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夢は「まちづくり大衆化」!?関西で“ヨリアイ”を運営する阪大生『黒川慎一朗』を徹底解剖―②過去編【阪大生に聞いてみた】

『阪大生に聞いてみた』―”お笑いじゃないオモロさ”を持つ個性的な阪大生に注目し、インタビュー形式でその「現在」「過去」「未来」を解き明かしていく変な企画。

第一弾は「まちづくりを大衆化する」という目標を掲げ、建築の勉強と並行して地方・地域と関わる活動を行っている工学部地球総合工学科建築コースの「黒川慎一朗くん」にインタビューしました。

◇黒川慎一朗
1998年香川県さぬき市生まれ。小学校は統廃合し、中学校は廃校になるなど地域の衰退を感じながら育つ。18年間生まれ育った香川を離れ大阪大学に入学。都市部に来て初めて地方の問題・魅力に気づき地域活性に興味を持つようになる。大学1年の11月に「地方創生×学生」をテーマとした”学生団体Reibre(リブレ)”を立ち上げ、町歩きイベントやまちづくり合宿などを行う。1年間で4つの地域関わりながら中高生・大学生・地元企業・お年寄りなど様々な人を対象に10個以上のイベントを企画実施した。地元香川では企業3社、県外進学した香川出身の学生12名を対象に「帰省×地域活性」をテーマに帰省費補助の事業につながるイベントを実施しラジオでも取り上げられた。現在は『ヨリアイ』という関西で地域に興味あるor関わっている学生が集える場を作り中。まちづくりを大衆化することが目標。

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夢は「まちづくり大衆化」!?関西で“ヨリアイ”を運営する阪大生『黒川慎一朗』を徹底解剖―①現在編【企画:阪大生に聞いてみた】

第2回では「過去編」と題し、主に地元香川での経験を探っていく。彼はいかにして“阪大生・黒川慎一朗”になったのか?受験生の参考にもなりそうな、その秘密に迫ります。

飽きっぽかった少年時代


―小学生の時の黒川くんはどんな子だったの?

黒川
「勉強はある程度小さいころからできてて、授業ではみんなが手上げないやつにだけチャレンジするみたいな感じやった。自分だけできることにこだわりがあるというか。」

―なんかませてる子どもって感じだね。

黒川
「いやいや全然。小学生のころなんかは全然真面目じゃなくて、集団登校には毎日遅刻してた。今はまあそんなに遅刻せんけど(笑)。」

―今日遅刻したじゃん……。


黒川
「いやまあまあまあ(笑)。それと、小学校高学年くらいから日常に飽きだして。」

―飽きるって……?

黒川
「授業ってどうしても一番わからない人に合わせるから、“教科書見たら大体わかるし”みたいな感じで面白くなくなってきて、メンバーも変わらんまま進むから変化もないし、得意だった算数とか理科は教科書見ないで自分で考えるっていう縛りプレイもしてたなぁ。よく先生とか親を困らせてた。」

―総じて見たら優等生的な感じだったのかな?

黒川
「うん。優等生やったとは思う。やっぱり飽きっぽくて、あと遅刻魔やったし、児童会とかも入らずにそのまま小学校終わった……。」

期待していた中学生活だったが……?


―中学校から心機一転!みたいなことは……。

黒川
「中学校生活には期待してたんよ。でも、メンバーも変わらんかったし、部活も変わらんかったし、通学路もあんまり変わらんかったし。結局すぐ2~3か月で飽きちゃうんよね。」

―結局飽きっぽいところは変わらずってかんじか……。

黒川
「そう。でもその飽きたタイミングで生徒会に入って。それが結構ハマって。」

―生徒会では刺激あったの?

黒川
「これまで退屈だった体育祭とか全校朝会とか、受け手の視点からつまらないと思ってたものが“作り手”になって一気に面白くなったんよね。日常が非日常になったというか。自分で何かするのが楽しいなと思えるようになった。」

―ここで「非日常を日常に(前回記事参照)」が出てくるんだね。

黒川
「で、次の年にはそのまま会長になって、そして文化祭をやりたくなって。」

―えっ?それまで文化祭なかったの!?

黒川
「なかった(笑)。だからなんか新しいこと、自分にしかできないことやりたいと思ったんよね。だから先生とも一生懸命交渉して、その年に新しくはじめての文化祭をやることになった。」

―初めての文化祭、どうでした?

黒川
「クラスごとの企画みたいなのが中心で。階段アートとか、バンドとかやる子もいたりとか。出店(でみせ)とかやれなかったからそこらへんはまだまだやなって思ったけど、まあやれるだけやったかなみたいな。」

―次の年にも継承されたの?

