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再帰性(3):Pillow(2003)の感想

今回の記事では,Pillow(2003)を読んだ感想をまとめておきます。
簡単ではありますが,論文の概要を整理した後に,私のたんなる感想を列挙しておきます。

読んだ論文はこちら:
Pillow, W. (2003). Confession, catharsis, or cure? Rethinking the uses of reflexivity as methodological power in qualitative research. International journal of qualitative studies in education, 16(2), 175-196.

論文の概要

論文のアブストラクトを翻訳すると次のようなことが書かれています。

再帰性は質的研究において一般的に用いられており、質的研究者が研究実践や表象を正当化し、検証し、疑問視するために用いることのできる、また用いるべき方法として提唱され、受け入れられてきた。
本稿では、モダニズムやポストモダニズムのイデオロギーの中で、質的研究における表象や正当化をめぐる議論や疑問と交差する方法論的ツールとしての再帰性の役割を精査し、再帰性が今日の研究でどのように定義され、使用されているかに注意を払う。
具体的には、「自己の認識としての再帰性」「他者の認識としての再帰性」「真実としての再帰性」「超越としての再帰性」という、今日の再帰性の使用における4つの一般的な傾向の問題点を明らかにし、議論している。
著者は、快適な(comfortable)再帰性の使用から、不快な(uncomfortable)再帰性の実践と呼ぶものへの移行を主張し、不快な再帰性を実践する3人の著者の仕事を概観する。
不快な再帰性の実践は、より良いデータを得るための方法論的ツールとしての再帰性の使用を中断させ、同時に、参加中の質的研究を行うことの複雑さを直視させる。

考えたこと

  • 再帰性に関する4つの区分は,なんとなくわかった。
    この分け方も自分で科学教育の再帰性を考えるときに使えそう。
    この論文には,再帰性の区分として,Denzin & Norman(1997)の「方法論的,間テクスト的,立場的,クィア的,フェミニスト的再帰性」とMarcus(1998)の「再帰性の4つのスタイル」が引用されている。これらについても後ほど追跡しないといけない。

  • 細かな内容はほとんど理解できなかった。
    再帰性を方法論的な再帰性,研究の妥当性を向上させる方法として理解していたが,そう単純なものではないということだけわかった(筆者のいう「不快な再帰性」)。
    再帰性について1990年代から議論があるようだけど,そこについての前提知識,理解がほぼないので,細かな内容がほとんど理解できなかった。今後は,日本語の文献に切り替えてまずは日本での議論を理解するように努める。

  • J-StageやCiNiiで少し調べた限り,教育学では,教職の特徴の1つとして挙げられるなど,議論はありそう。科学教育ではなさそうな感じ。数学教育では数件ある。社会学での議論が厚そうなので,そこの日本語文献から読むのが良さそう。


今週はPillow(2003)を全然理解できず,テンションが上がらなかった。丁寧に文献読んでいって,Pillow(2003)の細部を理解できるようになりたい。
今週から大学の講義が始まるけど,ちまちまと読む。

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