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非スピリチュアルな私がスピリチュアルに行動してみたらどうなるかパート2〜自然崇拝=0円?篇〜

 
※この記事は、スピリチュアル関連、神事、仏事などに、全くと言っていいほど知識のない人間によって書かれています。出てくる単語に関しても、意味をきちんと把握せずに使用している場合もあることをご了承ください。誤用している、もしくは、説明の必要な単語や文は記事の最後に解説を入れ、間違いなどがあれば学びを深め、次の回に進めていきたいと思います。また、無知であるからこその偏見も多分に存在することにもご注意いただければと思います。どうぞ存分にツッコミを入れつつ、読んでいただければと思います。
 
 
日本では「a.八百万の神」と古くから言われ、山や木、那智の飛瀧神社のように滝などを信仰の対象にしていた、というのは非スピリチュアルな私でも聞いたことがある。そしてその考えは、お参りやお墓参り、七五三や厄払いなどの、神社仏閣で行われる行事をことごとくすっ飛ばしてきた私には、何となく都合が良いように思えた。

 
b.自然崇拝、いいじゃないですか。それならお賽銭とかいらないだろうし。
 
 
そんな考えの私に、とんでもなくぴったりの神社がなんと、自宅から徒歩5分ほどのところにあることを知ったのは、今の家に引っ越してきてから4年が経ってからだった。
 
「矢倉神社」は社殿のない神社なのだそうだ。
 
そう言えば、何もないところに秋祭りの時期になるとc.長―い旗みたいなのがたつ場所があるので、不思議に思っていたのだ。
 
1月初めに那智へd.初詣に行き、すっかりスピリチュアルづいてきた(?)私と次男は、お散歩がてら初詣第2弾に行くことにした。たしか、e.初詣は自分の住んでいるところの近くの神社に行くのが良いって聞いたことがあるし。
 

1月にしては暖かい日差しの中、てくてくと歩いていく。いつもは車で走りすぎることの多いご近所の、非常にのどかな小道をしばらく歩く。そして、集落内を川沿いに、南北に通る道に出てf.「庚申橋(こうしんばし)」という橋を渡り、上流に向かって少し進むと、矢倉神社の入り口とされる場所に着いた。
 
 場所は知ってはいたものの、本当にここなのだろうか、と不安になるような入り口である。空き家のすぐ脇を藪の中に入っていくような感じで、立て看板などは何もない。
 
 
恐る恐る進んでみると、たしかに人が通れる広さに道が舗装されている。
 


 
時代を感じる石積みが大きな木の周りにぐるりとめぐらされているのを横目に見ながら、数歩進む。するとすぐに、鬱蒼とした樹々の中、g.御本尊らしきものが正面に見えた。
 

 
崖状になった山肌の前に、石造りで四角く土台が作られている。そしてその両サイドに石灯籠、正面にh.白い紙のギザギザのやつが1本立っているだけという潔さ。
 

 

「明治20年11月建立」とある。2022年現在からは135年前のものということになる。
 
社殿がないのはわかっていた。しかし、社殿がない代わりに、これがここの崇拝の対象だなとわかりやすい、例えば、けたはずれに太い御神木や立派な岩かなにかがあるのかと思っていたのだ。
 
たしかに、土台の周りには立派な木が何本かダイナミックにそびえてはいるが、びっくりするほどの巨木、というほどではない。
 
ここでメインとしてi.祀られているのはなんなのだろう。


 とは言え立派な木である。ツタの感じがラピュタ風。

先ほどの写真の木の上の方。この木と、次の写真の杉の木が特に大きい。


こうやって改めて見るとどちらの木も十分に御神木レベルの大きな木に見える。しかしどの木もわりと立派なので、これがメイン、と絞りきれないものがある。
 

 
少し拍子抜けしている私をよそに、次男はさっさとお参りを始める様子だ。良く見ると、ギザギザのやつの前には郵便ポスト型の小さな貯金箱が。どうやらこれが、この神社のお賽銭箱のようだ。
 

