かけ出しの役者が演技と役作りの関係に気づきはじめた

 役者の表現なかでもっとも難しいのは「飲食する」演技だといわれています。
 感情を表す「喜怒哀楽」にはそれぞれの"型"がありますが、モノを咀嚼する演技は声や所作としての"型"があるわけではないからです。
 能・狂言など演舞的な表現のなかにはたしかに、声とともに食べる所作はあります。しかしそれは、「演技」というより舞踊的な「振り」として高度に様式化された型であり、役者の演技としてそのまま応用できるものではありません。
 人間は子供の頃からなんとはなしにモノを食べ、何気なく飲み込むという運動をくりかえしています。
 観察してみると、一心不乱にかき込む人、味わいを楽しむように丁寧に咀嚼する人、食べる速度だけでなく一口に頬張る分量、噛む回数、百人いたら百とおりの食べ方で食事にのぞんでいます。そして多くの人が自分の食べかたに個性があることに気がついていません。

 学生のころ食物を飲み込むとき、かならずかたく目をつぶる友人がいました。そのクセを指摘すると「え、そうなの?」とびっくりされました。本人はまったく無意識にやっていたのです。
 その友人の名前を仮にAとしましょう。
 あるとき、仲間たちの前で目をつぶってペットボトルの水を飲んでいたら
 「Aさんみたい」と言われました。
 目をつぶって飲み込む。
 たったこれだけの所作で誰かの個性を感じさせることができたのです。

 ためしに、この《目をつぶって水を飲む》前後に、ボトルのキャップを回すときから口もとを緩め、一口飲み込んだら「ハァ」と小さく息を吐く、という演技をつけ加えてみましょう。
 暑い夏の情景が浮かんできませんか?人によってはスポーツの後の充実感を思い出すかもしれません。
 次に、《目をつぶって水を飲む》に、口をかたく閉じたままキャップを回し、ボトルの口が唇に触れてはじめて口を開き、飲み込んだ後もしばらく目を閉じたまま他人に聞こえないように静かに息を吐き出す、という演技を加えるとどうでしょう。
 なにかを決意したように感じ取れませんか?映像ならここでカットが切り替わり、物語が静から動へ移る展開を期待させるカット尻といったところでしょうか。
映画通にいわせると「食事シーンが上手い」監督は一流だそうです。

 よく役者には観察が大事だと言われます。
 観察によって取材した多彩な個性を演技にどう活かすか、また複数の個性を組み合わせてひとつの典型を創り出し、そこから導き出された仕草や声色などを自分の引き出しから探し、足りなければ習得する。ひとつの個性の発見から、その役の背景や心情を導き出す演技が組み立てられていきます。
 そこまで思い及ばなくとも、「飲食」だけでなく、歩きかたや佇まい人間の行住坐臥すべてに自分とはちがう個性を発見する努力は演技の幅や深みに反映されるはずです。
そうして創出されたキャラクターを、観客は〈発見〉しに来ているのです。舞台や映画館に。

(このドラマはフィクションです)より

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