見出し画像

カリフラワーを知らなかったボクが泣いた日。

最近、子供の頃のジブンを思い返す事が増えた。実家に帰って、両親と話したり、昔の家族写真やビデオを見せられたりしたせいだろうか。

古い過去を思い返すと、寂しい気持ちになる。なぜなら、子供の頃の記憶があまり残っていないからだ。赤ちゃんの頃の話は、さすがに覚えてないのは仕方ないとして、小学校3年生くらいまでの記憶があまりないのだ。いや、忘れているのだ。ぽっかり、その部分だけアンケート用紙の書きかけの空白のようになっていて、その隙間を埋めたい気持ちが今ある。

アルバムや録画されたホームビデオを見ると、たしかに昔のジブンはそこにいた。昔のボクは、短所だと思っていた天然パーマのせいで、見た目髪の毛がくるくるしていた。好きになれなかった。

当時のボクの周りには、記憶にない大人やぼんやりと覚えている友達がいたんだという事実は、過去の記録におさめられている。笑っている表情、泣いている表情、ぶっきらぼうな表情、無表情、ボクにはいろんな表情があった。ぼくは忘れていても、周りは少なからず、ボクの事を覚えている。

ぼくは、アメリカのロサンゼルス生まれの帰国子女だ。日本には、小学校2年生の後半に帰国した。

アメリカで生活していた頃の記憶があまりない。少なくとも生まれて約8年は住んでいた場所なのに。家や学校の光景、学校の友達や担任の美人な先生の事、好きだった女の子の事は、なんとなく覚えているが、具体的なエピソードがあまり浮かんでこないのだ。

両親に「(スヌーピーの)ナッツベリーファームに行った事覚えてる?」と過去何回も聞かれたであろう質問に対して「まったく覚えてない」と答えていたじぶん。でも、最近その答えられない事に対して、妙に寂しい気持ちになっている。

アルバムやホームビデオを見ると、家族にたくさんいろんなところに連れていってもらっているのが分かる。でも、ほとんど覚えていない。この写真や映像にいるジブンは別人じゃないのかと思ってしまうぐらいに覚えていない。

なんで、覚えてないんだろう。家族が嬉しそうに話してるし、写真やビデオにいるボクの表情は豊かで、きっとたのしかったはずなのに。

具体的なエピソードが全くなかったかと言えば、それは嘘になる。少なからずある。でも、それは、たのしかった、嬉しかった感情が湧く記憶ではなく、むしろ、強烈なまでに、ショックだった事、悲しい気持ち、怖かった気持ちになった出来事だった。

じぶんでも未だに覚えていて、当時なんであんだけ、悲しくて、やるせなくて、複雑な感情を滲ませていたのかわからない、不思議な体験を1つ、最近ひさしぶりに、思い出した。

アメリカの日本語学校での、お昼ご飯時の話だ。ボクが通っていた学校は、日本の小学校のように、給食というシステムがない文化だったので、各自お弁当を持参していた。

当時ボクは、小学2年生だった。クラスは2クラス。1クラス15人くらいの小さな教室だった。人数が少ないから、班になる事はなく、教室いっぱいを使って、全体に机を輪に並べて、お昼ご飯を食べる習慣だった。

ある日、みんなの目の前で、ボクは、母親が作ってくれたお弁当を床にひっくり返してしまった。きっと、やってしまった、恥ずかしい気持ちになっていたに違いない。みんなから丸見えだ。

担任の美人の先生が、ひっくり返してご飯が食べられなくなってしまったボクのために、クラスの子たちに、お弁当を分けてあげてと提案してくれた。空っぽになった弁当箱には、クラスのみんなが分けてくれたおかずやご飯がぎっしり敷き詰められた。

