私の税理士業敗戦記EPISODE4
私は会計ソフトフェチです。
一番最初に触った会計システムは、1985年ごろ大学生時代に、実家にやってきたミロク経理(MJSの前身)のオフコンでした。
両親は漬物屋の会社を経営していたのですが、経理のひとが辞めるのでオフコンを買って税理士試験の勉強をやっていた私に経理をやらせようという腹づもりだったようです。
その、コンピュータは500万円ぐらいしたと思いますが、まだかな漢字変換機能もなく、漢字入力はタブレットに並ぶ文字をペンで押して入力するという原始的なものでした。
そうこうしているうちにミロク経理が倒産してしまいサポートを受けられなくなってしまいました。それで仕方なくNECのPC9801という32ビットの最新パソコンと、PCA会計のMSDOS版を導入しました。
そこで衝撃をうけるのでした!
500万円のオフコンでできなかったかな漢字変換が、20万円ほどのパソコンでは、一太郎のATOKでいとも簡単にできるのです。さらにPCA会計の使いやすこと。
このときに会計専用機メーカーへの不信感が生まれました。これが私の原体験になっています。要するにカウンターカルチャー好き。偉そうにしてる旧世代の構造の対局にいる新世代の戦士みたいな図です。
それがきっかけで低価格高性能のパソコンに魅了され、パソコン雑誌を読み漁るようになります。
当時、日本ではNECのPC9801が一番メジャーだったのですが、パソコン雑誌では、アップルのマッキントッシュという小さな箱型のコンピューターが絶賛されていました。これぞカウンターカルチャーの象徴でした。
どうしても欲しくなり親を説得して会社の経費で購入してもらいました。そこで一緒に買ったソフトがExcelでした。バージョン1.06だった思います。もともとExcelはMac専用ソフトだったのです。
その出会いが30年後私の人生を変えることになるとは其の時には夢にも思いませんでした。
98とマックをデスクに並べて、Excelで出納帳を作ってマックに付属のハイパーカードというデータベースソフトで振替伝票をきり、PCA会計で会計入力するという完全ペーパレスの相当斬新なことをしていて、日経パソコンに取材される一歩手前でしたが、カナダに留学したので実現はしませんでした。。
(因みに、ハイパーカードは、いまは当たり前になっているクリックしたらリンク先に飛ぶというハイパーテキスト構造を初めて実用化した歴史的なソフトです。)
帰国後、外資系会計事務所の大阪事務所で働くことになりました。外資系はどんなにITが進んでいるんだろうと胸を高鳴らせて初出社しました。
だが、しかし そこでみたものは!
古ぼけた16ビットのNEC9801が2台だけ、主力はまだタイプライターでした。タイピストが帰るとみんな仕事ができなくなるので、タイピストが事務所のラスボスでした。1991年頃のはなしです。
その会計事務所は記帳代行業務はやってなかったのですが、小規模の外資系企業の顧問先さんは手書きで帳簿をつけていました。顧問先の経理のひとから英文対応の会計ソフトはないかと相談されて、それを上司に伝えましたが相手にされません、というかちんぷんかんぷんでした。
しかたなく、梅田の紀伊國屋書店でアメリカのパソコン雑誌を買ってきて、MYOBというMac用の会計ソフトを自腹で個人輸入して顧問先さんに使ってもらいました。
(インターネットもなかったのにどうやって注文して、決済したのだろう?)
とても使いやすいソフトで、いまでも結構メジャーなソフトのようです。
上司から「いらんことするな!」と怒られましたが、顧問先さんには、とても喜んでいただけ、私が退職したあとずっとその会計事務所でも使われていたようです。
世界有数の会計事務所で使う会計ソフトが、新入社員が自腹で買ったコピー品という倒錯した状況と、万事に保守的で非合理的な社風になじめず4年ほどで退職しました。
ここから、いろいろな会計ソフトを使うようになるのですが、次回に続けます。
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