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【第2回】 編集者の姿勢とは #コルクラボ編集専科 を受講して、気になった3つのこと。 〜「感想」を言う=感情を言語化する習慣を作ること (第1回講師:コルク佐渡島庸平)

前回からの続きです。引き続き、コルクラボ編集専科の佐渡島さんの講義の中で、じぶんが特に気になった事について、じぶんの感想を紹介していきます。以下、3つピックアップしました。今回は、2つ目の「感想」を言う=感情を言語化する習慣を作ることについてです。

個人的に気になった3つのこと。

1. 専科に臨むこころがまえ: Don'ts (やってはいけないこと) 190709公開済
  受講生同士のアドバイス

2.「感想」を言う = 感情を言語化する習慣を作ること 190710公開
3. 偏見メガネを外した俯瞰 190711公開予定

「感想」を言う=感情を言語化する習慣を作ること

編集行為の中で、自分の心に対して「プロとしての素人目線」を持つことが必要と講義では言っていました。そして「プロとしての素人目線」を持つとは、「感想」を言う = 感情を言語化する習慣を作ることだと定義しています。

編集者という職業は、コンテンツに対して、じぶんがわかっている事や経験を通して、どこがまずいのか、どこを直せば良くなるのかを指摘するのが仕事だと思っていましたが、そこには「偏見」や「思い込み」が混ざってる可能性が高いのでは?と講義を聞いて思いました。「偏見」や「思い込み」が入ってくる事は、じぶん(玄人)以外の他人(素人)がそのコンテンツ触れた際に、往々にして、全然違う捉え方をしてしまう可能性があるのです。

たしかにそうかもなぁ(内心は「そうに違いない」ってじぶんに言い聞かせてる可能性があります)※なぜ、こんな書き方をしたかは、後で触れます。

じぶんが絶対良いと思ったもの(経験上わかってる事)や常識(狭い世界での当たり前のこと)を、他人に紹介しても、受け入れてもらった事があまりないです。好きの押し売り、マウントをとるみたいな感じに捉えられているからかもしれません。とりあえず、ダメ元で、体験してみてよって紹介して、結果的に紹介したものが気に入られる事も過去ありましたが、たまたまのケースです。

「こういうところが面白いんだよ」って言葉が、言ってる本人の感情からくるものなのか、誰かの言葉をかりた言葉なのかによっても、受け取る側の興味や信用の持ち方が変わってくるでしょう。

じぶんの感情から湧いてくる率直な感想を言う事が、「プロの素人目線」を養う事に結びつくと、講義で言っていました。


ここまで書いたんですが、講義の内容をどちらかと言うと、まとめたぐらいで、じぶんの中では、この内容について、あまり実感が湧いていない理解できてないです。インプットして満足しているじぶんが今いるのです。

「プロとしての素人目線」とはどういうものなのか?が、実体験として味わった事がないので、わからないのです。講義で言われた事をそのままそうに違いないと思い込もうとしているのではないか、正直な感想です。キャリアと実績がある佐渡島さんが言ってるからというのもあって、妙に納得してしまっている気がするのです(誤解がないように言うと、講義の言っている事を否定しているわけでなく、じぶんの姿勢に疑問を持っています)

だから、理解、実感、学びを得るには、アウトプットする必要があるのです(佐渡島さんが似たような事を言っていた気がします)アウトプットして、じぶんで観察して見ないと、わからないのです。

編集者になるためのトレーニングも、講義中、紹介されました。おそらく、「コンテキストを作る」の中のマイナーな感情を見つけるのには、事象に触れて、感想を言うのが手っ取り早いと思いました。

「感想を言う」アウトプット事例

Twitterの #コルラボ編集専科 では、現在受講生のみんなが、各個人が触れた事象に対して、思い思い、じぶんの感想をつぶやいています。また、上記に触れた編集者トレーニングも実践されてます。

ぼくも映画やドラマの感想を最近つぶやいていますが、うまく感情を言語化できているか、わかりません。でも、心揺れ動かされたり、何か引っかかるところは、作品を見ていて自覚はしています。どんなところに感情が動いたのか、なぜ感情が動いたのか、その感情をどう表現すれば、他人に伝わるのか、実験しています。

