見出し画像

早稲田大学の劣等生

1年目

早稲田大学文化構想学部。

多くの人間が受験勉強から解放され、大学生活を楽しみ、やりたいことを見つけ、打ち込む生活。

自分はそれに、のめりこめなかった。


第一志望ではなかった、ただそれだけの理由だった。
即切り替えて、目の前のことに集中すれば有意義な時間を過ごせたのに、抜け殻のように空虚に過ごしていた。
考えること、楽しむことから逃げ、楽な方へ漂流していた。

「国立落ちのやたらプライドが高い人間」にはなりたくなかったし、そういう人間を冷笑していた。ただ今思えば、結局打ち込めるものが無く現実に向き合っていない時点で、自分も同類だったと思う。

受験勉強に疲れ、自分には勉強の才能がないと思うようになっていた。
大学の授業は楽しくなかった。
大学の周りの人間はみんな優秀で、好奇心旺盛で、行動力があり、何よりエネルギッシュであった。何もかもが灰色に見えていた自分は、早くも劣等感に苛まれることとなった。

せめてサークルだけは好きな音楽のことができればと思い、ジャズ系のバンドサークルに所属した。高校生の時にピアノを弾いていて、「その時にしかできない最高の即興を作り上げる」ハラハラ感の虜となっていた。あの頃のように夢中で楽しめる時間が欲しかった。
しかし現実は非情である。音楽の世界は努力の才能と、やってきた年数が99%を占める。自分はそこまで真剣にピアノを弾いてきたわけではないから、狂ったように音楽のことばかり考えているコミュニティの中に居場所はなかった。サックス担当の子が自分よりうまくピアノを弾いていたのを見たとき、自分の中でブレーカーが落ちた。そしてサークルを辞めた。

そのうち大学にも行かなくなった。最初はなんとなく「先生になりたい」と思って教職課程の授業を取っていたが、教員のブラックな部分が強調されネガキャンばかりされるのでモチベーションも枯渇していた。数少なかった友人は度々声をかけてくれたが、何の役にも立たない積みあがったプライドが邪魔をし、相談などできなかった。

塾講師のバイトを始めた。自分の持っている知識を整理し言語化するのは楽しかった。生徒達の「理解できた!というアハ体験を感じた表情」を見るのは好きだったし、未来が明るく成長意欲がある子供達に憧れがあったのかもしれない。働くことは全く苦ではなかったし、現実から逃げるようにしてアルバイトにのめりこんでいった。

そして留年が確定した。出席日数が足りないので完全に自分のせいである。学費を出してもらっているにも関わらず、朝起きて学校へ行くという当たり前のことが当たり前にできない社会不適合者は誰も救ってくれない。ストレスからか不眠症となり、睡眠薬を必要とした。親に留年のことは打ち明けられなかった。

学校に居場所が必要だった。目を背けていてもいつかは行かなければならないのだ。友人から連絡が来た。「今度サークルでクリスマスパーティするんだけど行かない?」ありがたかった。こんな擦れた自分でも誘ってくれるなんて。ほとんど知らない人達が集まる中で、しかもパーティなんて素直に楽しめるキャラではなかったけれど、せっかく誘っていただいたたんだから行かない理由がない。

パーティは楽しかった。誘ってくれた子に会えたのも嬉しかったし、何より企画者の先輩の気配りが素敵で、とても良くしてくれた。「今日は来てくれてありがとう!」「楽しんでもらえたらよかった!」明るくポジティブで初対面の人間に無償でgiveできる、こんな人になりたいなと思った。これが運命の出会いになる。




2年目

留年したことを親に打ち明けた。怒るのではなく、考えていること・悩んでいること全てを打ち明けるように言われた。もう19歳にもなるのに、泣きながらコンプレックスを、全てを話した。こんなに優しく諭してくれる親なのに、道を踏み外してしまって申し訳なかった。

結局、パーティに行ったサークルに所属することになった。代替わりで企画した先輩が幹事長になることになったらしく、先細りとなっていた人数を増やすのに協力してくれないかと言われた。尊敬している人間から頼られるのは嬉しい。期待に応えなければと感じた。

