【随想】日本代表の対ポーランド戦に寄せて。やはりつまらなかったと言っておきたい。

今日は長い一日だったので、W杯の日本戦が昨日よりもずっと前のことのように思えるが、昨日の日本対ポーランドの試合について自分なりの感想を言うならばやはり、つまらない試合だった。ということになる。
 Twitterを眺めていると、戦略的な時間稼ぎに興じた日本代表を批判する声や逆に西野監督の勇気を讃える声など賛否が飛び交っている。僕としては決勝トーナメント進出のために、非難を覚悟して賭けに出た西野監督を賞賛する人たちの意見に大いに賛同するところではあるが、だからと言って昨日の試合が面白かったことにはならない。やはりつまらない試合だった。そのことが言いたい。
 元サッカー部でありながら今となってはほとんど門外漢となりつつある僕には、選手や監督に対して何らいうべきことなど見当たるはずもない。僕が問題としたいのは観客のあり方である。
 
インターネットの普及によって誰もが発信者となった現在では、皆がすぐ批評家になりたがるが、批評に走るがあまりにどうも観念的になり過ぎている。というか、観念と感覚がごっちゃになってしまっている。そしてその中で感覚というものがないがしろにされてやしないかと思うのだ。
 まず純然たる感覚で判断するなら、あの試合はやはりつまらなかった。と僕は思う。しかし、その感覚で以って西野監督や選手たちを断罪してはいけない。あくまで個人の感覚に過ぎないのだから。一方で、戦略的な観点からいえばやはりあの判断は正しかったのだと言えそうだが、ここでは今度は感覚の方が棚上げされてしまっている。

 本来スポーツ観戦とは、選手の身体への共感を通して、普段自分が経験しないような特殊な身体性を擬似的に獲得するという所に醍醐味があるものであったはずである。それが技術の発達、メディアを通じた物語化などによって、もはや人間の目では認識できないようなわずかな差を競ったり、そこに映っていない妙なドラマが持ち込まれるようになった。そしてそれは身体よりもむしろ観念でスポーツを観るということだ。
 スポーツは技術や統計や物語によって解体され、数字や言葉によって語られるものとなってしまった。しかし、スポーツ観戦の楽しさは本当にそこにあるのだろうか。ただ試合を観て、「ワーッ」とか「ウォーッ」とか言いながら、まるで自分がプレーしているかのような没入とうまくいかない歯がゆさを身体で以って感じることこそがスポーツ観戦の楽しみなのではないだろうか。

 批評は結構だが、その前にまず感覚に立ちもどろう。そしてそれを無視してはいけない。
 そのような訳で、やはり僕は昨日の試合についてはつまらなかったとちゃんと言っておきたい。

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高山康平

eiga を撮ります。文章も書きます。現在は何者でもありません。ただの街の片隅に吹き溜まった風。もくじ https://note.mu/koheitakayama/n/nf9b06849314e
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