アルプス一万尺の謎[1]

※これは2005/06/11に書いた記事を発掘加筆修正の上転載したものです※
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果たして自分のこれまでの人生の中で「全く自分とかかわりの無いジャンル」のことをここまで真剣に調べたことがあっただろうか、いやない、などと反語表現をしてしまうぐらい調べ物をしてみた。
きっかけは友人の発言からである。

かの有名なアルプス一万尺の歌が、実はヨーロッパのアルプス山脈ではなく日本アルプスを歌っていて、歌詞を作ったのは京大の山岳部の学生で、しかも(無駄に)9番まであったという事実である。
これ自体は私も知っていたし、ついでに言うなら実は11番まであると思っていた。しかしこれは色々調べた結果「いろんなバージョンがある」のだけで、一番普及しているものは9番までらしいので、この際記憶を書き換えておくことにした。

さて、あらためてその9番までの歌詞を並べてみると結構意味不明だったりする。

アルプス一万尺 小槍の上で
アルペン踊りを さあ踊りましょ

お花畑で 昼寝をすれば
蝶々が飛んで来て キスをする

一万尺に テントを張れば
星のランプに 手が届く

槍や穂高は 隠れて見えぬ
見えぬあたりが 槍穂高

命捧げて 恋するものに
何故に冷たい 岩の肌

岩魚(いわな)釣る子に 山路を聞けば
雲のかなたを 竿で指す

ザイル担いで 穂高の山へ
明日は男の 度胸試し

名残尽きない 大正池
またも見返す 穂高岳

まめで逢いましょ また来年も
山で桜の 咲く頃に

1番はどうやら山の上のようだ。2番は花が咲いているようだから、まあ高原地帯ぐらいだろうか、もう山を下ってきたのか?ところがその直後3番ではまた3000メートル急の高さでテントを張っている。そのくせ4番では山が見えないと言っている上に、そこらへんが槍ヶ岳や穂高っぽいと言っていて、はっきり言って意味がわからない。山にいるんじゃないのか?5番はなんとなく、難所を歌っているのだろうかという気もしないでもないが、6番になるとまた山を下りていて道を聞いているようだ。そして、どう考えてもさっきまで山に登っていたように思えるのに「明日は登るぞ」と気合を7番で入れている。と思えば8番ではもう山を降りているっぽい。9番はまあ仲間との挨拶としても、

登山を趣味としない私には状況が意味不明

なのである。何でこんなに下りたり登ったり途中っぽかったりテキトーなのかと。季節が巡っているのか何なのか、さっぱりわからない。

駄目だこれは、この歌を判るには山男に質問するのが一番いいだろうということで、元登山部員という人に4番の歌詞「槍や穂高は 隠れて見えぬ 見えぬあたりが 槍穂高」という歌詞をメールで送りつけ「意味がわかりますか」と聞いて見た。何故4番の歌詞を聞いたのかは、一番理解不能だったからである。だって、槍ヶ岳に登ってる歌なんじゃないの?なのになんでその山が見えないわけ?で、その見えなさ具合がそれっぽい、って全く意味がわからないじゃないか。で、回答が来るとはまあ大して期待もしていなかったのだが(ごめんなさい、ってここを読むはずも無いけど謝っておく)

> なぜわからん!
> 「槍や穂高は 隠れて見えぬ 見えぬあたりが 槍穂高」は読んだまま。
> 雲の隠れて見えない憧れの山、槍ヶ岳、穂高岳を麓から見上げての歌詞じゃないか!

怒られました(´・ω・`)

ついでに8番の大正池もよくわからなかったので聞いたのだが

> 「名残尽きない 大正池 またも見返す 穂高岳」
> も下山した上高地で、山への別れを惜しみ、大正池の畔から穂高を振り返っているのだ!
> 嗚呼、名歌!

何か感動されている様子也。

しかし、これで何となくおぼろげながらもこの歌が見えてきた気が、私にはしてきたのだった。「もしかしてこの歌は、槍ヶ岳・穂高岳を連続して登る様子を歌ったものではないのか?」という情景が浮かんできたのである。となると、とりあえずこの予測が合っているかどうかを確かめる作業をしなくてはならない。

まず調べたのは「小槍」である。私の想像では、槍ヶ岳のそばにある割とチャチいちっぽけな山のことを勝手に小槍と呼んでいるのではないかなどと思っていたのだが、これは違っていた。槍ヶ岳の山頂を大槍と呼ぶのに対し、ほぼ頂上近くの肩付近に「小槍」と呼ばれるトンガリがあり、はっきり言ってそれは「ロッククライマーでないと登らない」ような頂であるそうだ。普通は眺めながらスルーするものらしい。ついでに言うなら、頂上にはアルペン踊りとやらが踊れるようなスペースなぞ「ない」らしい。 

