【随想】背中に映るもの

背中とは不思議なものだ。身体の裏側であるというよりも一つの大きな穴のようにも思える。想像力を掻き立て、ひょっとすれば吸い込まれそうにもなる。学校生活から離れると人の背中をまじまじと眺めることもあまりないのだが、よく使っているカフェが少し変な構造をしていて、詳しい説明は省くがともかく人の背中を間近にする格好になる席がいくつかある。他に席も空いていなかったのでそこに座ったのだが、ぼんやりコーヒーを飲んでいるとどうも前に座っている人の背中が自分の知っている人のものに思われてくるのである。
確率から言ってまずありえない話だし、その人はコーヒーは飲まない人だから絶対に違うことはわかるのだが、それにしてもどことなく似ているような気がしてくる。そのうち仕草までなんだか見覚えのあるもののように思えてくる。
「聖なる鹿殺し」という映画で、父親を医療ミスで殺された青年が、スパゲッテイの食べ方が死んだ父親にそっくりだと言われて嬉しく思っていたけど思えばスパゲッティの食べ方なんてみんな同じだということに気が付いて父親が死んだ時よりも悲しく思った、という話を僕は思い出した。
人の仕草なんて元々は誰かの真似な訳で、その人個人に帰属する訳じゃない。けれどなぜだか仕草を人と結びつけてしまう。そして、知らない誰かがよく知っている人と同じ仕草をするのを目の当たりにして、その人を少しだけ失ったような言い知れない悲しみと怒りが起こってくる。
畢竟、僕らは他者を鏡として見ていて、そこに自分の映したいものを映そうとする。それが背中という匿名のものだった時、そのことがよりはっきりとするというだけなのかもしれない。
2018.6.2

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高山康平

eiga を撮ります。文章も書きます。現在は何者でもありません。ただの街の片隅に吹き溜まった風。もくじ https://note.mu/koheitakayama/n/nf9b06849314e
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