見出し画像

横浜に3回目の引っ越しをしたので、気持ちを書き残しておく

Facebookの投稿の転載です。
横浜に引越して1ヶ月が経った。実は横浜「に」引っ越す、という経験は今回で3回目になる。

横浜にひとり上京

1回目は、18歳の時。
大学進学と同時に横浜に。「吉村家」という有名な家系ラーメンの前にある小さなマンションに住んでいたが、人の多さ、賑やかさにただただ圧倒されたのを覚えてる。夜もうるさかった。脱法ドラッグの販売店があったり、ドンキ前で顔面流血してるヤンキーがいたり横浜西口の本当に治安の悪い場所だったが、案外少し歩くと下町も残っていて、福岡から上京してきた自分にはなんとなく心地よかった。

「横濱」を知った20代

2回目は、24歳の時。
スタートアップに入社し深夜まで働きながら、恵比寿のハンバーグ屋の上にある雑居ビルの3階のオンボロアパートに帰るという生活。深夜、変な音で起き立ちションベンを玄関に引っ掛けられ「流石にやばい」と感じて横浜に引っ越した気がする。
引っ越した先も関内の飲み屋街だったが、セキュリティのしっかりしたマンションでとても良いマンションだった。いわゆる横浜の旧市街と呼ばれるエリアで、横浜の本当の楽しさを知ったというワクワク感があった。
実はそれから横浜の中で、3回も引っ越してる。みなとみらいや北仲という立派なエリアにも住んだが、自分はやっぱりこのぐちゃぐちゃな関内が一番好きかもしれない。

人生3回目の横浜への引っ越し

そして32歳。
2回目の引っ越しの時に感じた、「横浜に戻ってきた」という不思議な感情は全くなく、横浜に来ることへのワクワク感、ドキドキ感は全くなかった。どちらかというと上京した1回目の引っ越しと同じような妙な感覚がある。

地方から都会に行くという決意


初めて18歳の時に上京し、19歳の時に会社を立ち上げた。
中学生、高校生時代にずっと続いていた福岡でのモヤモヤが、東京(横浜)ではやれる気がした。
今回の「上京」も同じような感覚がある。
山梨に30歳の時に引っ越して、びっくりするような刺激がたくさんあった。でもその刺激を地域で発散している人はたくさんいた。福岡にいた時と同じような感情。
「これはもっとたくさんの人に伝えたい」同じような思いがある。
あの頃から14年が経ち、社会は大きく変わったなと思う。自分が上京した当時は、2009年で、経済は最悪の状態だった。そこから2年弱がたち、震災が起きた。崩れたものも多かったが、たくさんの芽が生まれた。自分もこの10年間でいくつかの芽は芽生えさせてきた思いはある。

今の話

2023年。インターネットビジネスはより巨大な産業となり、何十億、何百億という巨額な資金を使って事業を作るようなものになってきた。芽を出すだけでは許されず、大きな幹を作ることが求められ、ぐっとハードルが上がったように思う。誰が聞いてもうまくいきそうな事業ばっかりになってきた。

学生の頃はよく勝手にいろんな人に連絡してた。「学生です!というだけで誰でも会ってもらえるよ」と誰かにアドバイスをもらい、連絡しまくって、いろんな人に会ってた。時には「こっぺ食堂」をやって人を呼び寄せてた。この1ヶ月でここまでやれてないな、ちょっと反省。

10年経って、なんかちょっと自分衰えてきたな、と思う。時空を越えられるなら、初めて上京してきた頃の自分に声をかけて一緒に起業したいくらい。今次の事業をいくつかトライしながら、ライスワークとしてベンチャー数社のお手伝いをさせていただいている。その中で、20代前半の数名でやっているベンチャーがある。自分がこれまでやってきた領域に近い事業をスタートアップの枠組みでトライしようとしていて、日々試行錯誤している。

先週は、新しい機能の壁打ちをしてもらったが、
「やってみないとわからないから、さっさとやろうぜ。」と立派にコメントする自分。
自分に言い聞かせたいよね。
なんとなく、最近は10代の頃によく通ったスタバやカフェで仕事するようにしてみるようにしている。

あの頃のように一瞬を必死に生きるように、明日からも頑張ろうと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?