『コンセプト』について

2024年2月28日、ここに自身の音楽活動である
『コンセプト』について記そうと思う。


まえがき

コンセプトという活動を始めてから、既に「青い蝶」と「灰の時代」の2曲をリリースしてたけど、今作の
『0 → 1』がリリースされて、初めて自分の音楽活動がスタートしたと実感してる。まず、自分の曲を聴いてくれて、ありがとうございます。

元々『0 → 1』というコンセプトを掲げて、4~5曲入りのEPを自分の初作品として発表しようと思っていたけど、それを発表できるまでにはかなりの時間を
要することが分かっていたから、先に「青い蝶」と「灰の時代」を先行リリースしたっていうのが、自分の中でのイメージ。
だから、もちろん2曲とも単体として意味を持っている曲だけど、『0 → 1』に収録されることで意味を持つ曲になってる。『0 → 1』については別のノートに書こうと思っているから、今回は自分の音楽活動そのものについて書こうと思う。全てをここに記すかは書いている自分でもまだ不透明だし、いつかライブで話すことになるだろうけど、自分がなんで、何を考えて、音楽を始めたのか、音楽をやろうとしているのか、作品を聴いてくれた人たちに知ってほしい。
し、もし将来的に自分が音楽に、人生に迷い、どうしても音楽をやめそうになった時に(やめないけど)、これを見返せるように、初心を記録しておきたい。
本当に今はこの人生をかけて、死ぬまで音楽やろうとおもってる。

めちゃくちゃ長くなりそうだけど、
読んでくれたら嬉しいな。

高校時代

自分の高校時代は、まじで音楽に溢れてた。溢れすぎてた。部活もバンドだし、放課後は毎週埼玉の田舎から都内のライブハウスまで行ってたし、大型フェスは全日行くほど参加してたし、バイト代全部音楽に注ぎ込んでたし、俗にいう「ライブキッズ」ってやつだった。ライブハウスはマイノリティの集合体みたいなとこあると思うから、学校でも、バンドやってる人以外そういう人あんまいなくて、結構ういてたと思う。
けど自分はそれがマイナスなことだとは全く思ってなかったし、むしろずっと人に流されてた中学時代より、自分で見つけたものに没頭してるほうが断然よかったし、楽しかった。自分の好きなバンドマンたちはみんな「やりたいことやれ」「自分の好きなようにやれ」って言ってたから、自分自身が好きなものに没頭して、周りの目を気にしなくなって、自分のやり方で、考えで生きるようになったのは、この時期に芽生えたものだと思う。

学校のバンド以外に校外でバンド組んだり、外の
ライブハウスでライブしたりもしてたけど、この時期は音楽やるのも聴くのも、観るのも、全部「娯楽」の
1種だった。ただ好きになったものを聴いて、楽しいから弾いてライブして、楽しいからライブに行って、ただそれだけのことだった。別に音楽で、バンドで
何かしようとは、「本当の意味で本気では」思ってなかったし、続けられるだけ続けようと思ってた。楽しかったし。

大学生 コロナ禍

自分の大学生活はコロナ禍の自粛から始まった。
受験して進学した人たちからは嫌味に捉えられてしまうかもしれないけれど、ほんとにそんなんじゃなくて、中高とキャンパスも変わらないし、大学でしたいこともなかったし、サークルにも入る予定なかったから、通学できなくても全く良いと思ってたし、大学に関しては、4年間ずっとこれでいいって思ってた。
(今は、本当に大学に実際に通えて良かったと思ってる)

ただ問題は、今までの当たり前が当たり前じゃくなったこと。店は早く閉まるし、マスク社会になるし、
外出自粛になるし、テレビをつけたら同じニュースしかやってないし。ただ日常生活の生きづらさは別にそんな苦じゃなかった。いつか終わると思ってたし。

