『インシディアス』・上、照明、外

 ジョシュは重要な人物だ、引っ越してすぐの朝にろう細工の果物をかじっても、残業とウソをついて家に帰らなくても、あるいは悪魔に体を奪われても(だからこそ、というべきだろうか?)。
 けれども、ジョシュはこの映画で最初に起こる重大な出来事とあまり関わりがない。なぜならそれは、むしろ彼の息子であるダルトンの身にふりかかるからだ。
 ダルトンはある夜、家族がテーブルを囲んでいるのを横目に、屋根裏に上る。そこはほこりのたまった、何かが出そうな場所で、暗かった。そこで彼は、たてかけてあったはしごを使ってさらに上昇し、照明をつけ、落下する。そのことに気づいた両親に寝かしつけられて、ダルトンは眠りにつく。ここで、意味ありげに彼の部屋の開け放たれた窓に、つまりは部屋の外に、カメラは寄っていく。そしてダルトンは翌朝、昏睡状態になっているとわかる。
 ここで、ダルトンの昏睡という出来事には、上に行くことと照明をつけることと家の外が関係していて、だからこのみっつが重要なのだと言ってしまいたくなるが、しかしそう簡単ではない。それらみっつよりも「落下」が重要なのではないか(頭を打っているのだから)、照明や家の外と身体の状態は関係がない、とまずは思われるからだ。けれども、上、照明、外が重要なのは、昏睡に関わりがあるからではなく(外は幽体離脱的に関わりはあるのだが)、昏睡の前後にいわばくっついているからではないだろうか。実際、この三つの要素は以後、ダルトンの魂を呼び戻すために数度変形されて用いられる。
 その試みがなされるより先に、声という別の要素がさしはさまれる。それは短いが、悪魔の声がラジオから聞こえる、というものだ。悪魔の住む世界と現実は、声がいい感じに通じるのだ。ところで、この声をきいたルネは廊下に出て上を見上げ、その先には光っている照明があり、そのシーンを境に霊が家の中に入ってくるようになる。まだ解決に乗り出していないこの時点では、上、照明、外がいびつに変形される。見上げる、照明、境界侵犯、という具合に。
 霊が家の中に入ってきたことを知ったジョシュは、軽やかに引っ越す。さらに、母親が紹介してくれた霊能者のエリーザの話も聞く。彼女によると、ダルトンの昏睡は幽体離脱の結果、現実とは別の次元にある「彼方」に迷い込んだことが原因だった。
 はじめ、半信半疑そうだったジョシュは、エリーザが悪魔を霊視するのをみた。そのとき、エリーザは照明をつけさせず、さらに、ダルトンの部屋の中で、上を向いていた。そう、ここでは、見上げる、照明をつけない、家の中で、というふうに、さきほどのいびつな変形から、もともとの三要素と反対方向に二歩ほど進んでいる。照明を消し、完全に部屋の中だけが問題になっているのだ。ただしジョシュはエリーザに悪魔祓いを頼むのをすこしの間ためらう(それでもまた、すぐに頼みなおすのだけれど)。
 エリーザの悪魔祓いは、上、照明、外、の、ほとんど反対の方向で行われる。つまり、下を向いて、極力暗くして、部屋の中で。より具体的に言えば、テーブルの上のノートを見ながら、手元のランプのみで、ダルトンの部屋を閉め切って。しかしこの試みは、「声」の通信の成功にも関わらず失敗し、一時的に家に死者たちを招き入れてしまう。
 その失敗をうけて、ついにジョシュの秘密が明かされる。じつは、ダルトンの幽体離脱体質はジョシュから受け継がれたもので、過去にジョシュ自身も、おそらく悪魔の一種である「寄生者」に悩まされていた。だが「彼方」で迷っているダルトンを助けに行くにはジョシュが魂として「彼方」に行かなければならない。
 エリーゼの導きによって幽体離脱を成功させたジョシュは、手元にランプをもって、現実の外の次元にある「彼方」へと向かう。が、ここで重要なのは、その「彼方」のうち、ダルトンがいるのは、この物語で最初に住んでいた家の似姿のような場所であり、悪魔がいるのは、屋根裏より少し高い場所にある、現実にはない部屋だということだ。
 上、照明、外の三要素は、悪魔祓いのときとは違う変形がなされている。現実より少し上、手元のランプ、現実の外、というように。そこで現実そのものが対象として問題にされると、ダルトンを助けたあとのジョシュには、別の戦いがふりかかる。鏡を介して、彼は因縁の敵である「寄生者」と向かい合うのだ。その間、死者たちはジョシュとダルトンの体を狙って現実に押し寄せる。ダルトンも悪魔に追いかけられる。もう大混乱だが、その混乱は、ジョシュが目を覚ますことによって収束する。ただし、その身体に入っているのは、あの「寄生者」である。

 ここにきて、私たちは認識を改めねばならない。ダルトンの昏睡の原因である上、照明、外の三つの要素は、どのように変形させても悪魔たちから逃れる手段にはならなかった。シリーズで実際にそうなっているかはわからないが、少なくとも本作のみを見る限り、問題はジョシュのころまでさかのぼって解決されるべきだったのだ。その結果、ジョシュが現実の鏡像としての「彼方」に行った、というよりも、むしろ悪魔が「彼方」の鏡像としての現実にやってきた、という方がふさわしい。いまや、冒頭でジョシュがろう細工の果物を、果物の似姿をかじっていたことが思い出される。

(小林望:『インシディアス』は2011年公開、ジェームズ・ワン監督)

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