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多数意見のように旧来の「国際慣習法上」という前提によりたやすく外国人の入国を憲法の保障外に置くことは、新しき理想を盛つたわが憲法の基本的原理を全く無視するものといわなければなるまい。

これは、昭和32年6月19日最高裁判決に付された小林俊三裁判官、入江俊郎裁判官の意見です。
全文はこちらで読めます。

お二人は、こうも述べています。

普遍の原理ということであり、またかくして国境を越え世界を通じて恒久平和を達成せんとする念願でもある。これらのことは憲法の前文によつて明らかであり、特に自ら「いづれの国家も自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」ことを宣言していることからも確認することができる。この趣旨から考えてみると、わが憲法は、外国人の権利義務についても、正常の国際関係に立つかぎり、わが国民としての地位と相容れないものを除くのほか、できるかぎりこれをひとしくしようとする原則に立つていると見なければならない。従つて憲法の条規中「何人も」とある場合は、常にこの趣旨を念頭に置いて解することを要するのである。

最初にこの判決を読んだのは何年前か忘れましたが、日本国憲法施行後10年目にこのような格調高い意見が最高裁裁判官によって付されていたことに感動しました。

そして、最近読んだ、「気骨の判決 東條英機と闘った裁判官」に、以下のようなエピソードが紹介されていました。

なるほど、裁判官自身も自由を希求し、ようやく得られた自由な社会を大切に守らなくてはならないという思いがひとしおだったのかなと改めて感じました。

この本の144頁以下に、次のようなエピソードが紹介されています。

戦前に存在していた行政裁判長の部長だった沢田竹治郎さんという方(後に最高裁判事)が、軍部を批判したために、造言飛語罪と人身惑乱罪に問われた。
沢田は、隣組の会合で「この戦争は負ける、早くやめた方がいい、陸軍や海軍の連中は、子爵や男爵にでもなりたいから、戦争をやめないのだろう」と語ったとのこと。

沢田は東京拘置所の独房に3週間収容され、起訴された。担当したのは、東京掲示地方裁判所の部長、岩田誠だった。

沢田は上告中に終戦を迎え、免訴の判決を受ける。

その後沢田も岩田も、ともに最高裁判事に任命されたとのことでした。

この本は、戦時中に政府から司法の独立を侵されそうになりながら、文字通り命がけで立ち向かい、翼賛選挙の無効判決を出した大審院判事吉田久氏を取り上げていますが、他のエピソードも大変興味深いものばかりでした。

特に、裁判官になる人全てに読んで欲しいと思います。


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