観察してみると、物語のあらすじをどうしても書いてしまいがちで、文字数だいぶ取られています。結局スレッドでつないで、長い感想になってますね。果たして、伝わっているのかどうか... 考えすぎると、じぶんの感情から遠のいてる気がして、理詰めっぽくなってると気づきました。直感的に書いた方がいいのでしょうか。


他の方の感想も見てみました。あくまでも個人的に読んでて嬉しいなぁと思った #コルクラボ編集専科 での感想つぶやきを勝手にご紹介します。

写真の誤字がかわいいんです。見てて顔が緩みます。まりもさんの人柄が伝わってきます。誤字もチャットのたのしいところ。ちなみに、関係ないのですが、子供の頃から、北海道で生息している、あのまるい毬藻(まりも)がぼくは好きです。学生時代にまりもを主人公にした、コマ撮りアニメを作った事もあったぐらいに好きです。名前のかわいさも重なって、つぶやく内容に共感してしまいました。

漫画「はだしのゲン」。感想の内容が、ぼくの実体験と似ていたので、共感してしまいました。読んでて「そうそう、そうなんだよ」って心の中で思ってしまいました。同じ事考えていた人がいて嬉しかったです。

今回はここまでです。次回は、3. 偏見メガネを外した俯瞰について、じぶんの感想を紹介します。


さて。

講義の内容になるべく沿う形で、感想を書いてみたのですが、本来気になったところは、ちょっと違うところにあります。

---以下、今回ピックアップした講義内容について一部触れてはいるのですが、だいぶ話が脇道にそれているので、番外編という形で書きます。興味ある方はご覧ください---

【番外編】日が経つと、感情の鮮度は落ちていく

講義から少し日が経ってしまっているので、このnoteを書いてる際、当時の講義で、じぶんの中で湧いた感情がどんなものだったかは、だいぶ薄くなっています。鮮度が落ちてます。このnoteの本編で書いた感想は嘘ではないのですが、だいぶ距離感がある書き方になっていて、じぶんで読んでいても、感情がわかりづらいなぁと思いました。ちょっと冷めてます。感想はなるべく早く書いた方がいいですよね。

それで、少しでも当時の感情を思い出すために、講座を聞いている最中に入力していたスマホのメモ帳を読み直してみました。

赤丸部分が、ちょうど「感想を言う」について気になった部分のじぶんのメモなのですが、最初パッと見、じぶんで書いてるはずなのにわからないのです。なんで、こんな事を書いたのか。書いてる内容も意味不明です。頑張って、当時の記憶を呼び起こしてみました。

例えば、「飽きたなら、どのタイミングで」のところについて。
どういう事かというと、映画を鑑賞した時に、どこかで寝ちゃったり、飽きたなぁって言うタイミングの事を言っています。

ある映画を観た時、頭から終わりまで、全部が面白かった、感動した、逆に全部がつまらなかったって事って、あまりないのではないでしょうか。

多少、粗があると思われる映画でも、最後まで見終えて映画館を出る時に妙に気分が高揚してる状態だと「めっちゃ感動した、面白かった」って、感極まって言っちゃう事があったりもします。前半はつまらなかったけど、ラストだけは、なんやかんや感動していて、意外に満足してたりします。

ぼくの場合、よくあるのは、セリフやシチュエーションは、ベタでありきたりだけど、BGMで心を揺さぶられて、勝手に「この映画は感動した」って言っちゃう事があります。感動のあまり、サウンドトラックを買ってたりします。

過去を振り返って、最近観た映画の「アベンジャーズ/エンドゲーム」を例にします。上映開始して10〜20分ぐらいして寝てしまいました。でも、後半のヒーローたちが奮闘するバトルシーンがあったのですが、そこは、めっちゃテンション上がって、画面に釘付けになっていました。「チームや仲間っていいなぁ」「これぞ、ヒーロー物語の王道だ」心踊ってました(詳しくネタバレになるので言いません)

じぶんの感想の解像度をあげるには、じぶんの琴線がどこで触れたか、じぶんはその時どういう状態だったか、などいかに自覚して向き合う事なのかなと講義を聞いて実感しました。



サポートありがとうございます。カフェでよくnote書くことが多いので、コーヒー代に使わせてもらいますね。