#40 1年前の自分と比べて

だいぶサボった。
というのも色々あったからなのよね。

普段人から天真爛漫というか、、、
あんまり落ち込んだりしないのですが
人生で最大の後悔を経験しました。

ノートのお題に沿って書こうとすると
そこに触れずには通れない。
書くと涙が止まらなくなるから書けなかった。

1年前、ちょうどフリーランスで小顔と美容師を融合させてやっていこうそう決めた頃。

この1年
浮いたり沈んだり、
ちょっとサボってしまったり


はっきり言って夏ぐらいまでは
色んな事試して失敗したり成功したり。

自分は始めた事を絶対に途中で投げ出さない
という性質があるのですが、それは周りも同じとも限らなかった。

なぜみんな途中で投げ出すんだ?
最初は誰だって泥臭くやるしかないだろ
と思って悲しかった。

かっこいい事やる為には
かっこ悪い経験って絶対必要。

とは言え、大スランプだった。
それでもどっかでなんとかなるや
あー売り上げ悪いなー、やばーーいと
言いながらも甘く考えてた。

そんな時、母のガンも発覚した

治療費や祖母の残した負の遺産の処理に
両親が頭抱えているのに

私は収入の浮き沈みが激しく
自分の生活ギリギリの売り上げしかなかった。

母は手術もした
姉が頑張ってくれたおかげで
なんとかなったけど

私は自分の不甲斐なさに苦しかった。

むしろその事で両親に心配をかけまくっていた
(さすがに、借金とかお金援助してもらったりはないよ)

でも人生最大の後悔はソレではない。

その少し前
母が姪っ子の骨の手術のお見舞いの為
三重県内の病院にいっていた

「その時にSちゃんのおかあさんにあったよ
Sちゃん●●病院に入院しているんじゃない?」

と言われた

Sちゃんは私が障害者支援の資格を取りにいくきっかけを作ってくれた友人

10年前に子供を産んでから血液の病気が悪化し
骨髄移植後、3度ほど、もう手の施しようがないと言われても復活してきた子

そんな病気の最中でも家族の前では
私が泣くと旦那さんが泣いちゃうし、おかあさんも丈夫に産んであげられなくてごめんって泣くの。だから私泣けないと言っていつも笑顔

うちの両親もSちゃんが愛想が良くて礼儀正しくて美人でとってもいい子といつも言ってた(うちの家族もSちゃんが大好きなのだ)

春先に、病気になってしまった。
もう失明は確定だし、車椅子になる、、

って連絡がきた

その事がきっかけで私は障害者支援の資格をとったのよ。

Sちゃんは入院中の自分を見られるのが嫌いで
お見舞いにきて欲しくない子
心配されるのが大嫌いな子
だから毎回入院先は教えてくれない笑笑

それでもこうして連絡してくる時は
限界の時なのだ。

そこで少しラインで会話して
そのままになっていた。

お見舞いに行こうかな、、、

そうおもったけれど
夏すぎの私はとてつもないスランプに見舞われていた。そこに母のガンの連絡

お金節約しなきゃ、、、
母が万が一の時は
どんな高い治療でもうけてもらいたい
来月どうなるかわからないし、という状況で

売り上げが上がったらいこう

とそのままにしてしまった。

そして忘れもしない、あの日。

昼過ぎに電車に乗ってたら
地元の友達からの電話

ちょうど駅について
あれー?どうしたのー?
なんてお気楽に電話にでた。。。

電話先の友人は

「すーちゃん、、、
Sちゃんが、、、、Sちゃんが、、、、」

と言ったきり黙ってしまった

「、、、、死んだん?」

と聞いたら
「Sちゃんの兄から連絡あって今朝早く、、、」
電話を切った。

すぐには泣けなくて、呆然としてて
歩こうと踏み出したら手がガタガタ震えて
携帯電話のボタン一つ押せなくて

やっとの思いで母に地元に帰る連絡をしてたら
だんだん現実味を帯びはじめて

震えて人生で初めて膝から崩れ落ちた。
息が出来なかった。
声は出ないのに。

中学の時、違う学校同士の合宿で知り合って
文通して、同じ高校、同じクラスで同じ部活。
誰にも言えない悪さも、沢山一緒にやった。

最後にみたあの子は
本当に本当に綺麗な顔で
でも触れたら、本当に本当に冷たくて
本当に冷たくてまた泣いた。

ご家族から出棺までおったってくれへん?
と言われて出棺を待っていた時

もうね、夏前から病状が悪くて
首しかうごかせなかったのよ。
最後2ヵ月はしゃべる事もできなくなって、
携帯も見れなくて
それでも亡くなるまで意識が
しっかりあったから、
携帯も8月には電源切って!
と言われて切ってたの。