 
賽銭箱あるのか、財布持ってこなかったぞ、と考えていると、次男はいつの間に用意したのやら、ちゃっかり自分のお財布を持ってきていた。そしてお賽銭を入れ、しっかりと礼をする。慌てて私も礼をして、お参りをした。お賽銭なしで。
 
すっかり慣れた様子で最後の礼を終えた次男の顔を見ると、非常に満足そうである。そして、
 
「賽銭箱がこういうの、いいねえ。なんで母ちゃん財布持ってこなかったの?」などと言う。
 
 
 
  
私は「自然崇拝=0円」という、超単純な図式を自分の中で勝手に作り上げていた。そして、自然崇拝に対して勝手な好意を寄せている部分があったのだ。
 
しかし結局のところ、お賽銭なしに参拝したことになぜか物足りなさのようなものも感じている自分がいた。参拝の一連の動き、二拝二拍手一拝の前に、お賽銭をj.チャリーンと投げる動きが無意識のうちに体に染み込んでいるのだろうか。
 
次男は、
 
「でもどうせならプラスチック製とかじゃなく、木製とかの貯金箱にすればいいのに」と言って妙なナチュラル志向を発揮する。
 
私のほうは貯金箱の生々しさに笑ってしまいそうになりながら、わかりやすくてむしろいいな、とも考えてもいた。
 
この場所は、周辺の人たちが草刈りや枝払いなどの手入れをし、守りつづけてきたからこそ現在まで「神社」として存在することができたはずなのだ。だから、この辺のおじさまかおばさまか誰かが「ちょうどいいのがうちにあったわ」という感じで、据え置いた貯金箱の中身はそのまま「維持費」になることが想像でき、なんとなく納得がいく。
 
しかし、立派な社殿があろうと、自然の中の無社殿でも、人が集い、それぞれの願いを持ちよるだけの場所を維持するには、いずれにせよ誰かの労力が働いていることには変わりはない。
 
だから、大きな神社でも、お賽銭は維持費と考えれば随分安くすんでいるとも考えられる。
 
 
 
気がつくと私は、いつの間にかお金のことばかり考えていた。
 
スピリチュアルに行動しようとしているのに、自分のケチさにあらためて気づかされるようで、ちょっと落ち込んでしまいそうだ。
  
 
これではいかんと思い、私は、矢倉神社がなぜ無社殿でも信仰の対象になっているのかを感じ取ろうとした。
 
石の土台の周辺は決して広くない。山肌に囲まれ、木を切り払ったとしても庭付きの家がやっと一軒経つくらいの広さだろうか。そのぐらいの空間に、手付かずに育ってきたのだろう、雑木が林をなし、表の道路にはない薄暗がりを作っている。


 
  
木はそこまで密に生えているわけではないのに、その大きさと勢いで空を塞いでいる。大きな木を見上げていると、鈍感な私でも畏敬の念のようなものを感じざるを得ない。次男も、
 
「ここ、いいねえ」と言い、非常にいい顔をしている。家でゲームをしている時や、奇声を発してふざけている時(このあたりだと『ほたえている』とでもいう状態だろうか)、兄弟喧嘩をしている時とはまるで別人だ。
 

自然に手を合わせていた。



もしかしたらここは「本物」ってやつなのかも?と思った時、風が頭上の樹々を揺らしてさらさら、と気持ちの良い音がした。そのタイミングで私も次男もなんとなく満足し、神社を後にしたのであった。
 
 
私たちが矢倉神社に行った数週間後。同じ地域に住んでいる、パート1でも出てきたスピリチュアル優等生の友人が訪ねてきて言うには、その数日前に神社のすぐそばの空き地でボヤ騒ぎがあり、あわや火事、という事態があったそうなのだ。
 
