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私は「世界」を守るんだ

このままだと、まずい。

そう思って、noteを書くのも読むのもきっぱりとやめてしまったのは、確か今月の9日のこと。離れの改修工事が終了し、そのための引越し作業を、ほとんどスマホに触れることなくこなしていた。

もくもく、もくもく、もくもく、と。


荷物運びと掃除で手一杯だったということもある。久々に彼に会えて、二人の時間を大切にしたかったというのもある。帰省してきた地元の友人と一緒に飲んでいたというのもある。

けれど、私がこうしてSNSから一旦離れてしまったのは、もっと別に理由があったからだ。


私はどこに向かっているんだ?


この疑問が、どうしても頭から離れなかった。


noteやTwitterを通じて、より多くの人と関わりを持てるようになってきた。フォローする人数も増やしたことで、毎日追っていくnoteの数も以前より格段に増えてきた。

誰かの言葉を少しでも多く取り込みたかった。感謝と敬意を込めて、noteの街で出会った人々とより多くの挨拶を交わしたかった。誰かの決意を、吐き出した黒い水を、漏れることなくしっかりとこの心で受け止めて、必要であれば何かの言葉をかけたかった。


なのに。


いつのまにか、疲弊している自分がいた。文字がただの「文字」にしか見えない。文字の羅列を目で追い、一番下までスクロールをしたというだけで「スキ」を押し、お決まりの「ありがとう」と、なんとなく雰囲気のいいニコニコの絵文字を置いていく。


なんだよこれ。


惰性で物事をこなすようになっている自分に薄々気づいていながらも、そうでもしなければ全てに目を通すことができなくなっていることに頭が痛くなっていた。次々と更新されていくタイムラインに押し流されていき、とうとう輪からも弾き出されるのではないかと恐れている自分がいた。


言葉に食らいつき、言葉を絞り出し、一息吐く間もなく、また追い続け。




違うだろ。




ぷつん、と糸を切ったのは、紛れもなく自分自身だった。

惰性で文字を追い、表現力と感性を誇るための文章を綴り、量産したブックカバーをバカ売れさせるために、私はこの活動を始めたんじゃない。



まずい。

一旦、ここから離れなきゃ。

このままだと私は、私じゃなくなる。

私の活動も、きっとすぐに終わってしまう。




引越しの作業をしながらずっと考えていた。いらなくなったものを次々とゴミ袋に入れ、軽トラの荷台に積んでクリーンセンターに運びながら、ようやく手元に残ったものを見つめては、自分にとって本当に大切なものを、その中に探し続けた。


私はどうして読む?どうして書く?どうして作る?

私はどうして、この活動を始めた?



全てを剥いで、削いで、裸の心で考えた。


なぜだ。なぜだ。なぜだ。








そうして、ようやく気づいた。


自分が大切にしたいこと。それは、確実に届けることだと。


文章を、絵を、ブックカバーを、必要としている人々に責任を持って届けることだと。



文章を綴って公表するという一連の流れを、私は団体戦だと思っている。確かに一人の作業ではあるけれど、良い悪いで評価されがちな世の中だけれど、その人にはその人の文章でしか心を動かせない相手がいて、無論、私にも私の文章でしか動かせない相手がいると思っている。


様々な価値観を含んだ言葉で世の中が溢れるからこそ、言葉は地球を覆うことができる。私たちは言葉を通して様々な穴を埋め、ときに刷新し、世界を優しく包み込むことができる。くさいかもしれないけれど、私は本気でそう思っている。


フォロワーが多くて、スキの数が桁違いで、畏れ多いくらいに有名な人だっている。けれど、そんな人たちは周りよりも影響を与える範囲がちょっぴり広いだけ。みんな立っているフィールドは同じで、やっていることも同じだ。


「おーけー!そっちは任せたよ!」


大声でそう叫んで、手を振って、私は自分のパソコンのもとへと走っていきたい。そして、自分にしか心を動かせない相手を想像しながら、他を非難することなく、文章を綴りたい。

そうしてできあがった作品を確実に届けたい。胸を打ちたい。それが、団体戦の一部になっていることを信じて。


だから、私は決して「良い話」は書かない。「ウケる話」も書きたくない。書きたくなるときもある。書いたときもある。けれど、もう書かない。


一人でも、二人でもいい。確実に心にヒットする作品を作って、公開ボタンを押したい。たとえそれが醜い感情でも、極めてマイナーな考え方でも、おかしな物語でも、それらに寄り添われることを必要としている人がいるならば、私はその人のために届けたい。確実に、しっかりと、責任を持って。


誰にも届かないときがあったっていい。自分の心には、ちゃんと届いているのだから。何の効力も持たない文章はないと、私は思いたい。




ブックカバーも一緒だ。営利目的でブックカバーを売ってしまえば、それはもう誰かの「世界」を包むお守りなんかじゃない。


たくさん売ることなんて、本当は望んでいないんだ。


足元がぐらつき、大切な何かを落とそうとしている人。愛しい誰かと共に新生活を迎えようとしている人。どん底から這い上がり、眩しい光の中を勇気を持って走り出そうとしている人。そんな人々が私のブックカバーを求めたとき、確実に届けることこそが、私の仕事だ


