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2016年12月16日


去年の12月16日に、ずっと栞を挟んでいるような気分でいる。


あの日から一夜明けた翌日も、まだ夢の中にいるような、意識だけが自分の身体を離れて空中を漂っているような気分だった。ああ、早くあの日のことを書かなきゃと思いつつも、びゅんびゅん進んでいく時間に抗うように、自分の中の感覚をぼーっと見つめていた。あの日を終えて、緊張感がプツリと切れたからか、わたしは風邪をひいた。前歯が急に痛み出して、歯医者で神経の治療をした(現在も治療中)。そうこうしていたら、いつの間にか年が明けていた。


それでもわたしは、去年の12月16日に、ずっと栞を挟んでいるような気分でいる。



2016年12月16日、大学で卒業制作の上映会が行われた。映像制作のゼミ生の8作品と、わたしの作品を合わせた9作品が上映され、平日にもかかわらずたくさんの方々が足を運んでくださった。また、コメンテーターとして「ある精肉店のはなし」「祝の島」の纐纈あや監督も駆けつけてくださった。


わたしにとっての初めての映像作品である『ささくれ』は、自らのこころの傷との葛藤とその家族の6ヶ月間の姿を記録した、セルフ・ドキュメンタリーである。

去年の4月から撮影を始め、10月からは撮影と同時進行で編集作業を進めていたわけだが、まずは本作が無事に完成し、上映会まで終えられたことへの安堵感が大きい。

というのも、完成を迎えた今だからこその笑い話だが、本作の企画発案当初は、制作を危ぶむ声が多かったからである。ゼミの先生はもちろん、友人や、彼氏、そして病院の先生やカウンセラーの先生までもが、制作による肉体的・精神的エネルギーの消耗を案じた。

しかし、自分自身のこころの深淵を覗き込むこと、自分の家族と向き合うということ、そしてそれを人の目に触れる形にするということは、この身を削ることであるという覚悟はできていた。

なぜならば、ずっとそれらのことをせずにここまでやり過ごしてきたからである。そのときそのときのタイミングで、適切な対処をしてこなかったがために肥大化した問題を、わたしたちは見て見ぬふりをし続けてきたのだ。
それゆえに、制作のさなかでまた深い闇に落ちる覚悟もしていたが、同時にこれはきっと意義のある作品になるであろうという手ごたえも既に感じていた。

さらに、こころの中に渦巻く混沌とした気持ちや、当時両親や友人へ伝えられなかった想いを創造力へと変換し、そして作品として昇華していくことで、自分の中での気持ちの整理や、自分が抱える課題に対する新たな視点の発見ができるのではないかという意欲の方が勝った。言わば自己セラピーのような、かなり私的な動機からこの制作はスタートを切った。


卒業制作の形としての本作を提出した後も、本編を見返しては細かな修正を加え続けた。しかし、これまで幾度となく、膨大な素材の中から映像を再生しては編集をし、同じ画を見続けてきたからか、正直もう自分の作品を見すぎてよくわからなくなっていた。上映会の前日まで大学の編集室に篭ってはいたものの、これでいいのだろうかという不安な気持ちと緊張による腹痛とともに、ついに迎えた当日。



きっと、この一年間は、今日この日のためにあったんだなと強く思った。



上映中、わたしは何の新鮮味もなくなった自分の作品よりも、それを初めて目にしている方々の横顔をチラチラと盗み見ていた。本作にも出演してくれた幼馴染みが、じっとスクリーンを見つめている姿を目に焼きつけた。

上映が終わる最後の最後まで、見てくださった方々が何を思っているのかということばかりが気になって仕方がなかったわたしは、自分の中にあるものを外に表現するときに感じる怖気を、いつも以上に感じていた。指先は震えていた。


会場のマイクが、コメンテーターの纐纈監督の手に渡った。


「お疲れ様でした。ありがとうございました。この作品を作ってくださってありがとうございますっていう、そういう気持ちです」


メモをとるのも諦めて(記録はあらかじめ用意していたビデオカメラに任せた)、ただただその言葉に耳を傾けた。数メートル先で話す纐纈監督を凝視しすぎるがあまり、彼女の輪郭に沿った黒いような赤いような黄色いような光の線が何重にも重なって見えた。一言一言を聞きこぼさないように、すべての感覚を研ぎ澄ませた。


「優れた作品っていうのは、見ている人の自分の世界のこととリンクさせるっていう力があるものだなって思うんですけど、わたしはそういうふうなことをいろいろ、小学校のときにいじめにあったときのこととか、そういうことも思い出しましたし、わたしの中にあるいろんなことがすごく引き出された感じがします。

それってどうしてそういうふうになるのかなと思ったときにですね、それは鯉沼さんが、自分の中にあるものをずーっと見つめ続けて、掘り下げて掘り下げてきた時間っていうのが、確実にこの映像になっていて、その力が見ている人のいろんな記憶を引き出すんじゃないかなって、そんなことを思います。

映像を作品にしていく上で、最終的に残る部分っていうのは、もう最後は自分を追い込んで追い込んで、徹底的に追い詰めて、自分は一体なんなのか、そこの映像に映っているものはなんなのかっていうことを、やっぱりずーっとずーっと問い続けていくっていうことが、映像作品を作ることだなっていうふうに思っていて、なんかそのことに対して、ずーっと今まで積み重ねてきた時間っていうのが、この作品になってるなっていう印象を受けました……」



7時間にも及んだ上映会は終わった。来てくれた方々にお礼をしようと、幼馴染みのもとへ駆け寄ると、彼女はわたしを見るなり泣き出した。びっくりした。え、ちょっと待って、なんで泣いてるのとか言いながら、気づいたら自分ももらい泣きしていた。彼女は泣きながら、わたしの肩に腕を回した。


大学の外へ出ると、21時半を過ぎていた。寒いけど、寒くなかった。幼馴染みと高校時代の友人たちと、自転車を押しながら駅の方向へ向かってゆっくりと歩いた。わたしにとって大切で大好きな人たちが、こうして同じ場所に一度に集まることが、この先何回あるのかなとふと思った。

「だってもう、次あるとしたらわたしのお葬式くらいじゃない!?」

と言ったら、

「結婚式って言って~」

とすかさず突っ込まれた。

自分の作品が、わたしにとって大切で大好きな人たちがこうして同じ場所に一度に集まる理由になれたことが、この上ない幸せだった。
この帰り道が、ずっと続けばいいのになと思った。



一夜明けた翌日も、まだ夢の中にいるような、意識が自分の身体を離れて空中を漂っているような気分だった。ああ、早くあの日のことを書かなきゃと思いつつも、びゅんびゅん進んでいく時間に抗うように、自分の中の感覚をぼーっと見つめていた。

それでも、そんなわたしに構うことなく時は過ぎ去っていくし、もしかすると、12月16日の日のこともいつかは忘れてしまうかもしれない。それでも、自分の中にあるものを見つめ続け、掘り下げながら積み上げてきた時間が、誰かのこころの琴線に触れることができたという事実は、今後もわたしを支え続けるだろう。


映像は58分で終わってしまったが、今後もわたしの物語は何十年も続いていく。

その中で、2016年12月16日は栞となって、その物語のページを進めていくだろう。







本作をご覧いただいた方から、映画祭に出してしてみないかとのお話をいただき、埼玉県所沢市で行われる「ところざわ学生映画祭」へ応募することになりました。ただいまその45分バージョンを編集中です。よりたくさんの方々にご覧いただけるように頑張ります。

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