と言われた。

ああ、あの日母が偶然にあったのは
虫の知らせ的なやつだったんじゃないか

そんな時にお金の心配して私は動けなかった
なんて情けないんだろう

会いたい。

ただただ会いたいのに
もう会えないんだって
悲しい以上に情けなかった。
ふがいない自分がいやだった。

ただ、それでも

彼女からの最後のラインが
病気は辛いけどね、
いつも頑張っているすみえみると
私も頑張ろうって思える
本当に本当にすみえの成功祈ってるよ!
夏帰ってきたら髪切って小顔にしてね!それ目標に頑張る!!!

だった。

約束を破ったのは私だ。

夏にチャンスがあったのに会いにいかなかった。

その大きな大きな後悔。

だけど。


私たちの間柄はどんな辛い失恋も
どんなしんどい病気や悩みを話してても最後ゲラゲラ笑っちゃう
それが定番

最後にあの子が応援してくれたみたいに
私絶対この道で成功しなきゃいけない
私もうお金の事で2度と後悔したくない

選択できる人生を歩み、歩ませる事。
これは自分自身と家族とそして友達に。

人はある事に気が付けずにいると
同じ事が何回も繰り返される

なんで私ばっかり

ではなくて気がつかないと
徐々に徐々に大きな事になって
何回も繰り返す。

もう繰り返さない
って決めた。

友達が亡くなったのがショックで
仕事が手につかなかったなんて絶対に言わない

その月に過去最高月商を更新
そこから毎月更新して
基本的にひけらかすみたいで嫌やから
売り上げとかは書きたくないが

人の意思の強さは岩も砕くって知ってほしいから、今回は書く。

フリーランスで広告なし
SNSと口コミで集客して
小顔と美容室のお客様を合算で
前月までの平均から2、5倍の
月商200万を超える事ができた。
まぁまぁ頑張ったんちゃうかなって自分で思えた。そしてそこから毎月一度も落ちてない。

やればできるんじゃん
って思った

人は変わらないっていうけどさ
人って変われるし
身体能力問われるオリンピック選手とかは難しいかもしれないけど
できる!と信じてやり切ったら絶対できる。

やり切らない人が多すぎるから
人は変わらないって簡単にいうんだ。

なんでやらなかったんだ
なんでもっと早くやらなかったんだ
って大きな大きな後悔をしているけれど
時間は戻らないし
これからどう生きるか?
そうする事しかできない、
後悔も悲しみも何もかも飲み込んで生きるしかない
後悔は無くせない、これでよかったなんて絶対思えないけど。

これは彼女が私に最後におくってくれたギフトのような
そんなもの何だろうと思った

今年の始めは
まだまだわからない事だらけで
何していいかわかんなくて

手探りで
もちろんうまく行かない事もたくさんあった。

そんな中で私がこの1年で出会った起業している先ゆく先輩や
プロデューサーに相談をしてきた

この人たちは私のどんな夢も絶対笑わない
なんかちょっと
一歩間違えば意識高い系とか言われて貶められそうなタイプの人たちだし、

正直私は自分の肌に合うとこも合わないとこもある

見る角度を変えれば、
こういう人達って問題に向き合って絶えず努力してた。
考えて学んで苦しい時も立ち止まらない。
そんな素敵な人たちでもある

全部吸収してやる
吸収してから自分のスタイルを作って言ったって遅くはない

やってみてから否定したって遅くはない。
結果を作ってから文句垂れた方が説得力もあるってもんだし。

その人よりもファンが少ないのに
ゴネてもダサい。

今回の記録を作った時
師匠から
大変なこともあったけど、どんな時も止まらず進み続けた結果だから、
自信をもって進んで行こうと言われた。

いざ目標点に到達したら

あ、これダメだ全然足りないWWW

と気がついたりWWW

あの子の事を思い出さない日はなくて
心が痛む日もまだまだあるけど
1年前の自分と比べてこの1年はすごい特濃だったし

自分で言うのも何だけど

めちゃめちゃ成長した1年やったなと思うWWW

人生一瞬で変わる時は変わるなぁと。

目標があって
今やってる方法で今以上結果で近づけないなら
やり方変えなあかん

どんな道を通ってきたかなんて関係なくて
結果にたどり着く事が大事やし
かといって犯罪や不義理はしたらあかんけどね。

今年もっと成長しようと思う。
人生一生青春。成長期です。

♯BKSマガジン

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?