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ダンジョンバァバ:第4話(後編)

目次
前編

カチリ、と小さな音。何かを踏んだ感触。ウォリアーは蒼ざめた顔で振り返り、テンガチを見た。
「そのまま! ……足はそのまま」
短く指示したテンガチが、先頭のウォリアーにゆっくりと近づく。後ろの3人は慎重に5歩ほど後退する。
「いいか、動くなよ……」
重ねて言われたウォリアーは、生唾を飲んで静かに頷く。トラップは過去の探検で経験している。そのピンチを救ったのもやはりテンガチだった。テンガチが身を屈め、逞しい右脚の先端を確認しようとした瞬間。今度は頭上でゴトリ、と石が動くような音―― そして耳をつんざくような叫び声が探検隊の耳を襲った。
「ガーーッ! ガーーッ! ガーーッ!」
「うおっ!」
ウォリアーが思わず足を浮かせる。だが、探検隊が予想していたような事態には発展しなかった。
「コラ動くな! 何だこの音は! 天井…… ヒッ!?」
テンガチは音の原因を仰ぎ見て、尻餅をついた。
「ガーーッ! ガーーッ! ガーーッ!」
ダンジョンの天井にポッカリと開いた、小さな黒い穴。その穴の中から一行を見下ろす異形。人間のようにも見える生物がギザギザの歯を剥き、狂気じみた顔で叫び続けている。
「これは…… まさか!? 早くとめろ!」
テンガチが叫ぶ。
「ガーーッ! ガーーッ! ガーーッ!」
「誰かとめてくれ!」
プリーストが顔を伏せて叫ぶ。
「ガーーッ! ガーーッ! ガーーッ!」
「クソ! 突き落とすにも届かない! スペルでやれ!」
ウォリアーはロングソードを構えて叫ぶ。
「ガーーッ! ガーーッ! ガーーッ!」
「あーもう! 無理! 集中できない! うるさいうるさいきたないきたない!」
メイジは降り注ぐ唾液から逃れるように帽子の鍔を握って叫ぶ。
「あれ? 隠れちゃいましたよ?」
スカイの声に、全員が天井を仰いだ。確かに叫び声は幻聴だったかのように失せ、穴は石によって塞がれている。
「何なのよ今の…… あー! もう帽子がベトベト!」
「警戒しろ! アラームかもしれん。魔物を呼び寄せるための」
テンガチが言いながら腰の探検ナイフを抜くと、表情を一変させた隊員たちも身構えた。1本道の通路。前か、後ろか。前3人、後ろ2人で背中合わせにカバーしながら、息を殺して待った。
「……ヒ! 来たわ!」
後ろを守っていたメイジが小さく悲鳴を上げた。
「なんだあれ…… 白い……」
隣のウォリアーが眉根を寄せる。前方を警戒していた3人も慌てて向きを変え、敵を見た。
「……ウサギ? にしては大きいか?」
テンガチは訝しんだ。薄闇の中から現れたのは、真っ白な1羽のウサギであった。鼻をひくひくさせながら、2足歩行でテク、テクと探検隊に近づいてくる。
「可愛い! びっくりさせないでよもう。チッチッチッ、おいで。チッチッチッ」
メイジが舌を鳴らしながら手を差し伸べた。極度の緊張状態にあったウォリアーもつられて破顔し、ウサギを撫でようと屈み込む。
「バカモン! 油断す――」
間抜けた行動を諫めようとしたテンガチの声は、2人の耳に届かなかった。ウサギは矢のような速さでメイジに飛び掛かり、手刀で首を刎ねた。メイジの肩を蹴って三角飛び。身構える時間すら与えずにウォリアーの首も刎ねる。一瞬の出来事。生首2つの髪を束ねて片手で握り、体毛に降り注ぐ血をチロチロと舐めながら仁王立ちで3人を見ている。真っ赤な目で。
「あ、ああ……」「なん、と……」「うえー」
鮮血を浴びたプリーストがへたり込んで失禁した。幾多の探検を遂げてきたテンガチも言葉を失い、次の一手を考えられぬまま立ち尽くす。スカイは紙を汚すまいと半身になり、念写を始めていた。
しばらく3人を観察していた殺人ウサギはクルリと背を向け、討ち取った首をズルズルと引きずりながら暗闇の中へと消えて行った。
「……ハーッ、ハーッ! おい、おい! しっかりしろ! おい! 立てるか? 立て! リフトに戻るんだ」
頬を叩かれたプリーストが、虚ろな目でテンガチを見た。
「あ…… え、すみません。え? 戻る? 戻る… ハハ。それって今アイツが消えて行った方向じゃないですか。隊長も見てましたよね? 死ねってことですか」
「ああ、見ていた。だからこそだ。死なないために戻るんだ。ここは5階。10階に降りるためのリフトは先ほど確認したろう? 1階に上がるリフトもそうだ。回り道を探す余裕など無い。戻るしかないんだ! あの狂ったウサギは消えた。いいか? 2人を失ったんだ。視察は終わりにして10階に向かう。今すぐにだ。目的を達成したらリフトを乗り継いで帰還する。分かったな!」
「は、あ、…ハイ」
プリーストは力なく頷き、よろよろと立ち上がった。その背中を押しながら、選択を迫られたテンガチは迷っていた。