黒川
「次の年にも継承されたんやけど、その翌年(初めての文化祭から2年後)には学校がなくなったんよね。あと2年だからいいでしょってことで文化祭が始まったっていうのもある(笑)。」

―あー、マジか!なくなっちゃったんだ……。なくなってどうだった?

黒川
「統合されるらしいってのは中学入学から知ってたんだけど、そんなに当時は違和感なかった。きれいな校舎いいなみたいな憧れもあったし。でも大学生になって初めて帰省した時に校舎がなくなって、そこでめっちゃ喪失感みたいなのを感じたんよね。あれはつらかったなぁ。」

高校受験で見つけた「好きなこと」


―勉強面ではどうだったの?

黒川
「理数系の勉強にめっちゃハマって。“数学はめんどくさがりの学問だ”とか先生も言ってたけど、だからこそ、どうやったら簡単にできるのかみたいな、法則とか解法を自分で考えてたっていうのはあるかな。逆に単純暗記系は苦手で、英国社とか“法則ないやん!”って思って好きじゃなかったんよ。だから内申点はそんなに高くなかった。」

―高校受験とかはどうでした……?

黒川
「特に苦手だった英語が足を引っ張って、受験では行きたかった高松第一高校(香川県2位)には少し点数足りなかった。だから近所で理数科のある三本松高校に進学することになったんよ。受験のハードルを下げた分、自分でいろいろ調べ事するようになって、そこで“○○の法則”とか“相対性理論”とか、科学にめちゃくちゃ興味を持ったってのは結構人生でも大きかったかな。」

―理系進学のきっかけなんだね。

黒川
「タイムマシンとか永久機関作りたかったもん(笑)。」

高校でも生徒会へ

―理数科のある高校だとそういう興味も満たせそうだね。他に部活とかは?

黒川
「まあ科学に興味持ったんはよかったんやけど、高校にどんな部活あるとか全然知らなくて。やから消去法で“生徒会執行部”を選んだ。兼部とかもオッケーで同じ学年に30人くらいいたけど、自分は生徒会執行部だけみたいな。」

―なんかアニメみたい。

黒川
「小中と野球少年だったから野球も少しは考えたけど、三本松高校は結構野球強かったから、運動するのもなーみたいな。でもソフトボール同好会の助っ人はやったかな(笑)。」

―そんなこともあったんだ(笑)。生徒会執行部ではどういうことやってたの?

黒川
「行事全部の運営みたいなんやってた。クラスマッチとか体育祭とか、文化祭もそうだった。準備は大変だったけど、ヒマなときは放課後生徒会室に集まって駄弁ってたかな。」

―ちょっとヨリアイ感(前回記事参照)あるね。

黒川
「たしかにそうかも……!」

『大阪大学』を目指すきっかけ


―高校での勉強はどうでした?

黒川
「実は最初全然うまくいかなくて。目標下げて高校選んだわけだから下のほうになることはないだろうと思ってたんやけど、実際最初にテストではクラスの真ん中くらいだったんよね。あんま勉強せんかったってのもあるけど、それまで優等生やったから“もう軽く自信喪失~”みたいな。」

―意外……。

黒川
「でもその後の模試では数学1位取れて、周りの人たちも質問に来てくれたりして、数学は絶対的アイデンティティになったかな。英語と国語はめっちゃ低かった。1年ときはそんな感じやったかな。」

―その後は?

黒川
「2年のときに彼女ができて、馬鹿にされるのとかホンマに嫌やったから“誇れるような人になろう”と思って。そこからめっちゃ変わり始めて。生徒会長にもなったし、勉強もちゃんとやろうって。」

―彼女が勉強にのめり込むきっかけになったんだ!

黒川
「生徒会長だからもう生徒会に伸びしろないし、運動もそんなできたわけじゃない。じゃあ勉強だよねって思って、志望校を岡山大から神戸大学にしたんよね。学校の方針的にも、“トップ層なら岡山大とか広島大に入れるよ”みたいな感じ。」

―まだ阪大じゃないんだね。

黒川
「でも他と同じは嫌だったから、もっと上を目指そうってなって。2年の秋、文化祭の後くらいから本格的に勉強始めて。そのタイミングでまたさらにいろいろあって。」

―色々って?

黒川
「先輩に阪大を目指してる人ってのが一人おって、そこでめっちゃ驚いたんよ。そしたら化学の先生も阪大出身って知って。しかもそのタイミングで当時の阪大副学長が講演会みたいなので高校に来てくれて。二週間くらいの間に3つ重なったんよね。」

―ほー、それはすごいきっかけだ……!

