローレンシウムの王、フロン。人に会う為に来た」

―― ここはどの王国領にも属さず、半ば歴史から忘れ去られていた不毛の地、セイヘン。ある放浪者がセイヘンでダンジョンを発見したのは、1年と10ヶ月前のことだった。ダンジョンの上に建つ修道院。それを囲むように遺棄されていた小さな小さな廃村…… 数世紀前のものと思われる名無しの集落は、いつしかハンターたちの間でドゥナイ・デン(=儲けの地)と呼ばれるようになった。

第6話『フロン王と戦士たち』(前編)


「ローレンシウム? 知らないね! そんな国」
王と名乗ったオーガに対し、テレコは臆さず言い返す。ウサギがトラに歯向かうような絵面だが、戦士たちは憤ることも囃し立てることもなく、黙って様子を見守っている。
「王様だろう何だろうとオーガに会おうなんてバカはここにゃいないよ。さ! 帰った帰った!」
「ここにいるんだよね…ヒヒ」
「エッ?」
テレコが振り返ると、バァバが三姉妹の頭をワシワシと撫でまわしていた。
「バァバ…… アンタの客人?」
「ソ」
「正気かい? オーガだよ」
「ソ。驚かせてすまないね。この男とは腐れ縁。安心しとくれ…ヒヒ」
テレコは充分時間をかけて集団を睨み回してから、ゆっくりと槍を下ろした。
「フン… 人食いオーガは信用ならない…… が、バァバがそう言うなら」
「ヒヒ…。助かるよ。……フロン、お前さんたちがそんな格好でそんな物を乗り回すから余計に揉めるのさ」
バァバに睨まれたフロンは、巨大亀の鎌首を撫でながら答えた。
「人目を避けてタンタルの谷を抜けて来たからな。装備とコイツは必要だ」
「おや… ずいぶん遠回りだね。だがあの谷はオーガの縄張りだろう」
「今はトロルどもが幅を利かせている。道中、小競り合いで2人失った」
フロンの顔が曇る。バァバは僅かに目を見張った。
「そりゃ初耳。ロクでもない争いを蒸し返して…… 先代たちがあの世で憤慨してるだろうよ」
「トロルの絶対王が没し…… 全てが変わってしまったのだ。オーガ三国も今や一枚岩ではない」
「お話のところ申し訳ないけどね!」
テレコが我慢できずに口を挟んだ。
「アンタらいつまでここにいるつもりだい? いくらバァバの知人だからってオーガに宿は貸せないよ。他の客が逃げちまう」
フロンは嫌な顔ひとつ浮かべずに頷く。
「長居するつもりはない。今日は皆を休ませ、明朝に発つ。ここから少し離れた場所で野営するから安心して欲しい。……そこの井戸だけ貸してもらえると助かるのだが」
「井戸は皆のものさ。アタシがどうこう言う立場じゃないから好きに使えばいいよ」
「感謝する。ルカとホーゼはこちらに! 残りの者は野営の準備だ!」
フロンはドラゴンタートルから降り、よく通る声で背後に合図を送った。フロンと同様に、集団の中でひとりの戦士が下乗する。残りの戦士たちは一斉に反転して駆け出した。乗り手を降ろした1頭も集団を追って走り去る。堂々とした歩みで近づいて来た戦士はフロンの隣で立ち止まり、バァバとテレコを睨みつけた。
「紹介しよう。孫娘のルカだ」
女のオーガだった。
下の牙はフロンと比べて短く、背丈もひと回り小さい。頭そのものがヘルムだと言わんばかりに揃って禿げた男オーガたちと違い、白き虎のように美しい短髪が勇ましく暴れている。男たちと変わらぬ点は、その肉体。露出の多い防具から溢れ出る筋肉は弾力性の高い鋼のようで、灰白色。
「そしてルカの指南番、ホーゼ」
紹介された初老のノームは、ルカの肩に乗っていた。メイジローブをはためかせてフワリと飛び降り、鍔広の帽子を脱ぐ。
「ホッホ。ホーゼと申します」
「ちっちゃい!」「かわいい!」「お人形さんみたい!」
自分たちよりさらに小柄な―― 1フィートあるかないかの小人を目の当たりにし、三姉妹の顔がパッと明るくなった。
「ホッホ。お嬢さんたちから嬉しい言葉」
ホーゼは目尻に笑い皺を作り、灰色の口髭を撫でた。
「……ノームがオーガに指南? 大人のお二人はそんな顔をしとりますな。ホッホ。ま、指南するのはもっぱら学問や行儀作法が中心で…… ホレお嬢、ご挨拶を」
ホーゼがルカのふくらはぎをペシペシと叩く。ルカは鋭い目をバァバに向けたまま鼻先で笑った。
「なんでオジイもホーゼも下手に出てんのさ。だからローレンシウムは舐められるんだ」
「ヒヒ…。指南は上手くいってないようだね」
ホーゼは溜息を吐いてうなだれた。ルカの目が一層吊り上がる。
「あぁ? なんだとババア。オジイの知り合いだからって図に乗んなヨ」
「おぉ傲慢… フロン、お前さんよりずっとオーガらしくていいじゃないか」
「あー!? やるか! 来いヨ!」
ルカは左右のガントレットをガンガンと突き合わせて威嚇する。
「ルカ! やめんか」
「おおコワイコワイ。暴力はやめとくれ…… ま、立話も何だからコッチへ。バグランとトンボが酒場をやってるのさ。まだ開店前だから最適……」
バァバはクルリと背を向け、スタスタと歩き出した。

