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【他者の《違い》を、ある《同じ》という記号で、自然と受け入れられた体験 学生編】


 「いつも恒星先生がいっている《同じと違う》ことについて、バイト先で気がついたことがあったんです。」と、既に単位は修得済みですが、よく授業に来てくれる学生さんが、素敵な気づきをわたしに教えてくれたお話です。

 それはアルバイトの体験談で、非常に単純明快な、《ヒトは見かけによらない》というお話です。昨今の《ルッキズム》問題とも関連がありますね。

 冒頭、学生さんの言葉にあったように、わたしの美術授業の根本テーマのひとつが《同じ・似てる・違う》という観点からよくお話をするという前置きをしておきます。思えばわたしも高校生の頃、色々考えていくと《同じと違う》ことを通して物事を考えていることに気が付き、本屋へ駆け込み、《同一性・差異性》ということなどを知った経緯があります。それを銅版画シリーズ「生命の差異」という作品で結実させた歩みがあります。その頃から、わたしの大事な根本テーマなのです。

 さて、お話の内容は、バイト先では同じ制服に着替えて仕事をするそうで、仕事柄、マスクもして、みんな格好がほぼ同じなのだそう。そこで仲良く話せるようになったバイト仲間が、仕事の上がる時間がたまたま一緒で、私服に着替えたときに、はっ!と、気がついたことなんだそうです。それは、その仲良くなった友達の私服が、どちらかというと派手な格好で、さらに舌にピアスもあいていることを知って、衝撃を受け、普段の自分なら仲良くなれそうにないなぁとおもっていたであろうし、まして話し掛けるなんてとんでもないと感じていたであろうと、その時に、はっと思ったそうです。

 そこで、《同じと違う》を思い出したそうです。

 『同じ制服を着ていることで、見た目の個性が消えて、余計な先入観がなくなり、仲間意識が芽生え、自然と接することが出来た』

 少し言い換えれば、『他者の《見た目の違い》を、《同じ制服》という記号が、消し去り、他者の本当の内面が浮かび上がって、自然と話が始まり、全く先入観なく他者を受け入れられた』というお話でした。

 《ヒトは見た目によらない》ということを「同じと違う」という観点から、身をもって気がついたということはかなり大きいなぁ思いました。

 その話を聞いて、「あなたはもう社会学者のたまごだね」というと、学生さんも実は福祉と社会学に興味があるそうで、そんな進路を検討中とのことでした。こうして身をもって感じ考え、気がつき、身につくと、未来は明るいなぁと思うのです。社会学者のマックス・ウェーバーやデュルケーム、マルクスなど、先生も今勉強しているところよ、と伝えておきました。

 美術・アートの世界も一見、見た目のインパクトに囚われがちです。昨今の楽曲でも、抑揚や間を排して、すぐにサビに突入するモノも少なくないですしね。もちろん、見た目は非常に大事な要素です。見た目は内面の表出、姿勢でもありますし。その見た目の裏側、行間に、得も言われぬ本質が滲み出てくる作品が本物なのだなぁと常々おもうのです。本物のひとつの定義は未来永劫、作品の持つ魅力、光がどんな時代であろうと輝き続けることなのだろうとおもっています。

 この学生さんのように、身についた気づきが本当の学びですし、本物の学問だなと感じています。彼/彼女の人生、彼/彼女の周りの人の人生すら輝きに満ち溢れる可能性が今から大きく開かれている光景が目に浮かびますね。

 最後に、わたしの生活、制作、共育の理念として、【感代謝】があります。学生さんの素敵な気づきがまたわたしに返ってきて、お互い良い流れが生まれ、自分なりに感じ考えることで、良い循環が生まれる。有り難いなぁと自然とおもえる輪が、少しづつ広がっている実感が、何よりも嬉しかったことを付け加えておきます。

 お読み頂きありがとうございました。

 感代謝


 恒星 a.k.a 長谷川康円

 (星座を歩くアートクラス
  a ri A Ru Creationz
  a ri A Ru records)


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