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「贅沢」に向き合う

2019年もあと数日。すっかりnoteを更新できていなかったことを反省する年末ですが、最後にずっと書き留めておきたったことを。

テーマは宿泊における「贅沢」。

贅沢してきましたとか、人前で率先していうことではないし、意外と考える機会がなかったこの言葉。贅沢というからには、実利的な価値以上のものがあって、それをわざわざ高いお金払って購入している。必要以上の価値と価格だから、その体験は贅沢と言われるわけだし。

どんな見返りを想定して買うのか、なにをもって人は満たされるのか、「贅沢」さを深く知ることは、実はサービス提供者においてとても重要なことなんじゃないかと思い始めたんです。

今年いちばんのぼくの贅沢を通して、その辺り書いてみました。


念願のAmangiri

2019年6月、念願のAmangiri に泊まりました。
新婚旅行のメインイベントとして。かなり思い切りました。

Amanは世界21カ国で高級リゾートを展開するホテルブランド。日本でも伊勢志摩、東京、京都にあり、今度ニセコにも新設されるニュースが出たりと、ご存知の方多いのではないかと思います。ぜひサイトやインスタを見てもらいたいのですが、ロケーションや空間、客室、料理、どれをとっても本当にかっこよくて。

夫婦共々、amanブランドには絶対の信頼と憧れを抱いていました。
そして今年、願い叶えるために無理をするにはいい機会として、新婚旅行のメインとして泊まることに決めたんです。

高級ホテルとその価格

でも正直なところ、最初はどうしてそこまでの宿泊料金になるのか、その価値に対しては少し疑問を持っていました。amanがどうとかではなく、一泊にそんな高額な料金ってどういうことなんだろうと想像できなくて。

ぼくがこれまで泊まったことあったのは頑張って一泊10万前後。それでもロケーション、建築・内装のデザイン、部屋の広さやビュー、露天付きだったり、食材のこだわりや豪華さとか、どれをとっても素晴らしく、その料金帯に納得するものがありました。たしかに上記の体験したもの足し上げていけばこの価格にはなることは想像できるし、それに対する満足感も十分にありました。

でも今回はどうしてもこの実利的なものの足し算では、想像できない乖離があって。なにがその違いだろう?ブランド?部屋の豪華さ?スタッフのサービス?その価格には半信半疑。

とはいえ、今回は機会が機会。これまでの憧れや想いを優先して念願のAmangiriに行ってみました。

そしたら結果、とてもよかった。そんな価値に見合うかなんて考えていたことが申し訳なくなるくらい、圧倒的な感動体験がありました。

まずは写真で、その雰囲気を少しでも。

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砂漠の真ん中のリゾートホテル。
洗練された極上な時間が待っていました。


初めて知る贅沢さ

ここで僕は知らなかった「贅沢さ」に触れることができました。

過ごす時間すべてに、贅沢な心地をおぼえる体験は初めて。
枠のない贅沢さというのかな、、、難しいニュアンスですが。。
上限のない贅沢さと言ってしまうと、豪遊するようなイメージが湧くけどそうではない。枠がないというより、感じないが適切か。

限定することで、上質さを演出することはまだ実現しやすいと思うんです。その限定する範囲が狭いほど、よりこだわりやすく、質は上がりやすくなる。

ぼくがこれまで体験したことがあったのは、その贅沢さ。空間を囲い、その中で上質な体験をこだわり突き詰めていく。細部までこだわり、行き届いたサービスができる代わりに、ある程度の体験の幅やシナリオの限定はある。

ホテルであれば、門をくぐり、ラウンジや部屋や庭など、ホテルという施設内で感じる上質さ。行動でいえば、例えば、部屋でくつろぐ、温泉に入る、食事をする、ラウンジで一息つくとか、いわゆる宿泊に関する行動。そこに紐づくものに対して、眼に映るもの、触れるもの、味わうもの、五感全てで極上な体験をさせてもらっていました。

けど、今回味わった贅沢さはその枠がなかった。各々がそこで自由に過ごす、その全てにおいて贅沢さを感じるものになっていました。こちらがなにか制限を意識することもなかったし、なんなら欲求に対して、それを満たすものがすでに用意されていました。

