新しさと馴染み深さが交錯する『ROCA』感想

 いやあ買って良かった!

 朝日新聞朝刊にて掲載されている長寿4コマ漫画『ののちゃん』で知られるいしいひさいち先生が自費出版したスピンオフ的漫画、『ROCA 吉川ロカ ストーリーライブ』を読みました。
 何を隠そう私はいしいひさいち(以下、敬称略)のオタク。図書館に置いてあった『となりの山田くん全集』を読んでから作品を多く漁るようになり、50,60年代生まれの漫画家の中では一番太く長く追っている漫画家だと思います。Twitter上のいざこざを見ていると「いしいひさいちの漫画であったなそんなの」と思うことは今まで一度や二度じゃない。
 いしいひさいちはもう古希を迎えており巨匠と呼べる存在とも言えそうなのですが本人はなかなか表に出て来ないしインタビューとかもごく僅か、自画像もいつまでたっても冴えないオッサン風にしていることからあの時代の漫画家の中では割と謎の多い方でしょう。
 彼は商業的な連載を『ののちゃん』一本に絞って久しいですが、実は数年前から活動の場を少し広げている。それが自身のホームページでの4コマ連載と、コミティアへの出展です。「シリーズものの新聞四コマ」というプラットフォームに縛られず、根強いファンがいる過去シリーズの新作や、昨今の情勢を取り入れたナンセンスな(ここ重要)時事漫画なんかを生産し続けています。パッと見、デフォルメされた単純な4コマ漫画で、同じことを繰り返したネタを量産しているように見えかねない(本人が自嘲した漫画を描いたりするし)ですが、実はいしいひさいちの創作意欲は今なお熾火のように燃え続けているように僕には見えます。
 この『ROCA』はそう言った一連の非商業的作品の集大成とも言えるでしょう。最初にURLを貼った特設ページから通販で購入できるのですが、事前予想よりも大いに評判になっているようで、重版に追われているようです。これまでのいしいひさいちファンは勿論、そうでなくても、新たないしいひさいちの作風に驚くこと必至です。

・あらすじ
 たまのの市の女子高生、吉川ロカはいつも自分に自信がなく、パッとしない日常を過ごしていたが、幼い頃に少しかじった音楽の素養と天性の歌唱力により、歌手としての才能を急激に開花していく。マネージャー代わりにサポートしてくれる同級生、柴島美乃と、市の商店街でストリートライブをしていた人達との交流をきっかけに彼女はポルトガル大衆歌謡『ファド』の歌手の道を見つけ、やがて大成していく――笑いあり友情あり涙ありのサクセスストーリーを、作者お得意の4コマ・8コマ漫画を連作することで描いた新感覚いしいひさいちワールド。

 作中に出てくる「たまのの市」は作者の出身地である岡山県玉野市をモチーフにした『ののちゃん』の舞台と同じ場所で、作中に同作のキャラクターは頻繁に登場します。
 そもそも吉川ロカというキャラクターが初めて登場したのは十年近く前の『ののちゃん』本編で、その頃からサブキャラとしての彼女のバックストーリーは垣間見えていた。吉川ロカには同じく漫画家のとり・みき先生を始めとして古くから熱狂的なファンがついており、僕も「この子が出る4コマだけなんか違うな」程度に気にかけていて楽しみにしていた。ただ、当時の『ののちゃん』読者層全体を見るとこの新しい作風の受けが悪かったみたいで、吉川ロカは少し曖昧な感じでストーリーが閉じられ、以降しばらく登場しないことになります。ホンマ堅物を気取る古参ファンってやつはよお。
 本作はその途切れ途切れだったバックストーリーの始まりから終わりまでを正式に描いた作品。後述のメインキャラクター二人と、ののちゃんワールドのキャラクター、そしてレコード会社絡みの新キャラなどが絡み合って、吉川ロカは歌手としての階段を登っていく。