(ありえない! 何だあのウサギは!? もうアレが未確認生物じゃないか! 洞窟探検とは次元が違う…… ひとまず集落に引き返すか? 諦めるか? ……いや。手ぶらで帰ってあの王妃がハイソウデスカと納得するわけがない。支度金を返すだけでは済むまい。そもそも支度金はほとんど使ってしまった…… クソ、途中プラチナム王国で散財しなければ…… 気分屋の王妃は機嫌を損ねたら終わりと聞く。極刑は無いとしても…… 恐らくバカみたいに金を使って私の悪評を大陸中に広め…… 破滅させるだろう。クソ! あの酒場で助けを求めるか? ……いいや、あんな失礼な奴らの力は借りん。バカにしやがって。やるしかない。このままサッとリフトで10階だ。成功報酬で豪遊! 探検記バカ売れ! ついでにドゥッシーの財宝も手に入れてやる!)

「隊長、ウサギって二足歩行するんですねえ。コレ、読者に疑われちゃいますかね? ウソッパチだ… とか」
紙を差し出しながら、スカイが言った。
「ん? なんだ? 念写か……」
受け取ったテンガチの顔が引き攣った。舌をダラリと垂らした2つの生首と殺人ウサギが、生々しく写されている。
「おま、これ、ふ、不採用……っ!」
「ハー。やっぱり信じてもらえないですよねえ」
「そういう問題じゃない!」

◇◇◇

第4話『テンガチ探検隊』(後編)


冒険記のネタ集めで2人を失った探検隊は、幸いにも徘徊モンスターに遭遇することなく目的のリフトに辿り着いた。ダンジョンの壁に埋め込められた、扉の無い木箱。世界中を旅するテンガチですら知らぬ頑丈な木材が使われているようで、腐食や破損はほとんど見当たらない。叩くと硬質な音が返ってくる。木箱の高さは人間の倍ほどもあり、幅と奥行きからして10人は乗れそうなゆとりがある。
木箱の中に駆け込み、鞄から取り出したキーを内壁の小さな穴に差し込む。ゴトン、と、どこかで音が鳴った。テンガチは短く深呼吸し、『10』と数字が刻まれた突起を押し込む。3人の身体が一瞬揺れた。大きな歯車が回るような音と共に、リフトがゆっくりと降下を開始した。息を切らした3人は無言で脂汗と血を拭い、揃って水筒の水を飲む。死んだ2人の荷物は分担したとは言え重くのしかかり、予想以上に疲労の蓄積が早い。凄惨な光景を目の当たりにしたことによる心労も、これまで経験してきた探検の比ではなかった。
「酒場のならず者が ”降りて北東” と言っていたな」
探検帽を脱ぎ、手櫛でシチサンを整えながらテンガチがスカイを見た。スカイは紙をめくり、セラドの発言を読み上げる。
「そうですね。”階段降りて北東にチョイと行けばすぐに見つかる” と」
「そうか。……オイちょっと待て。階段降りて?」
「そうですね。”階段降りて北東にチョイと行けばすぐに見つかる” と」
「階段?」
「そうですね。”階段降りて北東にチョイと行けばすぐに見つかる” と」
「クソ…… クソ。クソクソクソ……!」
「また下痢ですか?」
スカイを無視してテンガチは黙り込んだ。