その日はいつもより遅く家を出た彼女のパートナーが偶然、火の手が上がるタイミングで現場を通り掛かった。そして、バケツで近くの川から水を汲み上げようとしている人を手助けし、山の木に火が移る前に消し止めたらしい。
 
その後、彼女のパートナーは周辺の住人に消火活動のお礼として、缶ビールをどっさりと頂いた。
 
そして、である。そのうちの1ダースが私のうちにお土産として届いたのだ。もしかして、これは早速のご利益か? しばらくビールを買わないで済む、と私は喜んだのだった。
 
 

 
参拝の後「矢倉神社」をGoogle Mapで検索してみた。すると、私が住んでいる串本町と隣町の古座川町で、合わせて7つの矢倉神社がヒットした。そして、そのほとんどが無社殿。ほかにも、那智勝浦町や三重県の紀和町などにも矢倉神社があり、日本全国を大まかにとらえた図ではポツンと1軒、静岡県静岡市にも表示される。
 
Google Mapの口コミをそのまま参考にすると、静岡の矢倉神社は日本武尊(やまとたけるのみこと)東征伝説の残る神社であり、本殿の御神木が非常に立派らしい。
 
 
また、串本町駅そばの「矢野熊(やのくま)の矢倉神社」については「み熊野ねっと」によると、民俗学者の野本寛一氏は、
 
 
「昔、神様が1本の矢となって天から下られた。矢の落ちた所が井戸となってそこから清らかな水が湧き出した。人びとはこの井戸を御神体としてこの森を矢倉様と呼ぶようになった」と述べている。
 
矢、の、倉、で矢倉なのだ。そして、御神体はなんと井戸! 人々が飲む大切な水が出る場所なのだ、神として崇めることできれいな水を守る、そんな合理的な意図があったのかなと想像する。
 
 
私が行った近所の矢倉神社については「熊野古道 大辺路 刈り開き隊」のサイトに、以下のような投稿がある。
 
 
「(前略)田並の矢倉神社のお祭りに行ってきました。古老の話では、昔、子供の疫病が流行っていた所、三尾川から天狗が飛んできてスギの木にとまり、そのとたん疫病が治ったそうで、それを感謝して天狗を祀ったのがこの神社の縁起とか」。
 
 
三尾川は古座川の支流、もしくは古座川町の集落で、私たちの集落からはかなり離れている。なぜそんなところから飛んできた天狗の伝説があるのだろう、と思っていたら、スピリチュアル優等生の友人が言うには、私たちが住んでいる地域はそもそも、隣町の三尾川近辺から山を越えてきた人たちが作った集落で、近所の矢倉神社も彼らが作ったもの、という説があるそうだ。
 
そんな経緯があるかもしれないのか!スピリチュアルの裏には歴史あり、である。ていうか天狗ってそもそもなんなのよ!と思うが、これはまたの機会に考えてみたい。
 
ところで、疫病が治まった、ということは、きれいな水が飲めるようになった、つまり、串本の矢倉神社と同じで井戸を掘ってそれを拝んだ、ということなのだろうか?
 

入り口にあるこの丸い石垣は井戸に見えないこともない?でも、すぐそばを川が流れているこの場所で、井戸が神格化される可能性は低いのかも、とも思う。

また、奈良県出身で現在和歌山県在住のいこまわかこさんによる「田並 お話絵地図」という、手描きによる絵地図には矢倉神社についてこう注釈がついていた。
 
「明治10年に天満地区に合祀されたが地区の人々が疫病にかかりこれは矢倉様の祟りだと考え、元の場所に戻ったという」。
 
ちなみに「天満地区」とは矢倉神社よりさらに川の下流にある神社で、同じくお話絵地図によると応永16年にその起源がある、との説がある(ということは、矢倉神社は応永16(1409)年より前から存在していることになる)。
 
その始まりのきっかけも疫病だったし、合祀をやめたのも疫病だったわけだ。
 
現代のように医療が発達していなかった時代。疫病で多くの人が犠牲になるような事態は頻繁に起きていたのだろう。そんなときに心のより所になるものが神様仏様、だったのだ。