 あらすじはここまでです、以下、本編の感想になります。でかいネタバレは無いつもり。

・いつもの雰囲気の中に、隠しきれていない絵と作劇の上手さ
 この『ROCA』、漫画としては『ののちゃん』やいつものいしい作品のような、クスリと笑えるナンセンス4コマを基軸としながらメインストーリーが進んでいくんですが、それでちゃんと話が進んでいくのが面白いし、ふとした時に繰り出してくる「いい話」とか「立ちふさがる壁」のエピソードがやたらとリアルなんですよね。それも、昭和の感覚で描かれているのではない。アーティストを追って好き勝手言うファンの描写なんかは今の感覚でも十分分かる質感を帯びている。それこそ新聞紙面の上では使えない言葉遣いやヤクザを彷彿させる描写なんかは、昔の『アクション』とかに連載していた頃ののびのびした味わいがある。
 そして作画。吉川ロカの作画を見ていると、いつものようにデフォルメされている絵柄なのになんか、めちゃくちゃ上手いんですよね。どこが上手いのか、絵を知らない僕にはちゃんと分析できないのですが、絵を変えずに僅かな線や角度を変えるだけで頭身や色っぽさが演出されている。「大人な女性っぽさ」を描くのが上手い、というのは藤原先生を引き合いによく語られるところなんですが、吉川ロカに関しては日常と歌う時とで絵柄を使い分けていて、彼女の特異性が際立つ。見ていて不思議なほど引き込まれるんです。
 そしてストーリーね。先も述べたように今風でありながら王道のサクセスストーリーな訳なんですが、面白いのはレコード会社のスタッフが彼女の評価を語るシーン。作者本人は「全てデタラメです」と言ってるんだけど妙な説得力があり、さすが30年も漫画を描いた人間は嘘が上手いなと感服することしきり(褒めてる)。
 そしてなんと言ってもラストの展開。ラスト手前までは上で書いたような「すげえ、すげえ」という気分で読んでたんですが最後は想定外の角度からぶん殴られた気分だった。こんなこともできんのかと。まあ気になった方は読んでみてください。

・二人の関係性が極めて高度
 いくら百合好きのオタクって言ったっていきなり関係性の話をし始めるのどうよって思うんだけど! でも、これは言わせてくれ! ROCAは百合として見てもめちゃくちゃ面白い!
 本作のカギを握るのは二人の女子高生です。
吉川ロカ……勉強も運動も苦手。どんくさいだけの田舎の高校一年生だったが、歌い始めると周りを圧倒するとてつもないパワーを見せる。自信がなくなるとよく美乃に泣きつくが、ここぞという時のガッツはある。ちなみに名字の読み方は恐らく「きっかわ」。
柴島美乃……ヤクザまがいの噂が立っている、たまのの市にある商会の支配人の孫娘で、跡取り。ロカとは高校から同級生だが留年してるので年上。姉御肌でロカに頼られているが、すぐに手や暴言が出るし、よく強面の側近を連れている筋者。

 これは『ののちゃん』本編に登場していたころから明かされていましたが、二人とも港町であるたまのの市で起こった沈没事故で幼い頃に両親を亡くしています。告別式の場で出会った二人が高校に上がって久々の再会となるわけです。
 だから、自分と違い祖父や側近のような身寄りが殆どないロカに美乃は便宜を図ってあげるし、自分に自信のないロカは同じ悲しみを抱えながらも堂々としている美乃を頼る。歌以外はからっきしのロカが営業や客対応、遠征などの困難を乗り越えるのに支えとなるのが半ヤクザの美乃なんですよ。めちゃくちゃ高度じゃないですか?

・ファドへの愛
 僕はポルトガル歌謡のファドを聴いたことはなかったのですが、やっぱサブスクで聞いてみちゃうよね。何故ファド歌手をテーマにしたのかは、添付したURLの作者所感に書いていますが、そこへは間違いなくファドへの愛がある。いしいひさいち本人が港町出身だというのもあるのかなと個人的には思ったりします。
 確かに聞いてみると、日本人がいきなりファドの才能を開花させるってことへの異端っぽさみたいなのも感じられていい。スタッフがセットリストを記載していたので時々聞いています。ガネクロも好きらしい。

・そんなこんなでオススメ
 
実のところ僕はいしいひさいちの作品では、テンプレのあるシリーズが一番好きなんですよ。具体的には『B型平次捕物帖』とか『遠島申し付ける』みたいな、「あそこにベンツが停まっていますね」的テンプレが最初に決まっていて、そこからいくつ笑いを作り出せるか、みたいな思考実験にも近いネタを繰り返すやつ。そこには確かに新しい笑いがあって、面白がると同時に感心できて心地いい。
 しかしそれはあくまで笑いにおいてであって、『ROCA』あるいは中学野球部をテーマにした『ゲームセット』など、いしいひさいちはしんみりする話のストーリーテリングにおいて不思議な力を発揮している気がします。経験があるようでない読後感がある。それは長いこと四コマ漫画で戦い続けた経験がストーリー漫画に反映され、不思議な反応をもたらしているからではないか。まだまだ新しい境地を切り開いていくいしいひさいち作品がますます楽しみになった一冊でした。

この記事が参加している募集

マンガ感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?