黒川
「副学長の方とは校長室でその先輩と自分とでお話できる機会をもらって、そこで自分が興味を持ったタイムマシンとか永久機関とか科学の話したら“阪大にはそういう学生いっぱいいるよ”“きっとワクワクした生活送れるよ”って言ってくださったんよ。そこで阪大行きます!ってなった。」

阪大を目指す「圧倒的結果主義」


―きっかけが3つも重なったらさすがにそうなるよなー。

黒川
「そこからはその先輩と同じ塾入ったりとかして、生徒会長とかもやめてとにかく一生懸命勉強したら、1月のマーク模試で校内1位取れた。それなのに阪大はE判定だったんよ。そんときの絶望がすごくて。」

―絶望……。

黒川
「残された時間とか、他の競争相手とかのこと考えたら、“このままじゃダメだ!”って思った。だからそっからは点数上げるのに特化しようと。そっからはもう圧倒的結果主義になった。」

―圧倒的結果主義って?

黒川
「数学は特に、一問解いて十問解けるようにしようって自分で決めたんよ。一問解くっていう単純作業を“なんでこの解き方をするのか”みたいなのを抽象化・一般化して考えるようになった。例えば図形の問題やったら、一つの辺または角を二つの方法で表して=で結ぶみたいなパターンができた。」

―ごめん、なに言ってるか全然ワカンナイ(数学苦手)。

黒川
「えーっと……(解説してくれた)。いや、まあ数学だけだけじゃなくて物理化学も同じような考え方で勉強してたらえぐいほど成績伸びて。物事の本質をとらえて、その本質からパターン化していくみたいな感じをずっと続けたんよね。」

(黒川くん思考の図(筆者作)。こんな感じだそうです。)

―苦手だった文系科目は?

黒川
「国語とか英語も最初は伸びなかったけど、単語とかは効率的に出る順で覚えるみたいな点数主義を続けてたらだんだんできるようになって。とにかく超ストイックでやってたんよね。仮想の敵とか作っとったもん。」

結果、人格が破綻

―でも、それ続けてたら実際結果は出たんでしょ……?

黒川
「そしたらだんだん人格やばくなった。話す人とか、席替えの時の席とか全部指定してたもん。結果出るためにはなんでもするみたいな。勉強しないヤツのこと見たら“サルかよー!!”って思ってたし、“頑張りすぎちゃう?”とか言われたら“目標違ったら過程が違うんは当たり前やから”みたいな感じでハッキリ言ってた(笑)。」

―やばいヤツだ。友達にしたくないな(笑)。

黒川「(苦笑)。彼女に対してもそんな感じだったから結局別れちゃった。最初は彼女のために始めた勉強なのに、“なんで頑張ってるんだ?”って思った(笑)。でも“同じようなヤツに会いたい!”っていう副学長さんから言ってもらったことをモチベにしてそれだけで頑張ったんよね。塾が閉まる日曜日は電車で40分かけて自分の行きたかった高校の近くで勉強しとったもん。」

―本気でヤバイね。

阪大受験で得たものとは?


―ストイックすぎるとそうなっちゃうんだ。

黒川
「まあでもそしたら結果は出て。阪大模試とかは学科20位とか、九大模試・名大模試では1桁代の順位出して。そこで初めて勉強しすぎたことに気づくっていうね(笑)。」

―そっかあ、でもそうじゃなきゃ阪大合格は難しかっただろろね。

黒川
「結局大学は受かったけど、受かったとはいえ失ったものも大きかったかな。生徒会の友達とはしゃべらないようにしてたし、会う人も選んでたし。」

―逆に得たものは?

黒川
「圧倒的に思考力だなぁ。論理的に考える力?あとは圧倒的成功体験による自信かな。」

―うんうん。

黒川
「あんだけ絶望したけどやればできる、あれできたのにこれできんはずないみたいな。それはかなり大事だったと思う。」

おわりに

飽きっぽい少年だったころから、生徒会での様々な経験を得、最終的には大学受験で大きく成長を遂げた香川時代の黒川くん。そんな彼の青春のエピソードの端々に、現在の活動へ至るきっかけとなる要素が散りばめられていたこと、お気づきだろうか。

そして、大阪大学工学部に進学した黒川慎一朗が、なぜ「地方」「地域」と関わるようになったのか。どのように現在の活動へと至り、そしてこれからどのような未来を描くのか。

次回、『将来編』をお楽しみに。

企画【阪大生に聞いてみた】では、www.ourlocal-info.comhttps://note.mu/ を連動させながら、阪大生の現在・過去・未来についてインタビューを行っていきます。「面白阪大生、募集中。」詳しくは→ our.local.999@gmail.com までご連絡を!

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