◇◇◇

「よぉ! 随分と遅いご到着だな」
「色々とあってな」
入店してきたフロンに、バグランが跳躍体当たりをブチかました。常人であれば骨が砕け吹き飛ぶほどの一撃を腹筋で受け止め、フロンは顔をほころばせる。
「元気そうだな。バグラン」
「うむ。しかしお前… 少し老けたか?」
「50年も経てばな。ドワーフのお前は変わらない」
「ハハ! 今が男盛りよ。おいトンボ! フロンが――」
バグランが店の奥を見やると、トンボが厨房から出て来るところだった。普段は表情に乏しいサムライも、少しばかり喜びを頬に浮かべる。
「久方ぶりだな。騒ぎを起こさずに来れたのか」
「いや、広場で少々……。バァバが収めてくれたが」
「ほう。バァバは」
「アンナを連れてくるそうだ。先に行けと」
「そうか。後ろの2人は」
視線を移したトンボに対し、ホーゼは大袈裟にお辞儀で返す。
「ホッホ。ホーゼと申します。トンボ殿とバグラン殿のお話はフロン王からかねがね。……お嬢、ホレ。お嬢……!」
「…………ルカだ」
2人に対し少なからず抱いていた尊敬の念が、彼女の口を開かせる。かつて祖父と共に死線を潜り抜けた戦士…… 同じ話を小さい頃から何度も聞かされてきた。
「トンボと申す。お主はフロンの?」
「孫」
「そうか」
「ま、座ってくれ。飲むか?」
バグランが右手をクイと傾ける。
「有難い。頂こう」

(この2人… ”半分” でこの感じ…… あのババアと大違いだ)