決して押し付けるような過剰さはなく、上質で、包み込むような贅沢さ。
それを実現していたのがAmangiriでした。

まず立地もある。砂漠の真ん中にぽつんとある建物。施設内どこにいても、あたり一面絶景。大自然の中にそのままいる感覚と、リゾートの満たされた施設にいる感覚、両方が同時にあるんです。それはもう圧倒的スケール感。

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そしてサービス。アルコールのみ別途費用かかるけど、滞在期間内の食事、ドリンク、スナックなど全てフリー。ラウンジ、プールサイド、部屋で、夜には火を眺めながらゆったりと、気兼ねなくその時間に浸り楽しめる。

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また、aman価格ではあるけど、スパやアドベンチャー体験みたいなのもある。しかもそれも一般的でじゃない。気球に乗ったり、乗馬できたり。アリゾナの大自然をさらに楽しめるプライベート体験。それはさすがにぼくらには手が届かないものでしたが笑 そうやって上を見れば、さらなる欲求を満たしてくれる特別な体験も用意されている。

ホテルスタッフの方たちもそう。単にサービス提供者としてじゃなく、その空間や体験をつくるひとりとして、あなたが楽しむことをしたい、望むことをしたい。それが伝わってくる。

宿泊にひもづくものだけじゃない、そこで過ごす時間、体験、そのすべてに行き届いた贅沢さがあった。


贅沢さの質を高め、行きわたらせる。

たしかに実質的なモノ・サービスの足し算だけではない価値が確かにあった。

実利的な価値を超えた感動をどこまで作ることができるか。それが本当に高級なサービスたる重要なポイントだと体感しました。

モノやサービスだけじゃない。
その地で過ごすすべての時間と体験において、贅沢さの質を高め、行きわたらせる。

Amanのような五つ星ホテル・高級ホテルといわれるようなところは、「ひとつひとつの質を突き詰める」 & 「すべてにおいての質のレベルを高める」という本来一緒になり得ないものを高次元で実現しているからの価値なんだなと、納得。

それが宿泊者にとって、どれほどの満足感を与えるか。
富裕層という人たちはそこに対しての価値を見だしていたのかと知ることができました。

これらことは、きっと他のプロジェクトにもきっと活かせる体験。同クラスなものに携わるときに限らず、「何をもって人はより深い感動を覚えるか」ということはここから紐解き、抽出することで大いにヒントになりうる貴重な体験。高価格をも超える感動を知ることができました。

もし行きたいなという方がいたら、思い切っていって訪れてみるのもオススメします。体験しないと見えてこないものがたしかにそこにあると思います。


日本の美と五つ星ホテル

そして最後にちょっとだけ脱線して、、、

日本では五つ星ホテルが圧倒的に少ないと、観光問題の話になるとあがる指摘。たしかに観光分野の取り組みとして、海外の富裕層が泊まれるような超高級ホテルを作っていくべきだという考えは、大事だと思う。

ただ、今回の経験を経て、思ったより複雑な問題かもと思うようになった。

インバウンドの時にポイントとなる日本らしさは、そのまま再現すると、五つ星ホテルで実現する贅沢さとはまた異なるタイプの良さになってしまう。スケール感や、基本の思考が異なるというか。

例えば、日本の借景や陰翳礼讃をはじめとした美学や伝統、文化。

浅い知識での発言にはなってしまうけど、日本文化は自然と暮らしとの繋がりを大事にしてきているが、そこには囲いや制限があることで生まれる美、という一面もあるようにも感じる。

だから上質さ、贅沢さは突き詰めることができても、上に書いたような高級ホテル、五つ星ホテルと言われるクラスに求められる、すべてにおいて行き渡らせるような贅沢さとはちょっと思考が異なるのではないか。もしそうであれば、高級ホテルは作ることができても、本当に大富豪向けの超高級ホテルは作ることが難しいのかもしれない。

これは日本人として、自覚し見つめるべきポイントなのかも。

とはいえ、すでに日本にも5つ星ホテルはある。実際に最近では京都のハイアットや、リッツ、アマンなど、日本らしさ感じるホテルがfive star allianceで五つ星を獲得してるのも事実。

このあたりの問題は、また改めて考えてみたいと思います。

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