(落ち着け、リーダーの私こそ冷静でなければ。考えろ。”階段を” 降りて北東だと? では ”リフト” からは? 各階の階段とリフトが近いとは限らない。1階と5階がそれを証明していた。階段を探す? いや危険すぎる! 素直に泉を探すべきだ。マッピングはどうだ? 始点はダンジョン入り口。1階と5階のエレベーターの座標を軸にああ…… あの女は死んだのだ。コンパスで何とか…… いやダメだ。階段から北東。それはリフトから南西の可能性もある。北かもしれない。東かもしれない…アー! もうワカラン!)

「隊長、着きました……が、何か変です」
プリーストが消え入りそうな声で言った。
「ん? あ、ああ。……変とは?」
プリーストはランタンを前に突き出し、目を凝らしている。
「ホラ、前が…… 真っ暗」
「マックラ? ダンジョンだからそういう場所もあるだろう。そのためのランタ……」
正面を見たテンガチは、言葉の意味を理解した。リフト内を照らしているランタンの光が、ほんの一歩先の地下10階フロアに ”全く” 届いていない。まるでそこから先には何も存在しないかのような暗黒。恐る恐る手を伸ばすと、手首から先が切除されたように完全に見えなくなった。
「ダークゾーンってやつですかねえ」
スカイが間の抜けた口調で呟いた。
「お前、知っているのか? ダークゾーン?」
「ハイ。ダームのアカデミーで習いました。”完全なる闇で対象の精神を追い詰める” って授業だったかなあ。光が届かない場所を局地的に作り出す方法があるんですよ。ボクはまだ出来ませんけど。何だか空気、冷たくないですか? …エッキシ! 風邪ひいたかな」
「ダークゾーン。ふむ。なるほど。一見危険だが…… これはチャンス」
「チャンス?」
プリーストが疑問符をつけながらテンガチを見た。
「ああ。こうも真っ暗なら敵も襲って来るまい。慎重に歩けばよいだけだ。とりあえず直進する…… その先に泉があれば儲けものだ。これを掴め」
テンガチはロープを適当な長さで切り、2人に握らせた。
「離すなよ。とにかく真っすぐ行くぞ」
「出発ー」「え、あ、はい」
テンガチ、スカイ、プリーストの順で、3人が慎重に進む。1歩、2歩、3歩………… 11、12、13
「をっ!」
「なっ?」「何ですか? わぁ…」
思いのほか早く視界が戻ったが、数ヤード先の ”存在” を目の当たりにしたテンガチが固まった。玉突きを起こした後ろの2人もダークゾーンを出て愕然とした。そこに居たのは、通せんぼするかのように胡坐をかく薄水色の巨人。霜だらけの全身から氷煙を立ち昇らせ、何かの骨を夢中でしゃぶっている。その手前には幾つかの死体。一行は名を知らないが、フロストジャイアントである。
「さがれさがれさがれ……」
囁きながら後ずさるテンガチに尻で押され、一行はダークゾーンに戻った。
「後ろにターンだ。ロープを持ち替えながら右回りだぞ。せーの…」
3人が同時に踵を返した。プリースト、スカイ、テンガチの縦一列。
「よし。ロープは持っているな? …… 走れ、リフトまで走れ。一直線、すぐそこだ。いけいけいけ」
3人は走った。先頭のプリーストは重い荷物が両肩に食い込む痛みも忘れ、よろけながら走った。思わずロープから手を離す。構うものかと走る。視界が開けた。そしてピットに落ちて死んだ。
「ちょちょちょ!」
急ブレーキを掛けたスカイがピットの手前ギリギリで止まった。後ろから来たテンガチもベテラン探検家らしい身のこなしで緊急停止。2人が穴を覗き込むと、全身串刺しになったプリーストが絶命していた。
「なんだ! これは! どういうことだ! リフトはどこへ行った! 代わりに落とし穴だと? それに何だあのデカイやつ!? 伝説か! 探検に付き物のバケモノと言えばスライム! コボルド! デカイ蟻! デカイ蛾! デカイ蜘蛛! そういう奴だろう! ふざけるな!」
理解不能な状況の連続で正気を失いつつあるテンガチが、感情剥き出しで絶叫した。隣で考え込んでいたスカイがおもむろに口を開く。
「うーん、回転床、ってやつですかねえ」
「回転床? お前、まさか知っているのか?」
「ハイ。ダームのアカデミーで習いました。”対象の方向感覚を狂わせる” って授業だったかなあ。実際に床が回るわけじゃないんですよね。でも本人が気づかないまま向きが変わっちゃう。そんな場所を局地的に作り出す方法があるんですよ。十字路や森の中でやるとさらに気づかれにくく…… だっけ。よく覚えてないです」
「そういう情報は最初に知らせておけ……!」
テンガチが眉を吊り上げて睨む。スカイは口を尖らせながら念写を始めた。
「えー。まさかダンジョンで罠として使われているなんて思わないじゃないですか。それに知っていても防ぎようが……」
「いいから! 他にもサイオニックとして心当たりがあれば言ってみろ」
「んー…どうですかねえ」
「思い出せこの役立たず!」
「……あ、眠くさせるとか、スペルを忘れさせるとか。そういう精神に作用する ”場” を作り置き出来るのがサイオニックの凄いところですね。と言ってもハイランクでないと…… ボクはちょっとしたスペルと、コレくらいしか。ハイ、出来ました」
スカイは串刺しになったプリーストの写しを手渡し、どこか寂しそうに微笑んだ。