今の時代に生きる私みたいなもんが「ちょっといい感じになるんでは?」と思って訪れる神社仏閣と、昔の人たちにとっての神社仏閣とでは、それがたとえ同じ場所であったとしてもまったく別次元のものなのだろう。
 
 
 
a.八百万の神
「日本大百科全書(ニッポニカ)」によると歴史学者・神道学者の坂本是丸氏は八百万の神について、以下のように述べている。
 
「神道で数多くの神々の存在を総称していうもので、実際の数を表すものではない。文献上の初見は『古事記』上巻の『天の岩戸』の段にある、『八百万神、天の安の河原に神集ひて』である。(中略)。本居宣長は『古事記伝』で、『八百万は、数の多き至極を云(いへ)り』と述べている」。
 
八百万は小学生が口走りがちな「100万円」くらいの大きな数ということなのだろう。
 
 
b.自然崇拝
「日本大百科全書(ニッポニカ)」によると文化人類学者の瀬川昌久氏は自然崇拝について、以下のように述べている。
 
「自然物、自然現象に対する尊敬や畏怖の態度の総称。naturismの訳語として用いられる。一般的には天体(太陽、月、星)、気象現象(風、雨、雷)、諸地形(山、川、海、湖)などから、人間以外の動植物や岩石に至るまで崇拝の対象範囲は極めて広い。ただし、稀に動植物を除外し、非生物的な物体、現象に対するもののみを指す場合もある。(以下略)」。
 
非生物的な物体や現象に対するもののみ?それでも自然崇拝と呼ばれるものはなんなのか。なんだろう。非常に気になる。
 
 
c.長―い旗みたいなの
のぼり旗、というものらしい。
 
そういえば私の集落では祭り前になると天満神社への寄進が徴収される。神社への寄進なんて経験がなかった私は、ひとくち1,000円と言われたので1,000円支払った。するとのちほど、集落の世帯主一覧の名簿が配られ、そこに私の名前も記載されていて、「500円を〇〇(何かは忘れてしまった)代、500円を旗代と書かれていた。そして、私と同じ金額で済ませていた世帯は1つか2つ、多いところは1万円以上は出していたように思う。
 
ずいぶんと赤裸々なあの名簿はその後配られていないが、さすがにクレームでも入ったのだろうか。
 
 
d.初詣
「京都地主神社」のサイトには、
 
「その年初めて神社仏閣へ参り、新年の無病息災や平安無事などを祈ることで、元旦早朝から行われることが一般的」とある。
 
なるほど、初詣は神社、と思い込んでいたが、寺でも良いのだ。そして当然のことながら、初詣第2弾はありえないのだった。
 
 
e.初詣は自分の住んでいるところの近くの神社に行くのが良い
「テレ東プラス」のサイトで和文化研究家の三浦靖子氏は初詣の基礎知識として以下のように述べている。
 
「本来は氏神(うじがみ)様や菩提寺に新年のご挨拶に行くこと。基本的な順序としては元旦に年神様を家にお迎えし、それから氏神様へご挨拶するため初詣へ。(以下略)」とある。
 
また年神様について「北海道神社庁」のサイトには、
 
「お正月に家家に迎え祀る歳徳神(としとくしん)は歳神(としがみ)さま・お正月さまなどとも呼ばれました。(中略)現在でも残る正月の飾り物はもともと歳神さまをお迎えするものであります。門松は年神さまが来訪するための依代(よりしろ)であり、鏡餅は年神さまへのお迎えでありました」とある。
 
どうやら、家に門松と鏡餅を飾ってからの初詣、というのが正式な流れらしい。
 
氏神について「阿佐ヶ谷 神明宮」のサイトには、
 
「氏神とは、もともと古代社会において血縁的な関係にあった一族がお祀りした神さまをいいました。しかし中世においては土地の神さま、つまり、鎮守(ちんじゅ)の神様である産土神(産土、うぶすなとは生まれた土地という意味で、その土地を守護してくれる神さま)までが、氏神と混同されるようになりました。
 