浪人していた高校の頃からの友人が今年から大学に入るとのことだったので、サークルに誘ってみた。イベントは楽しんでもらえたらしく、ぜひ入部したいとのことだった。他にも新入生たちが続々と入ってきた。先輩の企画力、気配り、器の大きさによるものだった。

夏休みに先輩と、高校の頃からの友人と、新入生で入ってきた浪人生(タメ)と4人でタイに旅行に行った。初めて友人だけで行った海外旅行は楽しかった。また行けたらいいねなどと無邪気に笑っていた。翌年にコロナの波が来るとは夢にも思っていなかった。

バイト先の人たちとも仲良くなっていった。バイト終わりに毎週のように飲みに行っていた。同い年の女の子が塾でアルバイトをしながら、仮面浪人して行きたかった大学に入りなおしたらしい。自分には出来なかった。すさまじい精神力だなと思った。

2年目にしてやっと、自分の居場所を見つけた。こんな自分でも受け入れてくれる人達がいる。腐っていた自分に別れを告げ、現実を生きようと思った。



3年目

サークルの幹事長となった。そしてコロナ禍となった。

先輩が作り上げたコミュニティを守らなければならないと思った。
新入生にとって魅力的な「居場所」を作りつつ、今いる人達と更に深くつながっていくことが求められていると思った。オンラインでイベントを考えたり、毎週通話しながら色々試行錯誤した。大変だったけど楽しかった。

家から出ない生活は自分の性に合っていた。読書したり、ゲームしたり、時間は有意義に使うことができた。1年生の間に落としていた単位も取り返した。

GoToトラベルという謎の支援をありがたく使わせてもらい、広島へ一人旅に行った。noteを始めた。

自分の中にある感情を言語化してアウトプットするのは面白いということに気づいた。反応を貰えるのも楽しい。勉強しかしてこなかった自分にとって、何かを生み出す初めてのきっかけとなった。

どちらかと言えば世間は暗かったが、自分にとって2020年は良い年になった。サークルやバイト先で文集を作り、みんなに喜んでもらえた。これまで失っていた時間を取り戻すかのように、色々なことに挑戦していった。

しかし楽しい時間は長くは続かない。自分にとって苦手なことは何一つ解決していないのだから。



4年目

就活の時期がやってきた。自分は留年しているので、何かやらないと取り返せないと思っていた。

サークルはとりあえず人が定着したので下の世代に任せることとした。代わりと言っては何だが、人手不足のアルバイト先のバイトリーダーになることとした。コロナだったので教室の運営の細かい調整をしたり、月に一回プレゼンをしたり、などである。プレゼンは嫌いではなかったので、楽しみながら継続できた。

インターンも始めた。テレアポの営業である。
自分は営業が大の苦手だった。まず敬語もままならない上、人にモノを売れない。自分に物欲がないので買う側の気持ちが分からないし、成果が出ても嬉しくない。まず成果が出ない。インターンは3か月でやめてしまった。

早期選考のためにESを書いたり、面接を受けるなどもしたが、そもそも何をやりたいかがハッキリしていないので結果は悲惨だった。教師を目指していたことをバカ正直にいうものだから、なぜそこからその会社に興味を持ったのかに繋げられない。いや、そもそも興味など持っていない。そして、興味を持ったように取り繕うこともできない。プライドが高い一方で嘘をつけない不器用な自分にとっては、面接も大の苦手だった。

全然結果が出ないので逃げるようにしてYouTubeを始めた。正確に言えば、友人のYouTubeを手伝っていた。「今それやるべきじゃないよね」と自分でも気づいていたが、逃避癖が出てしまうのは変わっていなかった。特に急激に伸びるなどはなかったが、何かを生み出すのはそれ自体楽しいことである。時間を忘れてのめりこんでいった。