底知れぬ何かを漂わせるバグランとトンボを前に、ルカはある種の怖れと嫉妬を覚えていた。

◇◇◇

4人掛けのテーブルをふたつ合わせ、バグラン、トンボ、アンナ、バァバ、フロンの5人が話しを続けていた。
すぐ隣のテーブルにはルカとホーゼ。バグランがホーゼのために小人用の椅子を出してくれたが、それでも高さが合わず結局ルカの肩に座っていた。ルカはしばらくバァバを睨み続けていたが、とぼけ顔の老婆を相手に馬鹿馬鹿しくなり…… 今は黙ってエールを飲んでいる。
「――で、そっちの3人と言うのは」
フロンが順に友を見回した。
暇そうにしていたルカも、自分に関わる話だと気づいて耳を傾ける。
「バードとシーフ。最近コンビを組むようになってね。今日も2人で潜ってるよ」
バァバが答えた。次いでアンナが加える。
「それにプリースト。地下は未経験。大戦時もまだ幼かった。実戦に慣らす必要はあるが…… 素質は私が保証する」
「アンナがそこまで言うとはな。ブラッドエルフか?」
「ウッドエルフ」
「そうか。プリースト向きではあるな……。バード、シーフ、プリースト。そしてストライカーとメイジ。50年で5人…… こうも苦労するとは」
「失敗できぬ問題だ。人選には確信が必要。仕方あるまい」
「ま、平和なご時世だからね。5人中2人がダンジョンのおかげで…ってのは皮肉だけど…クク」
「平和… か。我とは縁遠い話だ。しかし…… あとひとり、前衛。フム……」
フロンは太い腕を組んで考え込む。対面のバグランが、思い出したような顔でバァバを見た。
「ドーラとは連絡が取れたのか?」
「ザンネン。どこにいるかすら正確に掴めない。ニンジャの報告を待つしかないね」
「アイツめ…… 好き勝手しよって。役目を忘れたのか? 時間は残っとらんのだぞ」
「ま、ひとりくらいは用意してるんじゃないかね…ヒヒ」
「落ち着けバグラン。お主の心配も分かるが信じるしかあるまい」
「ドーラのことだからきっと彼女と同じクラスだと思う」
トンボとアンナが口々に言うが、バグランは「どうだか」と鼻を鳴らしておかわりを注ぎに席を立った。
聞き入っていたフロンは「ひとつ提案だが」と前置きし、考えを述べた。
「ドーラの居場所が分かり次第、5人に行かせるというのはどうだ。連携の弱いグループでは話にならないからな」
「診療所は問題なし」
アンナが即答する。
「ワシらも店は2人で何とかなる」
カウンターの向こうでバグランが答え、トンボも頷く。
「借金大王が逃げないように気を付けないと…ヒヒ」
「よし。2人も異論無いな?」
フロンがルカとホーゼに問う。
「メンドクサ…… ま、いいさ。実力の程を見極めてやるヨ。役立たずなら外れてもらう」
ルカが不敵に笑った。
「ホッホ! 楽しい旅になりそうですな」

◇◇◇

夕暮れ時、野営地。
いくつかの焚火に車座になったオーガたちが、各々食事を始めていた。トロルから剥いでおいた鎧や盾を熱し、何日かぶりに獲得した新鮮な肉を乗せる。
ルカ、ホーゼと焚火を囲んでいたフロンのもとに、ひとりのオーガが近づいてきた。
「フロン、小さな問題が」
ノーム族のホーゼと違い、オーガたちは自らの王を「王」と呼ばない。フロンはフロンであり、敬意と畏怖を込めてその名を口にする。
「どうした」
「ウトレが食い物の調達に行ったまま戻りません」
フロンは出っ張った額に皺を作りながら一瞬だけ思考を巡らせ、すぐに指示を飛ばす。
「我々が使った森を捜索しろ。3人体制の2グループで半刻だけだ。陽が落ち切る前に必ず戻れ。絶対に単独行動させるな。残りはここで警戒待機。……大袈裟だと思うか?」
表情を読み取ったフロンが尋ねると、オーガは素直に頷いた。
「少しばかり。オレも周囲を見てきましたが… 大した危険は無さそうで。ウトレのことですから猪の尻でも追いかけて迷ったのかもしれません」
率直な意見にフロンは頷く。
「そうだな。……だが、追手の可能性も捨てきれない」
「追手? 追手ってまさか、谷で無様にトンズラこいたトロルどもが… ですか? オレらはあの岩場と川を越えて来たんです。森も。さすがに痕跡を辿るのは無理でしょう」
「だといいが」
「アタイがホーゼと行ってこようか。みんな腹ペコだろ」
焚火の前で横になっていたルカが跳ね起き、肩を回す。ホーゼはいびきをかいて寝ている。
「お前は待機だ。捜索組の食事はタップリ残しておいてくれ」
「は」
さっそく行動に移るオーガたちを見つめながら、ルカは口を尖らせる。
「何でヨ。アタイらは暇してるってのにさ」
「最悪の場合、お前とホーゼは最終防衛線を死守しろ」
「最終? 防衛線って」
「一匹たりとも集落に入れるな。敵を」
フロンは今朝見た少年少女の顔を思い浮かべながら、低い声で答えた。

【後編に続く】


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