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「お母さんのおにぎり」のような文章が書きたい

長い間放置していた下書きを再開した。きっかけはサトウカエデさんのnote。

こんなこと書くと、やっぱり何言っているかわからないと思われる気がする。でもなかには、万にひとりくらい「ああ」と思ってくれる人がいて、私はこんな感じですと、文章を書く心象風景をしたためてくれるかもしれない。

カエデさんは、書くということを “的を射る矢に似ている” と表現していた。まさに「ああ」と思ったので、書きかけの下書きを再開した。

僕にとって「文章を書く= noteを書く」だ。
仕事で日に何通もメールを書くけど、それは文書。デザインコンセプトを文章で表現することもあるけど、それはデザインの考え方を伝えるのが目的なので資料としての側面が強い。少なくても僕が自分の気持ちを文章にするのはnoteだけ。

noteをはじめて2か月ほど経った頃、デザインと文章を書くことは似ている、と思った。

プロダクトデザイン、コミュニケーションデザイン、UXデザインと時代の変化と共に僕の仕事の内容も随分変わった。でも、変わらず大事にしてきたのは引き算の美学だ。
引き算の美学については、さまざまな人が語っているので「なんか聞いたことある」という方も多いと思う。
枯山水や茶道、日本料理などに代表される削ぎ落す美学のこと。無駄を削ぎ落し、最小現の要素で表現できたときに美が現れる、というものだ。

「シンプルなデザインがいいと思って正方形と正円だけでデザインしました!」と後輩がアイデアを見せてくれたことがある。シンプルだけど、とても味気ないデザインだった。最小限の要素で構成しただけでは、いいデザインにならない。深く考えて、手間暇をかけないと良くならない。出汁をとらず、お湯に味噌を入れるだけでは味気ないのと一緒。

いいデザインとは、削いで削いで削いで、これ以上削いだら味気ない、という一歩手前でスパっと止めたデザインだ。だから、そのデザインは味気なく見えるのだけど、何か強烈に心にひっかかるものがある。

もう一回見てみようかな?
いいかもしれないな…
このデザインすごい!

となる。
Twitterでも話題になっていた無印のプロモーションは、まさに研ぎ澄まされたデザイン。さすがだなぁ、とため息が出た。

前置きが長くなってしまったけど、文章を書くときは「削りすぎ? 残しすぎ?」といつも半信半疑で書いている。僕は文章を書くのがとても遅いので1つの投稿を書くのに4、5日かかる。だから週一回の投稿が精一杯。
最初にババッと全体を書いて、そこから日々削っていく。前の日の夜にちょうど良いかな、と思っていた文章を翌朝見ると削り過ぎてて味気ない。足してみて夕方見直すと、くどい。その繰り返し。
自分の文章が良いのか悪いのかも分からない。なので研ぎ澄まされた文章を書けるようになるなんて、夢のまた夢だ。

だからこそ、文章を書くときに大事にしている想いがある。それは、デザイナーが一番大事にしなくてはいけない、常にユーザーを考えながらデザインする気持ちに似ている。

僕は新卒でメーカーのプロダクトデザイナーになった。2、3年は、がむしゃらにどんな仕事も前向きに取り組んだ。ただ、5年も経つと、組織間の利害やコスト問題に先頭に立って処理する立場になり、純粋な気持ちでデザインと向き合えない時期があった。「こんな予算でいいデザインができるわけないでしょう!」と企画の課長に大声をあげたことがある。自分の未熟さをさらけ出してしまった苦い思い出…。

そんな時期、20代の最後の年に僕は “生涯大切にしよう” と決めた文章と出会った。僕が一つだけ持っている座右の銘だ。ホンダで数々の名車をデザインされた岩倉信弥さんの著書にある文章だ。

私は、モノづくりとは「お母さんのおにぎり」のようなものと思うようになった。母親が子供のためにおにぎりをつくる時、大抵の場合、材料はあり合わせである。
しかし、子供の好みは熟知しているし、手の大きさ口の大きさ、食べ方まで全て知り尽くしている。そして子供の食べている状況や喜ぶ顔を思い浮かべながら、堅過ぎず柔らか過ぎず「心を込めて」にぎる。
だから子供は、母親のつくるものに絶対の信頼をおいているのだ。


出典:「ホンダにみるデザイン・マネジメントの進化」
お母さんは日夜、創意工夫を重ねて、子供を驚かせてやろうとまで考えている。遠足で子どもがおにぎりをガブリとやると、初めての味に出会う。
(中略)
お母さんは、すばらしいデザイナーであり、ものづくり名人といえる。デザインとは、プロのデザイナーだけのものではない。相手のことを想い、「こうしたい、こうしてあげたい」と想うことができれば、誰もがデザイナーなのである。

出典:「教育現場でのデザインマネジメント ホンダで学んだことを大学で活かす」

デザイナーとユーザーの理想の関係をお母さんと子供に例え、語られている。これほど見事にデザインの本質を言い表した文章を僕は知らない。
コストや日程にリソース。課題が多過ぎて投げ出したくなる案件を担当したとき、僕は「お母さんのおにぎり」を必ず思い出す。


デザインと文章を書くことは似てる。
スキルがないから不特定多数に向けた文章を僕は書けない。だから、読んでくれる相手を具体的に考えながら書くようにしている。家族や直接会ったことはないけれど、noterのみんなが僕のnoteを読んでる顔を想像しながら書いている。

家族にnoteのことは内緒にしてるけど、長男が二十歳になったら僕のアカウントを家族に教えたいと思っている。その頃までには、僕のペースでも投稿はいっぱいたまっているだろう。

- お父さん、こんなことを考えてたんだ
- noteでこんなやり取りをしていたんだね
- 加油かぁ、懐かしいなぁ

タイムカプセルを開けるように家族が僕のnoteを読む姿を想像する。

少し恥ずかしいけど、とっても楽しみだ。

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