誰彼構わず商品を押し付けるなんてもってのほか。ブックカバーは絶対に「量産」なんてさせない。させてたまるか。


必要な人が受け取ってくれればいい。求める人に全力で与えることができればいい。本物のお守りを、毎日毎日、心を込めて作ることができれば、私はそれでいい。


「売り上げはどれくらい?」


そんなこと聞かないでほしい。私が受け取りたいものは、正真正銘の感謝だ。





書くこと、作ること。

自分の役割を認識し、それを遂げるためにひたすら孤独と戦い続けてきた自分だからこそ、それらに加えて私は「読むこと」も大切にしたい。


たとえその文章が私の心めがけて飛んでくるものでなくとも、共感に値するものでなくとも、誰かの心に真っ先に飛んでいく、まるで流れ星のようなその光景を、遠くの方からしっかり見守りたいのだ。団体戦のメンバーのひとりとして。


今日もおつかれさま。

がんばってるね。

頼むよ。


だから私は、自分が惰性で文章を読み、スキを押していたことが許せなかった。苦しかった。失礼に値すると思った。


活動の意味もないと思った。全力で自分の言葉を投げ続ける人々を心から応援することもできないなんて、「世界」を守る人として完全に失格だ。こんな私の手から生み出されるブックカバーは、何の効力も持たない偽物だ。


「世界」を守りたい。それは綺麗事か?

お前は綺麗事を売っているのか?

ばっかじゃねーの!?


綺麗事なんかじゃなくて、本物にしろよ、その想いを。


惰性でスキなんか押すんじゃない。「世界」を守りたくてブックカバーを作るのならば、与えられた時間の中で、確実に読み、心の込もったスキを送る方法を考えればいい。


焦燥感でnoteやTwitterを開き、スクロールなんかしている場合じゃないだろう。確実なやり取りを望むのならば、自分の信念に基づいて、自分のペースで文章を読み進めればいい。そのために「しおり」も作ったんじゃないか。


たくさんの情報に触れると我を見失う。焦る。嫉妬する。自分が分からなくなる。

けれど、「世界」を守るブックカバーを作りたいのであれば、その想いを本物にしたいのであれば、私は私自身の信念も守り抜かなければならない。


私は、私の「世界」を守るんだ。

それがきっと、ブックカバーに対する信頼そのものだから。










多くのnoteを川に流してしまっている。そこにどんなことが書かれているのだろうと思うと、とても悔しい。


でも、待っていてほしい。


私は川下まで走っていって、ちゃんとそれを拾い上げる。そして、何度も何度も繰り返し読んで、本物の「スキ」を送る。偽物ハンコを押すよりも、絶対にそっちの方がいいと思うんだ。





ぶれるなよ、Koji。


確実に届ける。

その信念は、お前がKojiでいる理由だ。


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Koji ( コジ )

「文学 × アート」をモットーに書いたり描いたり作ったりするマルチアーティスト。手作りブックカバーのお店「心象風景」店主。小説 / エッセイ / 抽象画 / お店ブログ等 ショップはこちら👉https://koji-bookart.jimdosite.com/

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手作りブックカバー店「心象風景」の日記です!新作情報、制作・運営に関すること、ご購入者さまからの声などをまとめていきます。
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コメント18件

note ってずっとあるとは、限らないのかなと思います。note の記事読んだって、それが世界のすべてではないわけで、そう思えば、流して読んでも、読まれても仕方ないなと思います。続けなきゃ次に何が起こるかわかりませんもの。スキをどうしても、どんな文章を書いてても、続けて次をみたいと思います。
美しい信念で、圧倒されます。自分の書く活動がなんだか恥ずかしくなってしまいます。一生懸命書いても読まれないし……なんてことをうじうじと考えて、落ち込んでばかりいる自分が恥ずかしい。もっと自分に誇りを持たなくちゃって思いました。「自分」をしっかり立てなければいけませんね。大事なことを教えてくださって、本当にありがとうございます。ありがとう。
優まさるさん

コメントありがとうございます。
まさにその通りですね。ここが全てだと思って苦し紛れな「読む」と「書く」を続けていたら、それこそきっと私の活動も長くは続かないでしょう。そんなことで夢が途切れてしまうのは、きっと、とても勿体ないことです。
大事なのは続けること。肝に銘じながら、私も明日へと歩き続けていきたいです。Kojiのままで。
岩代ゆいさん

ありがとうございます。私もしばらく読まれない期間が続いて散々悩み続けてきたからこそ(と言ってしまうと言い訳っぽく聞こえるかもしれませんが…)、団体戦という答えを見つけ出せたのかなと思っています。
やっぱり読まれないことは私もつらいです。投稿したからには、多くの人に読んでもらって、ついでにいいねと言われたいです。そんな中、常に「書けよ!」とお尻を叩いてくれたのがこの考え方でした。ゆいさんの文章も、私の文章も、きっと意味はあります。少しずつ、少しずつ、一緒に頑張っていきましょう😊
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