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いんよう!第6回「理系メガネの話②」

2018年9月25日公開 50分

前回に引き続き、科学リテラシー(理系メガネ)や他のいろいろな「メガネ」で物の見方が変わることについて話していますが、今回は「メガネ」をかけていない人にどうやったら面白さが伝わるのか考えてみました。ほぼ全て余談ですのでお気楽にどうぞ。

いんよう!概要欄

ここからは地引網の収穫です。薄い冊子を作るイメージで自分勝手にまとめています.



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「手加減しない蟻地獄たのしいYO!」


■言及された固有名詞

書籍
「ブギーポップは笑わない」(上遠野浩平)
「狼と香辛料」(支倉凍砂)
「クビキリサイクル」(西尾維新) 
「重力アルケミック」(柞刈湯葉) 5回目

人物 
サンキュータツオ 2回目
マキタスポーツ 2回目
プチ鹿島 2回目
金田朋子 
押井守 
大栗博司 2回目
バカリズム

アニメ
けものフレンズ 
まどか☆マギカ 
ポプテピピック 
ルパン三世「峰不二子という女」

映画
シンゴジラ 4回目
ゴッドファーザー

番組 
東京ポッド許可局 2回目
熱量と文字数 2回目

聖地
カネサビル

■目次
1. 求心力と遠心力
2. 「東京ポッド許可局」はどこから?カネサビルなの?ちがうの?
3. アニメは一緒に楽しみたい。ラノベに救われたい。
4. 「パラダイムシフト」と「そうは思わない」人たち



 

1. 求心力と遠心力

最初~7分18秒

● アニメを見だしたのは数年前。きっかけは東京ポッド許可局で、出演者の3人に興味をもって彼らの活動を追ったこと。一通り追ったあとで「熱量と文字数」を聴き、熱く語っているアニメを見てみようと思って見だしてハマった。今まで全く知らないジャンルにハマるという経験もなかったしそれがアニメだったというのも衝撃だった。(よう)


よう:許可局でもよく出てくるワードとして「遠心力と求心力」っていう話があるんだけどさ。求心力っていうのは、音楽なら音楽が好きな人がわっと集まってくるようなもの。
いん:それ、求心力?
よう:求心力。遠心力っていうのは全然関係がない人たちにも魅力を届けられる、みたいな。
いん:出た!なるほど!コミュニティ外ってやつだ。ああー。

● サンキュータツオさんは常に「遠心力」について考えていると思う。求心力だけだと同じお笑い好きの人たちとのパイの奪い合いになる。それはジャンルの中の共食いで不毛。だからファンじゃない人に届くもの、というのを考えている。(よう)

● 研究者がやれと言われるアウトリーチ活動は、遠心力のあることをやれということ。普通に考えるとわかりやすく伝えるということだけど、もう一つの方法として、とにかく楽しそうにしゃべっている様子を見せることもできる。楽しそうだから内容を理解してみよう、興味をもって自分で調べて見ようという人を当てにする。(よう)

● それは蟻地獄の裾野が広がるようなイメージがある(いん)

● そこで大事なのは「内輪ネタにならない」こと。前提の知識を必要とする話をあまりしない。あとは「手加減しない」こと。入り口だけ見せる、浅瀬のところだけ紹介するというようなことはせず、深いところまで見せること。つまり前提知識がなくてもわかるように、丁寧にかつ楽しそうにしゃべる。(よう)






2. 「東京ポッド許可局」はどこから?カネサビルなの?ちがうの?

7分18秒~12分45秒

● 最初はいっちーのツイートで知ったと思う(よう)

● もしそうならそれは弟経由。そして大学院の時に先輩にその話をしたと思う。ツイートじゃない。よく飲みに行ってたカネサビルで、先輩がお笑い論をたくさんしてくれて、その時にこんなポッドキャスト知ってますか、というような話になったんだと思う。しかしこれでポッドキャストが10年前ですとかいったらすべての記憶が噓になる。(いん)

● でもポッドキャストが始まったのは2008年と書いてある。(よう)

● あれ?じゃあ大学院時代ではないのか(いん)

よう:なんかさ、全然関係ないけどさ、おれ30代くらいになってからの記憶がさ、まったく時系順に並ばなくなっちゃってさ
いん:くっくっく。あ、ほら、2008年からポッドキャスト番組の自主製作を始め、って書いてありますもん、Wikipediaで
よう:そうでしょう?
いん:あ2008年。あ10年前か。じゃ大学院じゃねえな。出てからっすね。ほんとだ。違うのかあ。確かに我々何回か旅行に行ったりしてますから、その時かもしれない。雑!(笑) 30代以降の記憶が確かにないっすね
よう:あのねえ、エピソードは覚えてるんだけど時系列に並ばないんだよね。学年とかがなくなるからかもしれないけどね
いん:確かにね。そうですね。いや失礼しました。ぼくてっきりカネサビルの記憶だとばっかり思ってました。じゃ、違うんだ
よう:やっすい飲み屋でね。いい飲み屋さんなんだけどね、全部
いん:(笑)変わっちゃいましたよ。おんなじマスターが隣の店にいますけどね
よう:はいはいはい。そうみたいだね
いん:もう何年も行ってないなあ。そっか、いや、この話するとちょっと泣きそうになるからやめよう。よくない







3. アニメは一緒に楽しみたい。ラノベに救われたい。

12秒45秒~28分45秒

● アニメについては、誰かが楽しそうに語ってるなあ、だからまた見ようかなあというようなつながりしかない。「けものフレンズ」なんかはまさにそれ。コツメカワウソが出てきたときに、信用できると思ってフォローしていた人たちが一斉に「たのしーたのしー」と言い出したので、何かが起こったと思った(いん)

