日記 2023年1月28日

 昼過ぎにコインランドリーに行く。読書をしようと思ったが、黒いビニールのゴミ袋のようなダウンジャケットを着た青年が椅子を占有してゲームをしていたため、断念。自転車を走らせて、行ってみたいと思っていたお菓子屋へ。住宅街の一角にある小さなお店だが、人気があるようで売り切れ寸前だった。バタースコーンとカップケーキを買う。ゆっくりと丁寧にお菓子を袋詰めする所作を見て、このひとは自分の仕事を愛しているのだなと思う。愛情は、実は見えないようで見える。それは一連の動きにあらわれる。

 夜、友達夫婦が家に来るため、つまみを買いに妻と共に焼き鳥屋へ。前に並ぶ、ちょっと異様な雰囲気のおじさんに話しかけられる。なぜ僕たちは、よく知らない人に話しかけられるのだろう。謎だ。

 友達夫婦が19時ごろ来て、鍋をつつきながら飲みつつ楽しく談笑。友達は、仕事がなくなってもその時はその時、結局のところ人間は何があっても、最後は死ぬだけなのだと極論を展開。だから我慢して、傷ついてまで食うための仕事なんてする必要がないと。仕事を好きでいられるままでいられる方が大事だと言いたかったのだろう。

 そんな話を聞いて、何となく、昔mixiで読んだ知り合いの日記を思い出す。メジャーデビューしたが結局売れずに、バンドを脱退。その後就職し、新たな生活を歩み出した際に書いた日記だ。彼は、バンドを辞めて辛いかと思ったら、むしろストレスがなくなった、と書いていたのを覚えてる。どうすれば売れるのか、新しい曲を作らなくちゃ、お金がないからバイトのシフトをもっといれなくちゃ、という生活は実はしんどかった、と。
 かつては音楽を作って演奏することに喜びを感じていたはずだ。苦しいことがあっても、それらを上回る喜びがあったはずだ。お金というものは、人から喜びを奪い去ってしまうのか。

 何かを好きでいる気持ちは失いたくないなぁと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?