◇◇◇

どうやらダークゾーンの中は十字路らしく、回転床の方向は毎回ランダムで決まるようだった。巨人、ピット、巨人、リフト、ピット。そして6回目のトライで、初めての場所に出た。命に代えられぬ物は無い。探検家の意地と名誉を捨ててリフトで帰れば良い。冷静に考えれば誰でもそうするだろう。だがテンガチは「ゆくぞ」と宣言した。スカイは素直に従った。どこをどう歩いても安全には思えない地下10階。テンガチは出来る限りのリスクを排除しようと努めた。むやみに扉を開けず、長い一本道は避け、曲がり角は飛び出さない。体液や体毛などモンスターの痕跡に触れて状態を確かめ、慎重に道を選ぶ。2度目のダークゾーンは初回の反省を活かして上手く切り抜けた。探検家として長年積み重ねてきたテンガチの知識と経験が少なからず活かされたと言えた。そして、かなりの距離を無事に歩いた2人の視界が一気に開けた。
「わぁ……」
「こりゃ凄い。もっと小さなものを想像していたが」
テンガチは、メンデレー王妃と謁見した円形の大広間を連想した。ちょうど同じくらいの空間一杯に広がる水場。天井の高さは通路と比べて倍ほどはあろうか。青白い光に照らされた水面は澄んでいるが、深さは分からない。ここがただの水たまりではなく ”泉” であることは、所々で湧き出す水が水面を押して八方に散る様子からして間違い無いと言えた。
「明るいな…… この青白く光る球体は何だろうか」
「生き物ですかねえ? 綺麗だなあ」
「触るなよ。何が起きるかわからん…… ウサギで懲りたろう。念写、しっかり頼むぞ。念のため角度を変えて何枚か…… ここは重要だからな」
「お任せをー」
あちこちでフワフワと浮遊するウィル・オ・ウィスプに照らされた幻想的な空間を眺めながら、テンガチは満足そうに頷いた。

(これなら王妃も喜ぶだろう。しかし肝心のドゥッシーが……)