1番の問題は、

ライブハウスに行くという唯一の
楽しみを奪われたこと。

みんながみんなコロナ禍で娯楽を奪われたと思うし、制限されたと思うし、我慢したと思うし、辛い思いしたと思う。けどその中でもコロナ禍が音楽業界に与えた痛手は、ものすごく大きなものだったと思う。
もちろん、音楽業界だけじゃないのは明らかだけど。
自分たちライブを観る側は、行く予定だったライブはもちろん延期、中止になるし、SNSを観たらほんとに毎日白背景に黒文字の『ライブツアー延期、中止』のお知らせが流れてくるし、それだけでもものすごく辛いのに、緊急事態宣言とやらが発令されたり、解除されたりするから、開催ってなっても再延期になったり、再延期になっても中止になったりして、刻一刻と変わるから、それはリスナー側からしても辛かった。さらにはライブハウスが閉店しちゃう事態まで起こりうるし。それが原因で無くなったのかは分からないけど、自分の1番好きだったライブハウス「新木場スタジオコースト」は無くなった。活動休止、解散した
バンドもあったような気もしたし。

自分自身、ライブハウスに行けなくなったこと、音を生で体感することができなくなったこと、上記の事態は、想像以上に自分のメンタルにきた。

そうなった状況で辛いのはミュージシャン側ももちろんのことで、むしろ生計に関わることでもあるから、リスナー以上に大きな苦悩を抱えていたんだと思うけど、それでもなお、自分たちに何とかして音楽を届けようと暗中模索してくれる姿勢はすごいと思った。

コロナ禍でライブハウスに行くことが出来なくなって、音楽の聴き方、捉え方は大きく変化した。

コロナ禍以前、自分にとって音楽は「BGM」でしかなかったと、今となって思う。イヤホンから聴く曲も、ただ好きで聴いてるだけ、ライブを観るのも、
ただ楽しいから足を運んでただけだった。というか、
それがむしろ大衆的な音楽の聴き方なのかもしれない。
けどコロナ禍になって、家の中で、目をつむり、両耳のイヤホンから、じっくり音楽を聴く機会が増えた。
暗闇で曲を聴く機会も増えた。言い換えれば、他に何もせず、ただ両耳から音楽を聴く機会が増えた。
むしろ、1日中そうしてる日もあった 笑。
その聴き方の変化でどうなったかというと、

歌詞、言葉が心に深く染み込んでくる。

人と、バンドと、ライブと乖離されて、精神的に
弱り、孤独を感じていたことも大きな原因になって、

「歌詞ってこんなに深く心に刺さるんだ
言葉ってこんなに人の心に寄り添えるんだ」

って、素直に、何の恥じらいもなく、強く感じたんだよね。言葉の力を本当に身に染みて痛感した。
音楽って、聴こえる音、生で見る演奏だけじゃなくて、言葉も含めて音楽なんだなって、当たり前のことに気づかされた。今まで「BGM」だった「歌詞」が、
「言葉」に開花したイメージ。
もし、コロナ禍で歌詞と言葉に寄り添ってもらえてなかったら、自分は本当にどうなっていたか分からない。誰もいなかったし、音楽しかなかった。自分は音楽と、歌詞と、言葉に救われた。

こんなにも自分が支えてもらったなら、自分も、自身の言葉で、音楽で、自分と似たような、孤独で、音楽
を必要として、生きがいにしてる人を支えたい
自分の音楽で言葉で、人に寄り添いたい

これが自分が音楽を始めようと思った1番の理由

歌詞、言葉が人の心に深く刺さるものだって、身に染みて痛感したから、自分はそれを確信してる。
だから自分の言葉で歌詞を書いて、自分自身が歌う必要があった。だからベーシストからボーカリストになる必要があったし、「歌」を学ぶ必要があったし、
もっとたくさんの「言葉」に触れる必要があった。

だからボイトレに通いはじめて、たくさんの本を読むようになったけど、自分は自分の声を聴かせたいって思いより、言葉を伝えたいって思いの方が強い。
歌下手だったら曲も言葉も聴いてもらえねーじゃんって思って、練習してる。もちろん声も聴いてほしいし、めっちゃ上手くなろうって野心もあるけど、
言葉聴かせたい、言葉の力を届けたいって方が先に来る。詞で、言葉で誰よりも勝ちたい。

