「沖縄のピカソ小波津有希」有希誕生からの歩み🩷智恵美

🌈有希の百日写真は、世界の国旗で、私の手作り服、有希の墨絵の情報が、世界まで届くように、人に愛される有希に心から祈ります。

🌈守っていかなれば、いけない命、有希産まれてありがとう
好き、好き、大好きです
あなたの笑顔、可愛い
お母さんを選んでありがとう
有希の出会い感謝します。
障害でも喜んで受ける。

🌈沖縄の青い海、青い空
深呼吸すると、心が晴れ幸せ気分になります。
家族で好きなアイスクリームを食べながらで車でドライブ最高です。
沖縄は、心の絆大切にします。

🌈有希、ひまわりの様に我が家を明るく照らしてくれてありがとう。
サンフラワーのように太陽エネルギーで心を充電させる力
夢をありがとう。

🌈有希のおばあちゃんの愛
有希の障害で苦しんでいる時
「後から、後悔する事するな
今出来る事をしなさい」
「笑う人に福あり」
「道が開いた羅、すごい事になる」の言葉。心に身にしみました。
母親に感謝です。

🌈有希は、猫が大好きです。
障害の子は、動物を優しくいたわります。愛を与えます。
招き猫で有希の心を癒やしてくれます。我が家も白い猫のマリー
愛犬のボブは、家族です。
有希を守っています。

🌈有希の小さい時は、好きな食べ物は白いおにぎり、ラーメン、沖縄そば、野菜炒め苦手でした。有希の心を癒やしてくれた、先生、お友達との出会い。苦手な野菜炒めも食べた事にビックリでした。苦手は、出会いで克服出来した。

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有希は、言葉、意思表示、声無しでも、皆んなに愛を与えています。小学2年生の時に与那原小学校から、西原小学校に転校しました。与那原小学校でも皆んなのアイドルの状態で津嘉山先生は、学校の文集に「こうき遊ぼうの声かけ....,」小学校1年に言葉を言えない有希の代弁して、文章に絵美(2年生)美樹(4年生)辰弥(6年生)全員が、与那原小学校の文集に掲載されていました。津嘉山先生の温かい有希で癒されたので、有希の心に感銘受けての代弁したそうです。いつも有希の周りに上級生、年齡関係なく有希を守っていました。引越しで文集は、手元に無くてもいつまでも、甦りがえります。
西原小学校2年生の転校も大丈夫でした。担任の先生も癒されて「天使君❣️」のニックネームを付けていました。授業は、パソコン操作で有希に指導していました。今でもパソコン操作出来ます。ビデオDVD見る操作も出来ます。iPadで似顔絵を描き方を、絵美が教えたら完璧に沢山仕上げていました。パソコンでDVDのチェンジの操作出来ます。私は、パソコン教室に行っても苦手で全然出来ませんでした。パソコン操作が完璧だったら人生も進化していたと思います。有希は、意思表示出来なくても、字も書け無い、理解出来ない有希が、パソコン操作出来るのもミラクルです。七不思議で先生の仕方をマスターしていたと思います。iPadの操作簡単でYouTube見ています。天使君のニックネームで皆んなに愛されていました。有希のお尻タッチで先生、生徒、私も癒されていました。整体を受けているみたいにスッキリ軽くなる有希のハンドパワーでした。5年生の時に西原町から、文化の表彰、娘二人もスポーツ部門で卓球で全国派遣🏓で3人が表彰は、有希3歳で他界した夫は、西原役場職員48歳の人生でした。夫も長距離マラソンで盾、メダル亡くなった後に分かりました。一言も言わなかったです。似顔絵も百恵さん、草刈り正雄さん、南沙織さん、西田敏行さん、もそっくりの似顔絵でした。一言も言わなかったです。亡くなった後に夫の実家にありました。今は、我が家の宝物として保管しています。子供達4人は、お父さんの譲りでした。しっかり有希の才能は、お父さんが、後押し天国の応援団長として、筆を一緒に6歳の時に漢字、ひらがな、アルファベット、馬、羊、妹、天、知念先生のち、の、祈りの女の方の墨絵、炎のタッチの火、馬の絵、羊の墨絵で色々なメッセージを書いていました。人の目、漢字の目も力強く筆持って描いて時に書道家生知念先生が、沖展の審査員レベルと高く評価していました。有希6歳の時に付き添いの有希に「この子に書かせてご覧」で筆タッチにとても感動していました。私は、有希3歳の時に、夫、姑が悪性リンパ腫、白血病の健康願いの拝み、祈祷師{ユタさん)に500万で拝み(国帳簿)の沖縄の四隅の国帳簿の神様の力を頂きました。辺戸岬で「🖌️筆が降りる」有希3歳の時に口出しのお告げでした。筆降りるのダウン症重度の息子有希が、6歳の時に漢字馬を書いた時の知念先生の衝撃の感動でした。塗り潰しても、翌日に人の目、鼻、顔、十二支の映像が浮き出ていました。今でも墨絵、絵の具、ペンキアートても筆無しで、浮き出てきます。有希ワールドの世界です。筆のタッチは、審査員レベルと言っていました。有希9歳で知念先生は、私の夫と一緒の悪性リンパ腫でした。行きたくても生きる事は、出来ませんでした。、最後迄生前遺言の口出しでした。「外国で有希、成功させなさい、日本のより外国の評価は、プラスになる。絵を仕上げる時にティッシュ使ったり、竹ぼうきのタッチ、色々な仕上げ方、「首里城の瓦を復元した奥原崇典先生に画家の認定のサインを貰いなさい」で有希9歳の時に沖縄のテレビで、奥原先生が、沖縄のテレビで、有希の画家の認定しました。書面にも「画家は証を作る。有希は、証を作っている」画家の認定にサインしました。篆刻も奥原先生が、我が家にきて篆刻を彫らす為に来て2個仕上げました。サインに篆刻を押して下さいました。完璧な認定書でした。有希14歳の時もパレットくもじ美術サロンの推薦は、有希9歳の時に担当者に言っていました。9歳の時に目が沢山書いていました。馬も描いて画家の認定しました。知念正は、奥原先生にバトンタッチしました。「何でも奥原先生にお願いしなさい。有希19歳は、全国番のテレビで有希9歳有希 紹介されました。有希19歳で奥原先生は、他界しました。二人の生きてたくても生きる事が、無念を表に出したい気持ちで、ここ迄したたか踏ん張ってきました。有希27歳で人生エンジョイしています。ビデオを見たり、作品を仕上げたり、好きな事で夢達成しました。OK🩷 NOの手話でOKです。好き事な事で言葉無しでも助けられます。神様も、応援しています。母智恵美㊗️🟣🌈
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🌈有希のおばあちゃんの家、苦しい時、家族の絆助け合いの精神は、強いです。いつも明るく、楽しく
有希は、皆に愛れています。

🌈沖縄では、人との触れ合いは、自然です。人と会ったら
声かけてくれます。障害は、気に
しません、逆に助けてくれます。沖縄の土地が癒しの島です。
笑い声も聞こえてきます。

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