今思えば、クラスの子たちの行為は、素敵な事で、今のぼくだったら、嬉しい気持ちになっているところだ。しかし、当時のボクは、嬉しいではなく、不安で困っていたと思う。

なぜなら、見慣れなくて、食べた事がないおかずがたくさん、ボクの弁当箱にはあったからだ。ボクは当時好き嫌いが多かったし、何よりもジブン以外の家庭のご飯に慣れていなかった。潔癖症だったのか、警戒心が強かったのか、とにかくジブンの家庭のご飯、お店で出される料理、市販で売られている食品以外は、苦手だった(ちなみに、今は苦手ではない)

苦手なりに、食べられそうなおかずは食べた。お肉が好きだったので、タレでからめられた、おそらくお肉の塊のようなものや、白飯など食べた事があるものには少し口をつけたが、かなりのものが口にいれられなかった。

分けてもらったサンドイッチの中身が何なのか(マヨネーズにからめられた何かだったはず)わからなかったり、当時嫌いだったミニトマトがあったりして、困った。何よりも強烈に覚えているのが、白い謎の食べ物があって、果たしてこれは食べ物なのかと思ってしまうぐらいに拒否反応をしてしまった。

結局、ほとんど残してしまった。クラスのみんなからもらったおかずで弁当箱の中身がいっぱいのまま、無理やり、蓋をした。たぶん、この時のボクは、なんか惨めで泣きたい気持ちになっていたと思う。

学校が終わり、母親が学校の駐車場まで車で迎えにきてくれた(当時ぼくが通っていた学校は、家が遠かったり、防犯上の観点で、親が車で迎えにくるの通例だった)

いつものように、表情が読み取れないサングラスをした母親がボクに近寄ってきた時、ボクは顔を下に向いていて、何て声をかけていいかわからなかったと思う(サングラスの大人を見ると、当時ちょっと怖いなぁと思っていた)

たぶん、その駐車場だったか、家に帰ってからか、どっちかは忘れたけれど、母親の前で、感極まって、ボクは泣いた

泣いた理由が、今思うと何だったのかは、わからない。惨めな気持ち、やるせない気持ち、ジブンが情けない気持ち、お弁当を作ってくれた母親に対して申し訳ない気持ち、母親じゃない人が作ったおかずがたくさん無造作に押し込まれた弁当箱を渡さなきゃいけない後ろめたさなど、いろんな感情が渦巻いていたと思う。その複雑で、どうしていいかわからない気持ちをどうすればいいかわからなくて、ボクはたぶん泣いたのだ。

ぼくの小さい頃の記憶の中で、当時のボクがこんな複雑な感情が湧いたのは、はじめてだったんじゃないだろうか。たのしくないけど、今でも、強く記憶に残っている。

泣いた時、母親は怒らなかった。「あーそうだったのー」と、サングラスをかけながら、口元は笑っていて、いつもと変わらなかった。

自宅に着いてから、母親がボクの残した弁当箱を開けても、たいして何も言わなかった。唯一母親が言った言葉で覚えているのは、ボクがしきりに、帰りの車の中で嫌だと言っていた白い謎の食べ物についての事だ。

「これ、カリフラワーじゃないの、美味しいのにー」


「カリフラワー、何それ?」

ボクは、拒否反応を示したあの謎の白い食べ物が、はじめてカリフラワーという事を知った。少なくとも、我が家では、出てきた事がない食べ物だった。ぼくはてっきり、当時あまり好きではなかったブロッコリーが悪くなったものじゃないかと警戒していたのだ。

しばらくカリフラワーは、ぼくの中で、苦手な食べ物になった。大人になった今でも積極的にスーパーで買おうとは思わない。でも、料理で出されたら食べられるし、残すつもりもない。でも、あえて食べようとは思わない。

カリフラワーは、ぼくにとっての、思い出深い食べ物だ。同時に、あの時の母親の姿が、多少補正がかかっているかもしれないが、忘れられない。ボクはあの時、救われていたと思う。

#コルクラボガーデン #感情 #内省



サポートありがとうございます。カフェでよくnote書くことが多いので、コーヒー代に使わせてもらいますね。