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大事にしたい場所について取材して、地元紙に投稿した

2024年2月15日から19日まで。秋田県の能代市山本郡地域の話題を中心にあつかう「北羽新報」に、私の書いた投稿記事が掲載された。

地元の能代市二ツ井町で、天然秋田杉が使われている木造校舎、旧仁鮒小の解体計画が進んでいると知って、いろんな思いが湧いて取材を行ったもの。

ちなみに「天然秋田杉」とは、というのは下記のように説明されている。

天然杉は、北は青森県から南は鹿児島県屋久島まで広く分布しており、日本三大美林の一つである天然秋田杉は、特に秋田県の北部を流れる米代川流域に分布しています。

東北森林管理局/天然秋田杉の紹介 - 林野庁

年輪幅がそろい、木目が細かいため強度に優れて狂いが少ないという特徴から、古くから住宅の建築材として利用され、美しい柾目は東京でも高級な料亭などの内装材、天井板などとして使用されていたそう。他には「曲げわっぱ」や「桶・樽」など伝統工芸品の原材料としても利用されてきた。

ただし、資源保護の観点から天然秋田杉の伐採は2012年に終了し、現在は人工林の秋田スギが供給されている。日本三大美林と称される秋田杉の森は、このうちの天然林のほうをさすのだとか。

二ツ井町では「仁鮒水沢スギ植物群落保護林」と「七座山」で、秋田杉と紅葉樹の巨木が混在する景色を見ることができる。

道の駅ふたついの展望デッキから見た七座山(2024.01)

秋田県内はとにかく杉の山が多い。この風景も自分にとってはそんな山の1つとしか思っていなかったのだが、今回、取材をした際に天然秋田杉が残るこの山の景観がいかに特別かを教えてもらい、改めて見に行った。「たしかに杉が密集していないということは人工林ではないんだな」と初めて理解できたのだった。

「二ツ井町史」で歴史を遡ると、大火などで建材の需要が高まり、秋田杉の存続が危ぶまれた時期があったそう。1666年に旧秋田藩が留山制度を作るなど、林政に力を入れて資源の保護・保存を図り、その森が現代に繋がれてきた。

1978年に完成し、当時全世帯に配られたという「二ツ井町史」(実家にあったものを送ってもらった)。表紙のデザインは秋田杉の樹皮だ

そんな山の麓にあるのが、秋田杉の産地として特に有名だった仁鮒地区の小学校校舎だ。もともとは1877年に民家を間借りして創立。のちに校舎ができ、大火で全焼するといった出来事に見舞われながらも、1929年に現存する校舎が建築され、児童数の減少で2008年に閉校するまで使われた。

この校舎には、伐採が禁止された天然秋田杉がふんだんに使われていることから再現不可の建築であるなどとし、文化財的価値の調査検討を訴え、解体延期を求める陳情が昨年出されたのだった。

私は二ツ井町の出身ではあるが、仁鮒小の卒業生ではない。それに今は秋田を離れて東京で暮らしている。それでもこの件について傍観していられなかったのは、子どもの頃に学校で「秋田杉は地域の宝」だと教えてもらい、自分が生まれ育った町に全国に誇れるものがあるのが素直に嬉しかったという記憶があったからだ。

地元紙の記者だった2015年には、旧仁鮒小で開かれた建築の専門家による講演会を取材し、校舎に足を踏み入れて、秋田杉の空間に圧倒され、とても感動した記憶もある。

2015年当時の仁鮒小体育館。体育館は住民の要望で解体計画から除かれることとなった


まさに秋田杉の歴史を語る上で象徴的な場所だと感じだものだった。

かつての学びの記憶があれば旧仁鮒小の価値が想像できると思うが、「秋田杉は地域の宝物」と教えてくれた大人がいた一方で、今度は別の大人が「文化的価値はない」と言って二ツ井町内にあった天然秋田杉校舎が次々と解体されることになっていたのはあまりにもショックだった。

そうして、旧仁鮒小は天然秋田杉を使った最後の現存校舎となった。

だから、子どもの頃の私に「あなたが大切だと思ったものは、今も変わらずちゃんと大切なものだ」と証明したいと思い、取材を行った。

これは同時に、今この町でくらす子どもたちやこれから生まれてくる子どもたちにも伝えたいことでもあった。「ここは田舎だから何もない」と思わず、生まれ育った町に誇りを持ってもらえるように。

ところが、連載記事の反響も少しあったと聞いているものの、3/5(火)の北羽新報で、斉藤能代市長が「校舎の利活用は考えておらず予定通り令和6年度に解体をする」と定例議会一般質問で回答したことが報じられた。

「予定通りの解体」と、結果を変えられなかったのは大変残念だった。

悔しくて朝から泣いた。でも、この場所の価値を少しでも多くの地元の人たちに伝えられたかもしれないと思えば、取材をした意義があったのかなと。

斉藤市長の回答では、市内外の研究者からも「解体を待ってもらえないか」という話が出ていることに触れられていた。連載の中でも書いたが、この場所の価値が専門家の手によってきちんと調査・記録され、誰でも・いつでも見られる形で公開されてほしい。

秋田杉の貿易拠点だった能代市の能代地域には天然秋田杉を使った旧料亭金勇(国の登録有形文化財)が残され活用されている。秋田杉の産地である二ツ井地域の旧仁鮒小も同じ価値がある建築のはず。

しかも仁鮒は米代川流域の産地全体の中でもずば抜けていて、秋田県内でも珍しい天然秋田杉の保護林が今もある、歴史的にも文化的にもとても意味がある場所だというのだけはきちんとした形で残されてほしい。

目に見える形にして、伝える・広めるということを丁寧にしてほしいのです。

私の書いた記事が、この場所について、歴史や文化、現状、未来の可能性を知るきっかけになれば幸いです。

それを「深める」という点で、声を上げてくださっている研究者の方々、そして「伝える」というところで記事を読んでくださった方々へ、バトンをお渡ししたいと思います。


2024年3月8日(金)追記
旧仁鮒小を文化財として保存することを求める署名活動が開始されました。

昨年より能代市議会に陳情書を提出していた、一般社団法人白神山地アートミュージアムの山下友宏さんから署名活動のお知らせをいただきました。
仁鮒地区住民の吉岡和男さん(旧仁鮒小学校を愛する会)とともに行なっているそうです。早速、私も賛同しました。

▽オンラインの署名はこちら

▷紙に書いてFAXもしくは郵送される方はこちらのPDFを印刷してご使用ください(送付先も記載されています)※3/15(金)必着


この記事を書いた当初は紙面に掲載した内容をWeb上に転載する予定はなかったのですが、北羽新報社のルールに沿って紙面の引用という形で最後に添付します。

以下、北羽新報に掲載された記事です。

掲載された新聞をお持ちで記事をどこかで使用する際には、北羽新報社にご確認の上、ルールの範囲内でご利用ください。

2024年2月15日(木) 北羽新報 4p「消える天杉校舎 仁鮒小解体を考える 1」
2024年2月16日(金) 北羽新報 4p「消える天杉校舎 仁鮒小解体を考える 2」
2024年2月17日(土) 北羽新報 4p「消える天杉校舎 仁鮒小解体を考える 3」
2024年2月18日(日) 北羽新報 4p「消える天杉校舎 仁鮒小解体を考える 4」
2024年2月19日(月) 北羽新報 5p「消える天杉校舎 仁鮒小解体を考える 5」


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