コロナ禍で自分の好きなミュージシャンは楽曲解説を配信してくれることが多くて、今まで聴いてたのは
こんな意味があったんだ、この歌詞にはこういう意味があったんだって気づかされたのも、音楽と言葉の力を痛感するきっかけの1つになった。
本を読むことが多くなって、言葉の美しさ、面白さを感じて、まじで「国語」の勉強を真面目にやっておけば良かったと後悔した 笑。だから今それを取り返そうと、たくさん言葉に触れなきゃいけない。

だから自分は楽曲に対して歌詞にものすごくこだわるし、そこを1番大事にする


大学生活

コロナも比較的落ち着いて、自分が実際に大学に登校するのは3年からだったんだけど、まず今まで体感したことのない孤独を感じることになる。
自分は2年の時に単位落としまくってしまったから、3年で通年フルで単位を取得しなきゃいけなくなって、春学期は30単位(15コマ)授業を取ってたんだけど、それゆえ2限から5限まで1日中学校にいる日が週2日もあった。前提として、サークルにも入ってないし、これといって友だちもいなかったし、自分から人と関わろうとしなかったから、当たり前のように1日中独りだし、昼も当たり前のように独りで食べてた。喫煙してたころは喫煙所でご飯たべてたのが懐かしい 笑。コロナ禍で家に1人でいる孤独と、大学で独りの孤独は全く種類がちがう。周りに誰もいない孤独と、周りに大勢の人がいる中での孤独。田舎での孤独と、都会の孤独。だから、感じる孤独の淋しさの種類も少しちがう。雑踏の教室の中に1人で入ってくのは最初はまじで嫌だったし、緊張するし、だまれって思ってた 笑。人の少ない静かな教室の方が断然良かった。
同時に、そんなに弱い自分が本当に情けなかった。
けど自分には音楽があった。逆に音楽がなかったら、大学生活は送れなかった。音楽は人に寄り添うだけじゃなくて、時に強さをも与えてくれる。
思えば高校の時からもそうだったけど、音楽に強さを与えてもらってた。自分がメタルコア、シャウトしてる音楽、簡単にいえばうるさい音楽が好きな理由は、
他の何よりもかっこいいと思うこと、死ぬ気、狂気でパフォーマンスしてること、反骨心、とかがあるんだけど、自分を吹っ切れさせてくれて、強さを与えてくれることも理由にある。自分はまじで弱いけど、強い音楽が強さをくれて、突き進めることが本当に多い。
むしろなかったら自分はずっと弱いままかもしれない。し、人に寄り添いたいって気持ちはあっても、強さがなかったら音楽できなかった。だから自分が音楽やることの理由に

強さを与えたい

って理由もある。寄り添いたいに含まれるのかもしれないけど、自分の中では少しちがう。だから自分も
ある程度歌が歌えるようになってきたら、シャウト、スクリームを今度は習得したい。叫びたい。

今までのことをまとめると、自分が音楽を志そうと
思った1番の理由は、

音楽を必要としてる人に、自分の音楽と言葉で
寄り添って、強さを与えたいから

孤独を体感したのも、音楽の機能に気づいたのも、
芸術にふれることができたのも、独りになることで「自分」というものを知れたのも、大学生活があったからだし、今では大学生活があって良かったと思う。
今思えば、キャンパスでも、講義中でも、ずっと言葉を探してた気がする。

