てらっぱだけのご主人が亡くなった話

てらっぱだけのご主人が亡くなったことを今日、ある人から知らされました。

と言って「ああ、あの人か」と分かる人は少ないでしょう。

震災数年後、私が雄勝診療所長を半年とちょっと勤めたことは前にも書きました。その時、雄勝にはほとんど全てのものが無かったのですが、一軒だけ、蕎麦屋がありました。わたしは蕎麦通ではありません。美味いか不味いかくらいしか分かりません。この蕎麦は美味いな、と思う時もあれば、こりゃあちょっとと思う時もあります。その程度です。そうですね。美味い蕎麦屋同士を比べてあっちが美味い、こっちが美味いというのは、素人には無理です。しかし碌でもないチェーン店の蕎麦とまっとうな蕎麦屋を比べたら、なるほど本職は違う、と言うのはおそらくたいていの人は分かると思います。

しかしそれを前提にして、てらっぱだけの蕎麦は私が約60年の人生で食べた内の、5本の指に入っていました。

前も書きましたが、私が診療所長だった頃の雄勝は、至る所が工事現場で、住む人は当時で2千人。そのほとんどは旧市街地ではなく周辺のリアス式海岸の岬に家があってあの大津波を逃れた人々でした。

しかしてらっぱだけは、その赤土の工事現場から目と鼻の先にありました。私が勤務していた診療所からも車を飛ばせば(えーと、まじで飛ばせば、と言うことです。田舎道の制限速度40kmを守って、ではないです)、5,6分で行けましたので、私は出入りの業者の弁当に飽き飽きした(じつは頼んで7日で飽きたんですけど)時はふらっとてらっぱだけに行くことがありました。天ざる1600円ぐらいでしたから、なかなか雄勝の人には手を出しにくかったお値段でしたが、あそこの天ざるは仙台のちょっとした有名蕎麦屋にはとうてい太刀打ち出来ないものでした。蕎麦も見事だったし、天ぷらも所謂「蕎麦屋の天ぷら」では無かったのです。

ご主人とは、昼飯を食う他にも、時に話し込むことがありました。何しろてらっぱだけの窓の外には、一面工事現場の雄勝が拡がっています。ねえ、これってどうなるんでしょうねえ、という話をしたことがあります。ご主人も、「いやあ、こういう復興は誰も望んでいなかったんですけど、今更どうしたら良いのだか」と言いました。

ある時そのご主人が、「昨日から頭痛がする、首と頭が痛い」と言って診療所に来られました。日頃病気一つしたことが無い人でしたが、かなり強い痛みを訴えていました。その時の雄勝診療所って、プレハブだったし、レントゲンは胸と腹ぐらいしか撮れなかったし、採血はほぼ全部外注で結果が返ってくるのは翌日、あるいは悪くすると二日後でした。その時のご主人の症状に対して私がやれたことは、明治時代と同じことでした。触診して、聴診して、首が痛いというので寝かせて首を持ち上げて痛むかどうか。ご主人は私が彼の首を持ち上げたら痛いというので、ほかになも検査所見が得られませんから、脳炎疑いとして日赤に送りました。雄勝には当時、生活するために必要なものはほとんど無かったのですが、消防署はあったんです。消防車が一台、救急車が一台ありました。それで私は救急搬送依頼をして、彼を日赤に送りました。

一週間後、ご主人はご自分で歩いて(そりゃ雄勝ですから、車で、と言う意味です)再来して、日赤からの返事をご持参されました。日赤の診断は、Crowned dens、頚椎偽痛風でした。頚椎偽痛風というのは第2頚椎にピロリン酸が起こして生じる炎症です。しかしその当時、この疾患は世界的に「そういう疾患がある」と言われて10年ぐらい、と言うものでした。脳炎と誤診したと私がFBに書いたら神戸大学医学部感染症科教授の岩田健太郎先生が、crowned densはわからなくてもやむをえないというコメントを下さったのを今でも覚えています。

今思い返すと、あの当時、雄勝に存在した知識人というのは、あのご主人と私、唯二人でした。雄勝操業支所の役人どもは、一人残らずど田舎のクソ役人でした。なんですかねえ、どいなかの潰れそうな高校で思いっきり下駄履かせて貰って卒業してコネで役場に入り、しゃべれる日本語はただひとつ「できません」。そういう連中だったのです。推測ですが、あそこの役人連中はどのみち今でたいして変わらないだろうと思っています。しかしててらっぱだけのご主人と接して「この人は雄勝にいるけれども充分に世界を見る眼、教養がある」と感じました。そしてあの当時私がそう感じたのは彼だけだったのです。

その方がどういうことで亡くなられたのか、私は現時点で何も知りません。消防署を定年で退官してから蕎麦屋を開かれたはずです。だから60代ぐらいでしょう。少なくとも今の日本の平均寿命に達して亡くなられたのではありません。 それであの店はどうなったのですか、と訊いたら、そのご主人の消防署時代の後輩の方が後を継がれるそうです。それで、今は奥さんが跡を守っておられるのだそうです。明日は祝日だから、お店が開いているどうか分かりません。しかしいずれにしろ、私はなるべく早く雄勝に行き、菩提を弔うつもりです。

故人の霊が安らかでありますように。 https://www.ayumino-clinic.com

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