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重源:鎌倉時代のCMO

重源というお坊さんがいる。浄土宗の僧だ。ずいぶんな年寄りになってから重役を任され、平家の焼き討ちで消失した東大寺南大門の再建に苦心したことでよく知られている。

京都や奈良、鎌倉では時代ごとに様々な建築がたてられたが、都市に建った多くは諍いなどで焼けてしまった。東大寺もまた、1180年に平家の南都焼き討ちにより大仏殿が焼失してしまう。そこで重源は偉い人に再建を進言し、任された。重源はかつて中国で建築に関する技術を学んでおり、それが認められたのである。

再建の費用は寄付で集められた。重源は1181年に「勧進上人」という名をもらっている。勧進は今でいう「寄付」のことだ。

南大門には、極めて独特な建築様式が採用されている。大仏様という。1182年に重源は宋人鋳物師「陳和卿」以下八名の工人を博多で大仏再建に引きずり込んだ。この陳和卿が何者かはよくわかっていないが、高い技術を有していたらしい。大仏様の特徴として中国南方にみられる珍しい技術(挿肘木の組み物)が東大寺南大門に使われているが、これは陳和卿らが持っていた技術と想定されている。

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1185年には、大仏の再鋳、開眼供養が行われ、1195年には大仏殿が完成(残念ながらのちの戦争で焼けてしまう)し、1199年には南大門が完成した。1203年には総供養が行われる。このとき重源は83歳である。

その後浄土宗を信仰していた重源は浄土寺浄土堂を作る。これには板敷きなどの日本的な作り方と、面的な装飾や隅部の挿肘木を用いた組物などの中国的な要素もみられる。

重源はなぜこの事業に取り組んだのか?

僕が最も興味深いのは、重源という男の生き方だ。”超”高齢者になってから、これだけの事業に取り組んだ熱量には圧倒されるほかない。しかし何が彼をこれだけの事業に向かわせたのか。

僕は、これは重源の戦争そのものだったのではないか、と思っている。

重源が東大寺南大門再建後、浄土堂を多く作っていることに特に注目したい。浄土堂はその名の通り宗教建築だ。当時の人の心の拠り所となる建築。浄土堂を作ることで、人の役に立ちたいという思いもあるだろうが、自分の宗教を広め、マインドシェアをとりたいという気持ちがあるようにも見える。もし本当に人のためになることをしたいなら、他にやり方があったようにも思われる(これは、当時の仏教の在り方に対する理解が弱いせいかもしれないけれど)。

しかし、そう考えると陳和卿の関わったとされる特異な「挿肘木」の在り方と、大仏様という独特な建築様式が採用されていることにも納得がいくのだ。

つまり大仏様という建築様式は、マーケティング戦略における重要なアイコンだった。彼は国家的なプロジェクトと、自らの宗派の建物を結びつけようとしたのではないか。それによって自分たちの建築物がこの国のスタンダードであると示し、浄土堂を増やしていくことでさらに浄土宗の勢力を拡大しようとしたのかもしれない。自分たちの宗派に有利なやり方で再建することで、東大寺を利用したのではないか。

お金の集め方についても、同じ効果が推測できる。東大寺の再建に関してなるべく多くの人の関心を集め、多くの著名人にも協力を仰ぐことで、東大寺の権威を高めた。その建築で用いた挿肘木を自らの政治的なアイコンとして用いることで、自分たちの宗派の建築物の権威も高め、その後の宗派の展開を有利に進められると考えたのではないか。

重源という男の闘い

この考察は、当時の時代性を考えると、重要な側面が浮かび上がってくる。

当時は僧兵が台頭し、宗派の勢力拡大において「武力」が主な手段となっていた。その渦中にあって、日本にない技術の巧みな使い方と政治的な展開の仕方は、武力の世において武力でない方法で勢力を拡大しようとしたのではないか。重源は武力に限界を感じ、別の解答を提示し実践した。それは言論でもなく、建築を活用したブランディング戦略の面的な展開である。

重源は宗派の巧妙なCMOとなることで、一派の拡大を行おうとした。これは血を血で洗う時代にあって、血を流さぬ闘いそのものだった。

この取り組みすべてが、本当は、時代へのアンチテーゼだったのではないかと思うのである。老人は時代のすべてと闘おうとして一念発起したのではないか。それは宗派を超えた戦そのものだった。そして建築のデザインはその闘争の痕跡であり、宣言そのものだった。

建築の裏の意図、歴史

建築の裏には常に人の意図と思索がある。歴史的な建築はそのフォルムよりも、そこに人の姿が透けてみえる瞬間が面白い。重源が現世に生きていたら、どのようなふるまいをするのだろうと考えることがある。ひょっとすると、SNSを活用したマーケティングに対して抗い、何かしら別の解答を示すのではないか。あるいは、それはやはり建築かもしれない、という気もするのだ。


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