『コンセプト』

そして『コンセプト』って名前で活動を始めることにした。名前をコンセプトにしたのには、いくつか理由があるんだけど、1つは「人に寄り添って
強さを与えられる音楽」をコンセプトに活動しようと思ったから、そしてもう1つは「ジャンルにとらわれない概念としての音楽」っていう形を創造したかったから。自分の音楽って自分の概念じゃんって思って、それをそのまま名前にしたっていうのもあるけど、自分はほんとにジャンル関係なく音楽好きな人だから、
色んな音楽作りたいし、ロック、メタル、ハウス、
パンク、ポップス、どれも混在した、いわばめちゃくちゃな作品を創りたいと思ってる。バンドとかだと
複数人いるからそれは難しかったりするけど、自分
1人だし自由だし、言葉に影響うけてることもあって、ジャンルとか気になんないのかもしれない。
好きなジャンル、苦手なジャンルの音楽人それぞれ
あるのは当たり前だけど、自分はそもそも音楽に
ジャンル分けなんていらないと思ってるし、音が
ちがうだけで、向いてるベクトルの方向は全て同じだと思ってるから、どうせなら色んな曲創りたいし、
聴いてもらいたい。失礼かもしれないけど、最近またこーゆー曲かって思うようなことも多くて、個人的には面白くないし、だから音楽が流行りものみたいな扱いになって、どんどん日本の音楽が廃れちゃうんじゃないかって思ってるし、どうせなら自分は誰もやったことないことをやってみたい。本気で色んな音楽大好きだし。実験してみたい。

自分が音楽をやる理由は、人に寄り添って強さを与えたいから、だけじゃない。先に書いた、「ジャンルに
とらわれない音楽を創造したい」のは

日本の音楽をアップデートして、
国に抵抗したい
国を変えたい

から。

最近日本の音楽は流行りもんみたいになってる。
音楽は「流行」ではなく「表現」である。だから、みんなに寄り添って、踊らせて、楽しませるエンターテインメントとしての機能だけじゃない。国に、政治に、
世界に訴えるための武器として、音楽は存在していると、自分は思ってる。し、自分が好きな音楽には、
そのメッセージ性があるから、自分も少しでもこの国を変えようと、世界を変えようと、発信しなきゃいけない。大袈裟って思うかもしれないけど、音楽には
本来その力が備わっているはずだし、自分はこの世界が好きじゃない。当たり前のように人が死に、戦争が起きる。日本だっていつ戦争が起きてもおかしくないのに、街は流行を追うのに生き急ぎ、誹謗中傷ばかりで、周りに流されては、情報、真実を伝えるはずの
ニュース、メディアは視聴率、話題優先でくだらないものばかりで、結局は「つくられたもの」である。
もちろん、ニュースやメディアに携わる会社、人も、
存続、生活していかなきゃいけないことなんて分かってる。でもどこか本来の機能が薄れてしまっているように感じてしまう。

「平和」に錯覚しているだけで、「平和ぼけ」しているだけだ。

「流行」が時代を作り、人々がそればかりを追うことは、「過去」を風化させることにつながると自分は思う。
過去に起きてしまった悲惨な出来事、
2度と起こしてはいけないような戦争の歴史が風化され、いつかなかったことになってしまうんじゃないかと、自分は本気で思ってる。大袈裟かと思うかもしれないけど、日本人の流行の風潮、同調圧力的なものはSNSの普及によって、もうそのレベルまできてしまっていると本気で思ってる。もう既に世間はコロナ禍のことなんか忘れてしまっているように感じるし。このままいったら将来的には、過去の歴史なんか顧みない国になってしまう。

誰かがアクションを起こさないと、まず 0 を 1 に
しようとしないと、ずっとこのままだし、自分は表現者として、音楽で、国に抵抗し、流行に逆行していかなきゃいけない。

自分は日本人の同調圧力的なものが本当に嫌いだ。
周りの目を気にしてばっかで、周りに合わせようとする、周りに乗っかる。自らアクションすることを拒む、恐れる。でもその国民性、風潮を作ったのは、
この国である。真実よりメンツの国だから、いくら経済発展しても本質的には弱い国だし、何もかも後ろ向きだ。
自分は自分で考えて生きてきた結果が、
周りと逆行、対向だったけれど、もし自分の考えを
軸に持たない人ばかりになってしまったらどうなるだろうか。誰かが嫌いって言ってるから嫌いになる、
みんなが誹謗中傷してるからしてみる、流行ってるからのってみる、そんな小さな姿勢が人を殺すし、
もしいつか国が「戦争は正義だからしよう」なんて
言い出しても、止める人が少なくなってしまうかもしれない。
さっきから流行について書いてるけど、流行にのること、流行してるもの、が決して悪いこと、ものって言いたいわけじゃなくて、あまりにもそれ頼みになってるっていうか、それが文化を担いすぎてる、その風潮が良くないって言いたい。

