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マイナス思考優位型人間


人間の心配事の9割は起こらないというのを真に受けて、だったら心配していた方がその事柄は起こらないんじゃないかと思っていたりする。なので、常に最悪の事態を想像して暮らしている節がある。 正直めちゃくちゃ疲れる。でも、思ってもいなかった最悪の事態に直面するより、こうしたほうが気が楽なのだ。

嫌なことが起こったら、自分にとって一番最悪な出来事を思い浮かべる。そうすると、それよりマシだと少し思えるから。このことを知人に話したら、「でもその一番最悪なことが本当に起こってしまったらそのときはどうするの?立ち直れないんじゃない?」と言われた。確かにそうだとも思ったが、わたしはこうすることしか回避方法を知らない。

1日を振り返るときに今日あった良かったこと、できたことを思い出すとその日は案外悪い日じゃなかったと思える、みたいなライフハックを試してみるものの、わたしはハッピーなことより明らかに悪いことのほうが記憶していることがわかっただけだった。

楽しかった出来事よりも嫌だったことの方がよく覚えているし、ふとしたとき(特に眠れない夜)に思い出すのは100%思い出したくないことばかり。楽しいことを思い出そうと頑張っても、そこから連想ゲームが続きいつも嫌な思い出に辿り着いてしまうのは最早才能だと思う。

何かをやらなくちゃいけないとき、そこに「やらなくていい」選択肢はないのかを考える。
「やらなくてもいい」選択肢があってそれを選べるなら大抵のことはわたしは「やらない」。そういう人生を歩んできたし、歩んでいると思う。
「やらない」ことのメリットは「やった」ときのリスクを伴わないこと。現状維持ができる。デメリットは、変われないこと。その先にもしかしたらあるかもしれない「チャンス」を圧倒的に逃していることだと思う。

人はなにかを選択するとき、リスクを考える人(=マイナス思考優位)と、明るい展望を考える人(=プラス思考優位)の2種類がいるなぁとふと思った。
わたしは圧倒的マイナス思考優位なので、選択をしたときに起こり得る弊害からまず考えてしまう。そして大抵その場で足踏みして終わるのだ。
夫はどちらのタイプか聞いてみた。
「俺は、何も考えてない」
…どうやら人間は3種類いるらしい。

人の悪意に触れた時、どうしてこんなことを言うのだろうと考えてしまう。考えるだけ絶対無駄なのに。
特にSNSは人の悪意に溢れている。見なきゃいいのに、見たい情報もあるから難しいところ。うまく棲み分けしなければならない。
世の中、知らなければ幸せなことって沢山あって、それを知りたいかどうかは人によると思う。わたしはできるだけ知らなくていいことは知りたくない。例えばアイドルの噂話とか、そんなの知って何の得があるのだろうと思う。ゴシップ系の話題はもううんざりなのでここ数年テレビもほとんどみていない。好きなものや人が勝手にアレコレ言われるのをみていられない。
言いたい人は言えばいいけど、わたしの目につかないところでやってほしいなぁ、なんて思ったり。

わたしも無意識に誰かを傷つけているのかな。
過去を振り返るとそういうこともあったと思う。今思い返せばひどいことをしてしまったな、とか、本当は嫌だったんだろうなとか、後悔することがある。大人になったから振り返ってみてわかること。
謝る術もないし、謝ったとして何かが変わるわけでもない。はたまたその人が本当にそう思っているかもわからない。難しいなぁ。

あんぐり猫ちゃん


いよいよあと数日で今年度が終わり。
この1年、本当にあっという間だったなぁ。
とても穏やかな1年を過ごせたことに、夫に感謝しなければ。もちろん、猫ちゃんにも。

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