今ここにある自己責任論と私たちの幸福追求権について〜朝ドラ「ちむどんどん」総評

終わっちゃいましたね。ちむどんどん。

朝ドラ総括をnoteに書くのは何気に「なつぞら」ぶりですね。お久しぶりです。勿論、他の作品も見てはいたのですが。

外野に対する忸怩たる思いは置いておいて、私は非常に楽しんだ半年だったので、そういう話をします。そういう話に乗れない人は「にんじんしりしりは包丁で丁寧に千切りして、香味野菜の風味をしっかり馴染ませた油で炒めると、塩だけの味付けでもとても美味しい」ということだけ覚えて帰ってください。菜種油でもごま油でもオリーブオイルでもそれぞれに美味しいし、一番のお勧めは鶏油です。

さて「ちむどんどん」個人的には、かなり主張の強い話だったなという感想です。「自分の心に向き合い、したいことをする」「好きな人のことは何があっても諦めない」というテーマについて、ときに過程を省きつつ、無理やり目に物事が解決することもありつつ、貫きとおしているのが豪気だなあと思っていました。

顕著なのが最終盤、沖縄移住を決める話です。前振りとして、子育て環境としての東京への疑問があり、夫の和彦にも「沖縄をライフワークにしたい」という夢がある…と語られてきたうえで、暢子が決めたのはあくまで「私がちむどんどんするから」。あくまで主語は自分、というところに、改めて拘りを感じました。

沖縄を舞台にした朝ドラは「ちゅらさん」も「純と愛」も最終週は地元に戻ってきます。ちゅらさんの恵里は心の不調を抱えてしまった息子と、自分の健康上の理由のため。純と愛の純は積年の夢をかなえるためでもありつつ、若年性認知症を患った母のこともあっての帰郷。勿論、彼女たちも「自分の今したいこと」を見つめたうえでの帰郷なのですが、そこに「家族」とか「健康」とかも密接に絡んできている。
正直、そのほうがわかりやすいんですよ。みんなを巻き込んで夢を叶えてきた暢子が「ずっと走り続けてきたし、今は家族のターンだし、家族と向き合うのが私のやりたいこと」という帰結で帰郷を選ぶほうが。でも「絶対にそうしない」。そこに、強い意志があるのだと感じました。

思い返せば、苦学のうえで教師になり結婚・出産した姉・良子が「子供の側にいたい」という理由で職を辞し、しかし数年後に「やっぱり社会と繋がっていたい」という理由で復帰を志す話にも、強い意志を感じました。このエピソードも「産休後に一旦仕事を辞める」話がなければ、あるいは辞めた理由が産後の不調や婚家の圧力であれば、良子はわかりやすく共感されたと思うのです。しかし良子はそうならない。自分の意志で仕事を辞め、自分の意志で復帰したがる。

もっと遡ると、やはり子供時代の上京キャンセルエピソードに行き着きます。一旦は決めた東京行きを土壇場で翻して、暢子はバスを降りてしまう。パスポートも飛行機のチケットも、東京での生活もすべてふいにして。家に残った借金の問題も棚上げにして。

確かにそれは向こう見ずでアホで考えなしで、他人に迷惑をかける行動かもしれない。
我儘で共感しづらい行動かもしれない。

それでも、私たちは他人様に心ばえのよさを褒めてもらったり、健気さを共感してもらうために生きているわけじゃないから、別に我儘だっていいんじゃない?
それが半年間「ちむどんどん」を見てきて感じたことです。

正直、暢子の上京キャンセルと、その後始末をぶっちぎって高校編がスタートしたときは私も「積み重なった問題はどうするんだい?」と思いました。今でも、あのバスを降りたところで問題は何も解決せず、比嘉家はほうぼう頭を下げて迷惑かけて借金返済を待ってもらったりしたんだと思っています。

それでもあのとき暢子は「バスに乗って東京へ行く」という健気な自己犠牲より「バスを止めてでも家族の元へ帰る」という我儘な決断をしてよかった。

そして、「私のちむどんどん」のためなら我儘にもなるし他人も頼る、家族も巻き込む性格の暢子だからこそ、洒落にならない失敗を重ねた兄・賢秀や同僚・矢作のことも、見放さずにいられたんだと思います。

ちむどんどんするかしないかを基準に生きる。その過程では他人に迷惑をかけることも、他人に迷惑をかけられることもある。それでも、できる範囲で手を取り合って生きていこうよ…という主張であり祈りがあったこと。

「個人が他人に迷惑をかけないこと」を最優先とされがちな現代において、そういう主張の物語が紡がれたことを、私は嬉しく思います。

あのとき、自分の心に従って決断してよかったと思えるのは、ひとえに「今の自分」が幸せだと思えているからだよね…というのを、最終話で賢秀の孫がつけているコスモバンドという謎ヘアバンドで回収していたのも良かったです。

貧しい中で我儘言って買ってもらったガラクタであるマグネットオーロラスーパーバンドを、馬鹿な失敗を重ね家族にも他人にも迷惑かけてフラフラと生きていた賢秀がずっと大事にしていたこと、結局それをわかりやすく「卒業」せず、似たようなものを孫に買ってやってニヤニヤしていること。
名入りの包丁や三線や沖縄そばのレシピ…といった素敵でわかりやすい「親から子に受け継がれるもの」に、マグネットオーロラスーパーバンドが入ってくるの、愛だなあと思うし、あのときあれを買ってもらえたのは賢秀にとって「よかったこと」なんですよね。
「あのときこうしてよかった」という実感は、幸せな日々の積み重ねによって生まれていくものなのだ。

自己責任論の跋扈する世の中だからこそ、個人の幸福追求権について、腰を据えて考えたくなった半年間でした。

羽原大介先生、黒島結菜さんはじめキャスト・スタッフの皆さま、どうもありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?