負けず嫌い

私は負けず嫌いだった。子供の頃、母と姉と、トランプをやっても勝てなかった。神経衰弱が大の苦手で、めくったトランプの数字を覚える事が出来ず、最後には並べてあるトランプをぐしゃぐしゃにして泣いた。
すごろくゲームや、オセロも同じだった。
負けるのが嫌で、負け始めるとぐしゃぐしゃにして泣いた。

かけっこの時もそうだった。幼稚園までは足が速いと思われていたが、小学校に上がっても走るスピードが上がらず、周りの人達に抜かされた。どうしたら速く走れるのか、先生に聞いたて研究した。腕を大きく速く振る。これを実践しては足が絡まり転んだ。

運動会では気合いが入り、ヨーイドン!の3秒後には転んでいた。悔しくて、悔しくて、1番になりたい。と思って頑張ったが結果はビリだった。私は、ビリだけにはなりたくない。と思った。

走り幅跳びも、バスケやバレーの試合でも、私は最後まで勝ちにいこうとしていた。何点差をつけられても1点でも、差を縮めようとした。
走り幅跳びでは、3メートル飛ぶ友達を横目に2メートルを目指したし、2メートル飛べるようになったら2メートル50を目指した。悔しい気持ちが強く、何度も時間ギリギリまで自分の更新記録に励んだ。そのやる気が伝わっていたのか、体育の成績は良かった。

だけどいつからだろ。負ける事に慣れてしまった。例え私が負けても、勝った人が喜んでいるなら、それでいいと思うようになった。
何かを欲しがる事が、すごく苦手になった。
欲しいと思っても手に入らない。という経験が、欲しいものをわからなくさせた。勝った人から好きなものを選んでいいと言われても、私は余り物を選んだ。絶対これじゃなきゃ嫌だ。と衝突するより、なんとなく平和に収まる方を好んだ。大人になったと言えば聞こえはいいのかもしれないが、私にはこれくらいがいい。と言って、逃げていたとも言えるのだった。

母はいつも、姉に頼り依存してきたから、病室に行くと、姉への感謝とこれからも宜しくお願いします。という内容の手紙がたくさん置いてある。そんな母を姉は鬱陶しく思うらしく、もう書かなくていいよ。と突っぱねる。1日に何通も同じような内容の手紙を受けとる姉にしてみれば、うんざりするのだろう。私は少し複雑な気持ちでそれを見ていた。

今までの私なら、私はいいよ。と見ないふりをしていただろう。だけど、私は母に、私にも今度手紙を書いてね。と伝えた。私も手紙を書くからと言うと、わかった。と頷いて笑っていた。それから、私が母に手紙を渡しても、母からの手紙はなく病室には、姉宛の手紙が増えた。母に悪気があるわけではなく、忘れてしまう病気のせいだ。

負けず嫌いな私は、母親にとって自分が1番になれない事が少なからず嫌だった。母が病気になり母の中で、昔の記憶があやふやになった今、私にとって1番とはなんだったのか。と考えると、とてもくだらないことに思えるのだった。
私が、些細だけど変わることが出来たのは、私が音楽活動を通して沢山の感情をもらってきたからだと思う。私の事を受け入れてくれてると感じる事で、私も受け入れていきたいと自然に思えた。

私は母から、お姉ちゃんに手紙を書いたの。と見せてもらう度に、なんて書いたの?と読み上げ、私にも手紙を書いてね。と伝えた。
そして今日、母からの手紙を受けとった。元気にしてますか?早く会いたいです。と書かれていた。私は嬉しくて母の手を握ってぶんぶん振り回して喜んだ。この喜びはきっとこの文章を読んでくれているだろう、画面の向こうの人達に伝えたい。と思った。

ありがとうございます。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?