◇◇◇

スカイが手際よく念写を済ませると、2人は泉で顔を洗った。冷えた水のおかげで気が引き締まる。恐る恐る一口啜ってみると、今まで飲んだどの水よりも美味かった。水の力で体力が戻ったような感覚すら覚えた。水筒に残っていた僅かな水を捨て、補給する。ほとりの岩場に腰を下ろし、貴重な携帯食料をかじりながら腹一杯になるまで水を飲んだ。そしてあっという間にやることが無くなった。
「出てこないですねえ。ドゥッシー……」
「ああ……」
ふたたび水面にポコポコと泡が浮かんだ。初めのうちは繰り返し身構えていた2人も、今はボンヤリと眺めるだけだった。
ひたすら待つしかない状況。しかしテンガチにはひとつの考えがあった。2人の足元から奥へと弧を描いて続く泉のほとり。その途中に放置されている衣類が気になっていた。丁寧に畳まれた数人分の衣類……。誰も浮かんで来ないのだから、潜って死んだと考えるのが妥当だろう。もしくは絶望的な状況に追い込まれて自殺したのかもしれない。

(――だが。もしこの泉の中に ”横道” があったら? その先には何がある? あの服の主たちが生きているとしたら? こうして迷っている間に後ろから別グループが来る可能性だってある。もし争いが生じたら2人で勝てる見込みは無いだろう……)

「おい」
「ハィ?」
「中の様子を見てくる。ここで待て」
「え? ナカ、って… 潜るんですか」
テンガチは手ごろなサイズの発光体―― ウィル・オ・ウィスプに狙いを定め、探検帽でそっと捕獲した。ロープの束を取り出して片端を掴む。もう片方をスカイに握らせた。
「このロープを離すなよ。合図を送る。私が2回連続でグイグイ、と引いたらお前がロープを手繰り寄せてくれ。私が4回連続で引いたら、お前がロープを伝って泳いでくるんだ」
「えー? ボク泳ぐの苦手だし。死んじゃいますよ」
「安心しろ。グイ4回はつまり ”私が別の空間に着いた”、という意味だ。お前の泳ぎに合わせてロープを引いてやる。……ああ、お前も泳ぎ始める時に合図するんだぞ。4回引け。その合図で私も行動する」
「戻るから引っ張れが2グイ」「そうだ」「こっちに来いが4グイ」「そう」「4グイが来たらボクも4グイして泳ぐ」「完璧だ」
「不安だなぁ…… ボクも行くなら荷物はどうします?」
「ひとまずここに残す。だが念写用の紙は絶対に忘れるな。紙の入れ物は防水加工してあるから筒状に硬く巻いて紐で固定。その後で体に縛り付けろ。いいな?」
「はい」
「では行ってくる」
「無理しないでくださいね」
テンガチは何度か小刻みに深呼吸し、最後に大きく息を吸って水面から姿を消した。

◇◇◇

(深い…… まずは深さの確認だ。この広さで横道を見つけるには何度か潜らねば)

探検家に欠かせない素潜り。テンガチには自信があった。片手で握った探検帽から漏れるウィル・オ・ウィスプの光を頼りに、器用に潜行を続ける。やがて水面から差し込んでいた光はすっかり弱まり、無限の闇に吸い込まてゆくような感覚に襲われる。

(底が見えたぞ…… ん? あれは…… 人影?)

泉の底に、全裸の男が3人立っていた。胸の前で腕を組み、揃って何かを眺めているようだった。あり得ない光景に戸惑うテンガチの目の前を、巨大な何かが猛スピードで通過する。ウィル・オ・ウィスプに照らされた大きな魚眼がギラリと光った。

(なんだ!? …ドゥッシー!? ウゴボボボ)

直後に襲ってきた強烈な水流に巻き込まれて回転したテンガチは、方向感覚を失った。咄嗟に引こうとしたロープは既に手元に無かった。手を離れ揺らめく発光体の光を頼りに必死に周囲を見回すと、高速で泳ぐバケモノ級の魚―― そしてその魚にしがみつく2人の男が、魚に突きや蹴りを見舞っているのが見えた。その奥、底に立ってその様子を観察していた3人の男のうちのひとりが、テンガチを仰ぎ見た。