<参考>槍ヶ岳山荘スタッフブログ
http://www.yarigatake.co.jp/yarigatake/blog/2017/08/814-2.html

ちなみに一万尺は3,030mだが、小槍の高さも3,030mなのだそうだ。だから数値的にもぴったりなのだ。

さて、小槍を調べつつピンときた言葉、それが「槍穂高縦走ルート」というものである。

まさにそれじゃないか、私の想像していたものって?!と、早速調べに取り掛かる。つまり

とりあえず槍ヶ岳頂上
槍ヶ岳から下る途中、或いは下りきったあとまた登り始めた途中にお花畑
3000メートル級のキャンプ地
天候によっては雲に隠れて山頂が見えないような、高度低めのところに再び出る
多分岩場の難所?
山小屋か何かわからないが、とりあえず人がいるところに出る(地元の子供がいる)
で、多分一泊しながら次の日は穂高に登る
穂高を下ったところで上高地の大正池にたどり着く
ということが、ルートで追えれば完璧だということである。

へっへっへ。と思い調査を始めたが、すぐにトラップに嵌った。

「登山ルートがあまりにも沢山ありすぎる」

のである。槍ヶ岳に登るだけでも、表銀座、裏銀座をはじめとしてルートが各種存在するのである。もはや、登山を趣味とせず、登山についてちっとも造詣が深くない私はお手上げモードになってしまった。もうあきらめようか。

しかし「まさにこのルートを歌ったものである」という確信が持てなくても、何らかの証拠はつかんでおくべきではないか?と思い始めた。「何故山に登るのか」「それはそこに山があるからだ」と登山家達が言うのなら「何故調べ物をするのか」「それはそこに判らないことがあるからだ」という心意気だ。

で、ここからは登山ド素人こへだの想像による解説である。あくまで想像である。ゆえに、真の登山家の方がいらっしゃるようであれば是非、正しい情報を指摘していただきたいものである。

<新説!こへだ式アルプス一万尺>
槍穂高を縦走するにあたって、通るポイントは以下の通りのようだ

上高地~(途中お花畑)~(山小屋・テント場)~槍ヶ岳~南岳~大キレット(岩場難所)~北穂~奥穂~前穂~上高地(大正池)

しつこいようだが他にもルートはある。が、様々な登山記録を見るに、大体上記のポイントは殆どの人が通る場所のようなので挙げている。

さて、上記のポイント確認から想像されるのは1番の歌詞は「頂上で歌ったものではない、のではないか」という事である。もしかして「これから登るよん♪しかもすっげー難しい小槍の上で踊りまで踊っちゃうもんね、俺☆」ぐらいの、事前の心意気を歌ったものなのではないだろうか?「さあ」という部分が、どうもそれっぽさを感じさせるのである。ちなみに、じゃあ何で踊らにゃならんのかということだが、元々のアメリカ民謡の原曲のサビ部分(ラーンラランラン♪の部分)が

Yankee Doodle Keep it up,
Yankee doodle dandy.
Mind the music and the step .
And with the girls be handy!

[英語のできないこへだによる勝手訳(これも誰か訂正してくれ…..)]
ヤンキードゥードルがんばれよ!
ヤンキードゥードルいいんじゃない?(イケテルね!)
曲にあわせてステップすれば
女の子なんかカンタン(イチコロ)さ!

と、踊る内容なので、それに単にあわせただけなんじゃないかという気がしないでもない……

さて、そうやって1番を消化すると2番3番は槍ヶ岳に登るまでの道程を歌っているといえると思う。途中に見えるお花畑(おそらく槍ヶ岳への登山道と氷河公園との分かれ道にあたる部分ではないかと想像される)で一休みし、槍ヶ岳の頂上手前の山小屋・テント場(殺生ヒュッテなのか、槍岳山荘なのかは確証もてず)で一泊といった所だろうか?

4番は、一泊したあとの朝の光景「雲で槍ヶ岳も穂高岳も見えない」という状況を歌っているのか、あるいは槍ヶ岳は既に越えたあとで、その下りの道程において振り返って見ているのかは不明である。

5番は槍穂高縦走ルートにおいて最も難所であるといわれているらしい「大キレット」の岩場を通る時のことを歌っているのではないかと想像される。「飛騨泣き」といわれる最大の難所も抱えているようであるし、まず間違いないと思われる。

そして6番。実はこの歌詞が一番場所が特定しにくいのだが、大キレットを越えた後の「どこかの山小屋&沢」であろうと想像される。地元の子供が出入りできるレベルの一旦落ち着くところの情景であろう。涸沢の山小屋ではないかと想像されるのだが、まあ確信が持てない。

そして7番で、明日は穂高に登るぞと心意気荒くしているわけである。8番は既に登った後で、まさに元登山部氏の指摘どおりに「もう登り終えた穂高を名残惜しそうに上高地の大正池から眺める」という事なのだろう。そして9番で仲間に別れを告げると、そういったところだ。 <完>

とまあ、本当に全くどうでもいい事を真剣に調べた(上に、本当にあっているかどうか多少疑わしい)訳なのだが……..調べ物をした充実感はあるものの、この何の利益も無いこの情報を前に私は一体どうしたらいいのか(笑)。

最後に、さらに本当にどうでもいいのだが、アルプス一万尺というと高校のときの「中国の王朝名をメロディーに載せて覚えた記憶」が頭から抜けないのである。というわけで、アルプス一万尺の調べもの以来私の頭の中では

殷・周・秦・漢・三国・晋
南北朝・隋・唐・五代
宋・元・明・清・中華民国
中華人民共和国

と、ぐるぐる回っている………どうすればいいんだorz

アルプス一万尺の謎[2]へ続く

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