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|低山ハイク|葛城二十八宿、第28経塚(後編)〜亀の瀬、龍王社「龍田古道」、河内堅上

2024年2月24日 
近鉄大阪線「関屋」駅を出発し、明神山までの前編、

明神山から矢田丘陵の眺め、
下っていく。

脇道もいろいろありそうだ。

下り道は、
王寺町方面はよく整備されている、コンクリート道。

左折し、藤井ルートへ

途中、階段下りが続き

町中へ、
ルートを間違い、踏切へ出たが良い景色。

鉄道の下をくぐる道と繋がり、
大和川を渡り信貴山の方向へ。

JR大和路線に乗ると、いつも眺める看板の景色。

左折し、住宅地を抜けると「龍田古道」の案内がある

奈良から大阪へ、県境越え

荒れた所もあるが、歩きやすい道。

緩い坂を上りきると、峠には

峠八幡神社

左には、石造地蔵菩薩坐像

階段を上り、少し高い窓から覗くと
カメラは、花を顔識別して自動的にピントを合わせた。
丁寧に供えられて、地味だが美しい。
お堂も古いが、きれいに手入れされている。

神仏の存在は不明だが、信じる人の行為が尊い。

右の階段を上ると

狛犬と小さな社は稲荷社、
古く心地よい。

八幡様らしく真ん中には鳩の彫刻。
色は剥げているが、必要な物を必要なだけ、詫び寂び。


峠を下り西へ、西へ

亀の瀬地滑り資料室(国土交通省)
資料展示だけなら、予約なしで見学できた。
ここで「龍田古道・亀の瀬ウォーキングマップ」を入手、
この辺りから信貴山方面は龍田古道として整備され、
葛城修験と同様、日本遺産に選ばれている。

亀の瀬の地すべりの近世以前の記録はないが、
古代において「日本書紀」や「万葉集」に
「恐(かしこ)の坂」などと記されていたことからも
当時からここは畏怖を与える場所だったことが分かるそうだ。


亀の瀬 龍王社

先ほどの明神山は、卒塔婆の峯とも呼ばれ、
頂上に大和川守護の水神、
そして、飛鳥大和の守護神として
天照大神(オオヒルメノミコ)を祭祀してきたとの事。

立て看板より、右折し階段を下り川沿いの道へ

結構、頭が大きいのかと思ったが

下流に進むと、この辺が撮影ポイントと案内がある。

見方が違い、右下に小さな頭が見えてきた。
もう少し、水量が少ないとよくわかるのだろう。

入手した「龍田古道・亀の瀬ウォーキングマップ」には、
『「亀石が動くと洪水になる」という飛鳥の伝承は、
この亀岩のことともいわれています。』と書いていた。

飛鳥の亀石は、

亀石は最初は北を向いていたが、次に東を向いたという。そして、現在は南西を向いているが、当麻の方角にあたる西を向いた時、大和国一円は泥の海と化すという。実際に、亀の背地すべり地区の調査で、古代に地すべりで大和川がせき止められ、同地区からかなり上流まで湖水状になっていたことが判っている。

Wikipedia より

グーグルマップの航空写真で、現在の地図を確認すると、
大和の山々から流れる河の水は、大和川に集まり大阪湾に流れている。
ここの亀石が動く(実際は亀石は動かず、周囲が地滑りを起こすことで動いたように見える)と大和川が堰き止められる。
すると伝承の通り、
山々に囲まれた奈良盆地は洪水、沼地に逆戻りするのだろう。

Google map

また伝説で聖徳太子は、
法隆寺と飛鳥を黒駒に乗って行き来したというから
この場所からも亀石のある飛鳥は意外と近い。
ネットで検証できない時代なら、
同じ名前の亀石の情報は、混在して伝わりもするだろう。


鳥居まで引き返し、

龍王社に向かう。

見えてきた、

リズム良く、配置される。

前面の遥拝所の案内には
「対岸の明神山は大和川の神八大龍王とオオヒルメノミコを祀り、、、」
とあり、入口では
「大和川守護の水神」と書いていたのが、ここでは
「大和川の神八大龍王」と書いているが、同じ事なのだろう。

古記では第二十八経塚地は、
ここ亀の瀬と明神山との二説があるとの事。


情報は意図しようと、しなかろうが変化する。
気をつけないと、人は自分の見たいように、
自分に都合のいいように理解し、伝えてしまう。

先程の明神山を遥拝。


案内板は岩湧山でもあった宝照院鉄山の記名
平成二十八年(2016)の記録、
この案内板が朽ちると情報も消えてしまう。

亀尾宿の行所八所
一、亀瀬堂島濱の龍王社
二、亀瀬川中の亀石
三、弁財天の窟(岩屋)
四、龍田大神御座峰
五、小鞍嶺の普賢寺跡
六、金山彦神社・金山姫神社
七、龍田大社
八、明神岳(卒塔婆峯)


参拝。
幟の文字が「龍王社」が、写真に綺麗に入った。

社の前に案内あり、
御朱印は郵送で対応していただけるとの事。
神主のいない神社のようで
記名は「峠龍王社 守り人」

峠龍王社が正式名称なのか?
先ほどの峠八幡神社と同じように
ここもまた、
地域の人が丁寧に守られいているのだろう。

よく見ると目の表現が面白い、
金剛蔵王権現像

龍田古道の発展と渡来人の流入によって、亀の瀬を行き交う人々の心の支えだった自然信仰も独自の変容を見せる。二つの山脈の切れ目となるこの地は陰陽道における「龍穴」にあたり、都によい気を運び入れる風の通り道とされた。

日本遺産HPより

引き返し、西へ     

西へ、西へ

途中、線路を渡ると前面に弁天橋があり、
その付近に社があったのを覚えているが
調べてみると、どうやらそこが
亀尾宿の行所八所の
三、弁財天の窟(岩屋)
のようだ。

桜の名所でもある、
JR 大和路線「河内堅上」駅、2時半過ぎ着

葛城二十八宿、
ダイトレのルートでは無かったが、
初めて歩くところばかりで面白い。

特に、亀の瀬の地滑りについて、
知ることがたくさんあった。

亀の瀬地すべり地内を通過していた旧国鉄(現JR)関西本線の亀の瀬トンネルも崩壊し、昭和7年2月から11カ月間、約1kmが徒歩区間となりました。復旧工事では、亀の瀬地すべり地を迂回した現在の新ルートが左岸側に新設され、旧ルートの亀の瀬トンネルは廃棄されました。

国土交通省HPより

大和川と並行して走るJR大和路線は、
昔、住んでいた奈良から大阪の専門学校に通うため
ずっと乗っていた。
当時は、国鉄関西線と呼んでいてたことを懐かしく思い出す。
亀の瀬あたりは、トンネルになっていたので
見ているようで見えていないことが多かった。

ありがとうございました。







参考資料:
日本遺産ポータルサイト
今回の葛城修験と龍田古道も認定されている。
他にも興味深い地域が紹介されている。

葛城の峰と修験の道
もう古本しか手に入れられないのかも、、、




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