(な… コイツらドゥッシーを!? ああ息が… もうダメだ。水をしこたま…… 死…… 男テンガチ、享年73歳。探検家。ドワーフにしては早すぎる死であった……)

気持ちは諦めても、テンガチの肉体は無意識に水面を目指して足掻いていた。

(おや……)

水面からこちらに潜って来る男の顔が見えた。スカイであった。スカイはがむしゃらに手をバタバタ動かし、必死の形相でテンガチに手を差し伸べる。だが手を掴むには距離がありすぎた。

(バカモン… ロクに泳げないの…… に戻れ…)

限界に達したスカイが浮上してゆく姿が見える。

(いいぞ、戻… れ…………)

そこでテンガチの意識は途絶えた。

◇◇◇

威嚇的な雷鳴に目を覚ましたテンガチは身を起こした。
「これは…… フトンに… タタミ?」
「ほう。よく知っているな」
薄い光が差し込む障子戸を背に、泉の底で見た男が正座していた。短く刈られた灰色の髪。刻み込まれたように深い皺の数々。今は黒い装束を着て、脇にカタナが置かれている。
「助かったのか…… ここは……」
「我々の ”里” だ。場所は知るべきではない」
「サト…… スカイ、スカイは?」
「まずは己の心配をしろ。尋問が済んだら教えてやろう」
「尋問…… あなたたちは一体」
「儂の名はテンマ。この里のトウリョウだ。お主も名乗れ。何者だ? 」
落雷。雨脚が強くなる音と共に、テンマと名乗った男の目が鋭く光った。この男は容赦なく邪魔者を殺す意思と力がある。そう感じ取ったテンガチは、言葉を選びながら口を開いた。
「テンガチ…… テルル生まれのドワーフ。探検家」
「もう一人の男との関係は」
「わ、私の部下です。スカイ。探検隊の。ダーム出身のサイオニックで…… まだ若くて世間知らずで空気も読めませんが根はいい奴なんです! 親を亡くして苦労して…… それに念写の腕がピカイチなんです。お願いです! 助けてやってください。彼は無事なんですか」
「ふむ。サイオニック。死鴉の連絡通り……」
「カラス?」
「いや、気にするな。……で、これを記したのはお主だな? 荷物をあらためさせてもらった」
タタミに置かれたのは、テンガチが過去に出版した一冊の書物。いつでも配れるようバッグに入れてあった。サイン入りである。
「ええ。そうです。探検家として…… それは何年か前の物ですが」
「なかなか興味深い内容であった。自慢話が少し鼻につくが…… 探検家と名乗るのも嘘ではなさそうだな。念写の腕も良い」
「宜しければ…… 差し上げます」
「ほう。では頂こう。里の者が世界を知るひとつの切っ掛けにな…… で、お主は何故あの泉に」
「メンデレー王国の王妃に調査を依頼されました」
「業突く張りのメンデレー…… 何を命じられた」
僅かに顔を緩めていたテンマは眉間に皺を寄せ、威圧的な声で尋ねた。
「ま、幻の…… ドゥッシーを求めて」
「ドゥッシー? 何だそれは」
テンマの眉がクイと上がる。テンガチは順を追って経緯を説明した。