そうしたことから、必ずしも氏神は祖先神、あるいは守護神を祀るものばかりとは限らなくなったのです」とある。
 
菩提寺は「精選版 日本国語大辞典」によると、
 
「一家が代々その寺の宗旨に帰依して、そこに墓所を定め、葬式を営み、法事などを依頼する寺」である。
 
父は農家の次男で生まれた村から離れて家庭を築いたし、現在私は産まれた県を離れた移住者だ。そして、祖父母の代からの非スピリチュアル系なので、私には本当の意味での氏神はいないし、菩提寺もないが、この場合の初詣はどこへ行けば良いのだろう。
 
数年住んで愛着のある自宅の近くの神社なら、私の「氏神さま」と思って構わないだろうか。
 
 
f.庚申
「屋敷神の世界―民族信仰と祖霊」などの著作がある佐々木勝氏は庚申信仰について以下のように述べている。
 
「十干十二支の組み合わせの一つで、60日または60年ごとに巡ってくる庚申(かのえさる)の日に営まれる信仰行事。元来は道教の三尸(さんし)の説に端を発している。
 
人の体内にいる三尸という虫が、庚申の夜に人が眠るのを見澄まして天に昇り、天帝にその人の罪を告げる、すると、天帝はその人を早死にさせるというのである。したがって、長生きするためには、その夜は眠らないで身を慎むのである。
 
(中略)民間にも広まり、村落社会の講組織などと結びついて仲間と共に徹夜で庚申の催事を営む習俗である講庚申や庚申待といった形で定着してくのである」。
 
 
近所の庚申橋のすぐそば近くにはたしかに庚申様だという石像が祀ってある。あの場所で仲間と徹夜する習慣があったのかと思うと感慨深い。なんだかちょっと楽しそうだ。
 
 
g.御本尊
本尊については「日本大百科全書(ニッポニカ)」には、
 
「寺院や仏道において供養・信仰の対象となる主尊たる仏・菩薩像のこと」とある。ということは、私が行ったのは神社だし、そもそも何も像などはないのだから御本尊というのは違う。
 
神社には「本殿」というものがあるようだ。同じく、「日本大百科全書(ニッポニカ)」によると本殿は、
 
「神社の社殿のうち、「神霊(しんれい、神のみたま)」を安置した中心の建物のこと」である。ということは、私が使うべきだった言葉は、神霊、英訳すれば「Spirit」の安置された本殿なのだ。
 
 
h.白い紙のギザギザのやつ
「紙垂(しで)」というのだそう。日本文化研究ブログには、
 
「天照大御神を天岩戸から誘い出すためにお祭り騒ぎをする際、榊の枝に木綿(もめん)のの布と、麻の布を垂らしたことが由来」とある。
 
紙垂の始まりはパーティのデコレーションだったということだろう。
 
i.祀られている
祀るとか祀られるとかここまで簡単に言ってきたけれど、そもそもなんなのだろう?確認しておきたくなった。
 
「デジタル大辞泉(小学館)」には以下のように書いてある。
 
1.儀式をととのえて御霊をなぐさめ、また、祈願する。
2.神として崇め、一定の場所に安置する。
3.上位にすえて尊ぶ。
 
なるほど。私も1回くらい祀られたいかも。
 
 
j.チャリーンと投げる
「じゃらん ニュース」には、
 
「(賽銭を)投げ入れることで穢れをはらうという意味もあるといわれますが、かといって強く投げ入れる必要はまったくありません。心を込めて、ていねいに入れましょう」とある。
 
たしかに、豆まきの豆だったら勢いよく投げるのも良さそうだが、お賽銭はどこかに飛んでいかないように優しく入れることにしよう。そして、神社とかにはとりあえず財布は持って行こうと思った。
 


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