「沖縄のピカソ小波津有希」私の娘🩷絵美🩷のメッセージ🩷絵美(14歳)の時の「母」言霊🙏智恵美

「母」みんなよりも強くて生きていた☀️人生の中で欠けているのが☀️あるから☀️これから先も強く生きていていこー!☀️みんなとちがつての母子家庭☀️父の存在に憧れていた☀️日もあった☀️悲しいときあつた☀️でも☀️それが☀️自分の人生だ☀️受け止めるしかない現実☀️うずうずしちゃいけない今☀️母のSOSを助けるために!☀️楽にしてあげたい☀️強い思い☀️いっぱい☀️笑顔を見たい☀️そのためには自分も☀️強くなろうー☀️
みんなより強く生きてきた☀️人生の中で欠けているのがあるから☀️これから先も強く生きてていこう!
4人兄弟と母の毎日☀️母は仕事でいつもバタバタ☀️兄弟は☀️家事☀️バイト☀️その頃中学の私は☀️歌手の夢をおいながらも☀️母の手伝い☀️たまに歌詞を書けば🩷褒めてくれる母☀️笑顔になる母☀️そんな母が好きだった☀️だから☀️いっぱい書いたよ☀️もっと笑顔みたいから☀️きっと10年後には夢達成したかな?☀️母は楽に生きているかな?タイムマシンがあれば☀️見に行きたいよっ!☀️きっと笑顔あふれる毎日を☀️過ごして☀️大好きな歌詞を書けば🩷母に見せていた未来そんな事を夢みながら☀️また頑張れる☀️ずっと☀️いつまでも🩷🩷娘絵美14歳の時の詞が、オペラ歌手の知花かつあきさんが、作曲、絵美が作詞「母」が歌になっています。神の島久高島に行って一気に14ページ詩を書いていました。「天使の羽見つけたよ」有希(12歳)絵美(14歳)本出版しました。新聞掲載されました。最終は、産経新聞に「天使の羽見つけたよ、わが息子小波津有希13歳」が真ん中にメインに紹介されていました。その時、有希21歳でした。絵美は、東京で新聞購入した時、とても感動していました。沖縄では、産経新聞は、販売していませんでした。降旗康男映画監督さんの許可で「沖縄のピカソ小波津有希 21年の軌跡」の帯に紹介していました。凄い奇跡は、降旗康男映画監督さんの出会いは、有希13歳の時から応援メッセージを頂いていました。有希14歳、パレットくもじ7階の美術サロン初個展の時にランの花を東京から送って、美
術サロン担当者もビックリしていました。小波津有希14歳個展は販売は、メディア、テレビ、ラジオ、新聞掲載されました。最年少のギネスの展示販売成功しました。今年27歳パレットくもじ㊗️ペンキアートの30号が、110万円の価値に評価されました㊗️有希叶いました。ダウン症重度の息子有希は、声も出せません。意思表示も出来ません。3年外泊拒否、バセドウ病の治療も在宅訪問医療を受けています。自宅で医師、看護師で採血もしています。人生最悪の状態でも、絵画を仕上げる時は、180度変身します。一気に大好きな音楽に合わせて仕上げています。後からメッセージが浮き出てきます。絵画を購入した方か、幸運を呼ぶ絵画と言われています。。色々なご利益を体験したそうです。嬉しいコメント頂きました。「沖縄のピカソ小波津有希」幸運を呼ぶダウン症画家で紹介しています。「沖縄のピカソ小波津有希」知的所有権受理しています。外国迄飛躍しました。私の夢は、オークションクリアの為に色々な事にチャレンジしています。皆様の応援よろしくお願い致します。母智恵美㊗️🩷🌈

「沖縄のピカソ小波津有希」の歩みを紹介しています。応援よろしくお願い致します。㊗️母智恵美🩷❤️🌈

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