「成程。……よいか。あれはただのツナだ。ドゥッシーなどという名ではない」
「エッ? ツナ? ……ツナってあのツナですか?」
テンマは無言で肯定する。
「でもツナは海の……」
「淡水で育つツナもいる」
「そう… ですか。ツナ…… でも大きすぎませんか」
テンマは頷き、他言無用と念押ししてから説明した。
「確かに巨大だ。だが、もとはただの淡水魚。あの泉にはそういう効果があるのだ。我々があそこに稚魚を放流し、大きくなったら捕獲する」
「エッ…… それって」
「そう。あの泉は我々の養殖場。自給自足が中心の我々にとって、ツナは貴重な栄養源だ。目的はそれだけではない。捕獲を兼ねて心肺能力を鍛え、水中戦闘の訓練も行っている。お主も目の当たりにしたから分かるだろう」
「養殖場…… 訓練場……」
「稀ではあるが、我々が育てたツナを盗もうとする不届き者がいる。口の軽いハンターの噂を聞きつけてな。あの大きさだ。かなりの金になる」
「そんな、私は…… そんなこと知りませんでした」
「だから殺されずに此処にいるのだ。運も良かったな。我々が手を下さずとも、大半はツナの突進で死ぬのだ… カカカッ」
テンマが笑う。テンガチの背筋に冷たいものが走った。
「秘密を知った私は…… 生きて帰れるのですか」
「勿論だ。我々は野蛮人ではない。本来、儂の顔を見た者は始末せねばならんが…… 泉の底で既に面会しているからな。昇格試験に興奮して見張りを立てなかった儂にも非がある。他言しないと誓えば信じよう」
「誰にも言いません」
「書物にするのも諦めるか?」
「え、あ、ええ…… ハイ」
テンガチの表情が一瞬曇る。テンマはそれを見逃さなかった。
「ふむ。依頼主の報復が気に掛かるか。それは心配しなくてよい…… 二度と余計な好奇心を抱かぬよう灸を据えておく」
「え? あ、はい。それなら…… 分かりました」
「よし。話は終わりだ」
「待ってください! スカイは」
「無事だ。さあ、腹が減ったろう」
テンマがパン、と手を叩くと障子戸が音も無く開き、黒装束に黒頭巾の人物が四角い膳を運んで来た。障子の隙間から覗く外の景色は、かつてヴィ=シャンで見た庭園のように美しかった。
「口に合うかどうか分からぬが、ツナはこうやって食べるに限る」
「ツナ、スシ………… ははホントだ」
テンガチは自嘲気味に笑いながら、フトンの上で大の字になった。

◇◇◇

「テンガチさんオタッシャで。寂しくなりますねえ」
「ああ。そうだな。お前もここでしっかり学ぶんだぞ」
「がんばりまーす」
翌日。荷物をまとめたテンガチは、里の外れで別れの挨拶を交わしていた。テンマの強い勧めにより、スカイはこの里で修業を積むことになった。「最後に決めるのは自分自身だ」と言われたスカイは、「楽しそう」の一言でアッサリと誘いを受け入れた。はじめは反対していたテンガチだったが、身寄りもやる気も無いスカイをただの記録屋としてこき使ってきた自分を反省し、本来持っているはずの才能を自由に伸ばしたらいい、と結論を出した。テンマの話では、サイオニックの能力とニンジャの『ジュツ』と呼ばれる技は相性が良くスカイにはそれらを使いこなす素質があるだろう、そして、いずれ到来する ”大陸の存亡を賭けた戦い” にはスカイの存在が必要になるだろう、とのことだった。壮大な話にピンと来ないテンガチではあったが、将来スカイが何か凄いことを成し遂げるという見立てには同意できた。
「スカイ……」
神妙な面持ちでテンガチがスカイの目を見つめる。
「はい?」
「礼を言っていなかったな。泉の件。助けに来てくれたろう」
「溺れそうになってダメでしたけどねえ」
「いいんだ。言っておきたくてな。ありがとう」
「一生の別れみたく言わないでくださいよ。また会えますよ」
「そうだな。私も探検家として修業の積みなおしだ。互いに立派になって…… いつか必ず再会しよう」
「テンガチさんは立派な隊長です」
テンガチは目に涙を浮かべ、無言で頷きながらスカイの肩を叩いた。
「では、これを。場所だけは秘中の秘」
テンマが黒布を取り出し、テンガチに渡す。頷いたテンガチは自ら目隠しを済ませ、ニンジャの駕籠に乗り込んだ。
「達者でな。お主の身に脅威が迫った時はドゥナイ・デンのバァバに相談するといい。我々が力になろう」
囁きながらテンマは小瓶を懐から取り出し、栓を抜いてテンガチの大きな鼻に近づけた。テンガチは心地よい眠りと共に里を去った。

【第4話・完】

【第5話に続く】

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