季節は秋になり流石に危機感を覚え、再度インターンに申し込むことにした。営業は無理だったので、プログラミングのインターンに申し込んだ。文系ではあるが、塾で人手不足から数学の授業が一番多かったなど、ロジカルなことは嫌いではなかった。インターンはチーム対抗で課題をクリアしていくものだった。(いわゆる選考が入った完全な就活生向けのイベント)
自分はリーダーを務め、優勝した。同時期に資格勉強も進め、基本情報技術者も取得できた。ESや面接は苦手だったが、成果さえ見せられれば戦えるのではないかと感じた。

しかし現実は非情である。面接に進んでも、最終選考落ちが連続で続いた。落とされ続けることに耐えられる人間は少ない。しかも最終面接まで希望を持たせておいて。働きさえさせてもらえれば頑張るのに、なぜ、と感じた。そもそも最終面接って何を基準に判断しているのだろう。熱意ってどうすれば伝わるんだろう。答えの出ない問題に苦しんだ。

面接の中で幾度となく繰り返された質問。
「なんで留年したんですか?」
聞かれるたびに傷がえぐられる思いだった。その都度自分の弱い部分、そして今どうやって克服しようとしているのかを話した。これってどこまで伝わっているんだろう。でも全部自分が悪いから仕方ない。だんだんと目が死んでいった。

将来の目標が持てずフラフラとして留年したこと、人に相談できずプライドが高いこと、入りたい企業がないからESや面接で自分の思いを伝えられないこと、自分を好きでないから人に自分の長所を売り込めないこと、
そういった根本的な問題は解決していない故の結果だった。

しかし周りは優秀だった。就活など早期選考ですぐに終わらせる人間もいれば、場数を踏みまくり面接が得意になった人間、地道に努力し公務員試験に合格した人間、さまざま自分の進路を決めていた。

みな自分にないものを持っていた。意味のない自己嫌悪のループに嵌っていった。面接に申し込むことすらできなくなった。この時期の記憶はあいまいで、覚えているのは恋人と友人を失ったことだけ。




5年目

救ってくれるのはいつも友人たちである。

「俺も今仕事に行くの辛い、毎日残業させられて、何のために働いてるのか分からなくなる。苦手なこといっぱいある」

「こんな社会不適合者が生きてていいのかって考えること何回もある」

「コガはいつも憧れだった、いい所いっぱいある。伝わってないだけだから」


悩んでいるのは自分だけではない。誰だってそれぞれ悩みを抱えている。絶望していると自分が中心になり、他の人の優しさに気づけない。

周りの人間と比較して自分のできないところに目を向けるのは辞めようと思った。それは意味のない行為だ。


成果を出すためにプライドを捨てることを選んだ。
今まで敬遠していた就活の本を読んだ。自分を知るために、書くことを始めろと書いてあった。ノートを買って全ての過去、感情、思考を書きなぐった。最初は自分と向き合うのが嫌だったが、書くことがなくなってから気づいた。自分に欠点は確かに存在するが、思っていた何倍も少ない。そのそれぞれでジャグリングしていただけだったのだ。


そして、就活アドバイザーを利用することにした。自分のことだが、一人で解決できる問題ではない。最終的に責任を負い解決するのは自分だが、誰かに頼り相談することは、人生のどこかのタイミングで絶対に必要なのだと気づいた。アドバイザーはとても親身に接してくれた。自分のために真剣に戦略を立ててくれた。功を奏し、今の会社に内定が決まった。自分がやりたいことができる、いい会社だと思った。(今でもここに入れてよかったなと思っている)


大学5年間かけて、プライドを捨てて素直になることを学んだ。これが、自分が劣等生たる所以であり、友人をもっと頼っていれば留年もしなかったし就活もすぐ終わっていたと思う。

周りの人間に感謝するようにもなった。自分はたくさんの人間に生かされている。今だってそう、この投稿を読んでもらっているから、日々のエネルギーをもらって生きていられる。アウトプットするって受け入れてもらうことに他ならないし、生きるって繋がることだ。

マイナスはプラスになる。書いた恥や感じた絶望も、人に話せば教訓やエンターテインメントになる。自分を開示すれば、積みあがったプライドも少しは和らいで謙虚でいられる。そう思って、noteを書いてます。


いつも読んでくれてありがとう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?