同調の姿勢がこの国の根幹にあるから、ずっと弱いままだし、だからこそ自分は音楽で、周りの人に強さを与えたい。自分が生きたいように生きていんだよ、
やりたいようにすればいんだよ、周りの目なんて気にしなくていんだよ、対抗して、抵抗していんだよって伝えたい。

今までのことをふまえると必然的に、自分の楽曲は
流行に逆行するものになっていくし、だからこそ
最先端を目指しているけれど、同時に、昭和歌謡とか、古き良きものを取り入れたいと無意識に思っているんだと思う。

流行した音楽が、音楽の機能を持っていないなんて全く思ってない。し、流行した音楽がだめなんて全く思ってない。流行る曲を作ろうとして作った人もいるだろうし、たまたま流行って売れた人もいるだろうし、それを作ることができるのも才能だし、流行るべくして流行ってるんだと思う。

ただ、メディア、SNSの時代で、そこに登場する音楽が日本、その時代を象徴する音楽になってしまっている中で、
自分が言いたいのは「音楽」=「流行」っていうイメージがあまりにも広がりすぎていること

もちろんみんながみんな好きな曲を聴けばいい。別に音楽は流行でいいじゃん!って思う人ももちろんいると思う。
でもみんながみんな、周りの人が聴いてるからって
理由で曲を聴いて、それがメディアに、日本の音楽の最前線として出てることは、国の退廃につながると、本気で思ってる。

本当に流行りの曲とか、それを聴いてる人が悪いって言ってるわけじゃない。 
自分は国の風潮を少しでも変えたい。

音楽にかぎらず、周りに否定されるかもしれないものであっても、自分が肯定してるものは、肯定してるって心から言えるようにならなきゃだめだと思う。
逆に周りが肯定してるものであっても、自分が否定してるものは、否定してるって言わなきゃだめだと
思う。

身近な同調の姿勢が束になって、誹謗中傷の渦を
作り、人は死んでるし。人の人生は狂うし。
寄ってたかるんじゃなくて、それは違うでしょって、
そうじゃないでしょって、言える人が増えていかないとだめだと思う。
自分だってこんな小さな所で訴えていたくないし、
いつか大勢の前で、国に向かって音楽で、言葉で、
訴える。

そのために、死ぬまで音楽を続けていかないといけない。


さいごに

ここまで読んでくれてありがとうございました。
自分と、自分の音楽のこと、少しでも知ってほしかったし、自分の音楽を好きになってくれる人、応援してくれる人、音楽を愛して生きている人たちはみんな、仲間だと思ってる。

自分の音楽は大衆に向けたものじゃなくて、個々に
寄り添おうとしてるものだから、「みんな」にじゃなくて「誰かに」刺されって思ってる。
だから1人1人が好きになってくれた自分の
『 コンセプト』が、少しずつ、少しずつ広がっていって、いつか大勢の人に届いて、大勢の前でライブ
したいなって思う。
好きになってくれた人が、ずっと応援してくれるような活動をしていくし。
自分が好きな音楽を好きな人が沢山いるってことは、
自分の音楽を好きになってくれる人は必ずいるはずだし。
大海原から、自分の音楽を必要としてる人を見つけだす感覚。

だから応援してくれる人1人1人を大事にしたいし、
だからこそ他人に興味ないまま人から目を背けてるんじゃなくて、もっと人と人とつながっていかなきゃ、
応援してくれる人大事にできないじゃんって、今この瞬間に思った。

これから本当に長い道のりになるんだろうけど、
書きたい詞も、やりたい音楽も、ライブしたい場所も、歌えるようになりたい曲も、伝えたい曲も、言葉も、届けたい人も、無限にあるし、自分の好きな音楽が残り続ける限り、自分の音楽も、きっと永遠だ。

まずはライブに向けて練習することだ。

ご一読ありがとうございました!


「平和がはびこる街
僕ら 何を歌って 書くべきか
一生分の言葉で問う」


木檜旭


コンセプト - 「0 → 1」

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