● いっちーは楽しそうだなと思ったら入っていく感じはするけど、おれはかなり腰が重い(よう)

● ぼくも重い。まどかマギカで失敗してる。盛り上がっているときに入らなかった。一緒に楽しめなかった感が悔しかったので、けものフレンズの時は最終回を見るためにツイッターを三日間休んだ。(いん)

● けものフレンズは第一話から見てた。「なんかゆるいの出てきたな」と思った一方で、背景にSFっぽい設定が見え隠れしてた。映像も明らかにお金がかかってないけどそれがいいほうに出ていた。でも盛り上がりには途中から置いて行かれた。「こんなに盛り上がる?」と思った。(よう)

● そういう意味ではアニメメガネはかけていないが、アニメ見ているときのツイッターが一番楽しい。(いん)

よう:ああ、実況みたいなこと?
いん:終わってから、こうまだ見てない人のために、ネタバレを避けながら、ほのかに感想をつぶやいてるオタクがいちばん優しい
よう:(笑)ほんとさ、なんだろね、あの行儀のよさ。まあ全員じゃないだろうけど
いん:みんな優しい(笑)
よう:(笑)そうなんだよね。なんか自分のせいで作品の魅力をさ、減らしたくないみたいなさ、へんな責任感あるよね。
いん:そうそう。まさにそういう人たちが楽しそうにしてくれてたからぼくはそこに求心されたんです

● アニメには人間の性格を記号化してく文化がある。かけているメガネの種類や髪の毛の色でキャラクターの性格がわかる、とか。人格を要素に分解して再度組み立てあげるという、帰納的な方法と演繹的な方法を組み合わせているという意味で論理学っぽい。押井守監督は「アニメ化するときは一回抽象化が入る」と言っているらしい。アニメを見て「現実と違う」とかいうヤツは、現実と妄想の区別がついていない。(よう)

● ラノベのおすすめを教えてくれ、と好きなツイッタラーに言ったことがある。古典であり王道である「ブギーポップは笑わない」を勧められた。読むタイミングをずっと計っている。読みだしたらラノベばかり読むことがわかってる。「狼と香辛料」とか「クビキリサイクル」以降はラノベを読んでいない(いん)

よう:それは、面白さを知ってるけど他との優先順位との兼ね合いとかで読んでいないだけであって…
いん:いや、そこがぼくはほんとに自分の心を救うのはそっちじゃないかっていまだに思ってますけどね (笑) 偉そうに小説とかエッセイとか読んでる場合じゃねえんじゃねえかみたいな
よう救われたいのかい?
いん:救われたいですね。わはははは。腹立つ。(笑)宗教家みたいな、問いを。

● ラノベはあまり読まない。アニメになるのを待っている。ラノベの定義はあまり考えないようにしてるが、アニメがいいか実写がいいかはよく考える。アニメのほうが映えることが多いのがラノベで、実写にした方がいいのが小説、というのは意見の分かれるところとは思う。ただ、実写映画について語るボキャブラリーは二個くらいしかない。ハマった実写映画は「ゴッドファーザー」くらい。大学生くらいの時にパート2を何回も見た。(よう)

● 映画をたくさん見ていて知識のある人、「映画メガネ」をかけて世の中を見ている人は楽しそう。しかも味わい深い人生を歩んでいる感じ。悔しい感じがする。(いん)

● いっちーの9割は「悔しい」でできている(よう)






4. 「パラダイムシフト」「そうは思わない」人たち

28分45秒~最後

● 人間社会では男女で役割があるのがよくない、とか死は仏教でいう四つの苦しみの一つである、とか言うけれど、そもそもそれがない種があるという、人間の根本的な条件が崩れる現象がある。例えば「ハダカデバネズミは老化しない」「プラナリアは切っても切っても生えてくる」「群れから雄がいなくなると雌が雄になる魚がいる」などということがある。全部の生物がそう作られているわけではなくて、たまたま生存戦略の中で人間がそうなっただけという。(注1)(よう)

● 科学の世界で大きかったのは天動説と地動説の入れ替わり。世界の認識の仕方が変わる。先週出てきた大栗博司さんによると、重力は五次元で働くらしい。それを理解した瞬間にすべての価値観がぐるっと回った感じがした、と書いてあった。ここまでくると宗教的体験に近い。(よう)

● あなたは生命科学の人間だけど、仏教的な世界のとらえ方、宗教の目で世界をとらえた人たちがどういうことを言っているか、ということに対して、ほかの人より何倍か強い。宗教を語り慣れている人と生命科学を語り慣れている人は、パラダイムシフトの話をめっちゃする。キリスト教の人はしない。(いん)

● キリスト教はそれをやったら崩れるからそうだろう。仏教は自分の中でパラダイムシフトを起こせっていう教義だから。仏陀が言ってたのは、世界の理を理解して受け入れろということ(よう)

● いっちーが病理のアカウントをやっているということで考えるなら、楽しそうに病理の話をするということ。自分は世界の見え方が変わるということ自体が好き。そういう話を聞くのが好き。(よう)

● 自分もそういう話にぐっとくる。だからアニメも見たら何か変わるかも、と無垢に言うけれど、そこも違うかもという一群がいる。(いん)

● アニメを見てない頃は実際の人間とは違うバランスで描かれているものをかわいいという気持ちが正直よくわからなかった。しかしある時自分がマヒしていることに気づいた。見れば見るほど許容度が広がっていく。それが自分の中で価値観の変換であり、こんなに変わるということは自分がいま信じている価値観も大したことはないと思うようになった。(よう)

● 変わるのもいいもんだな、というところにたどり着いた人のほうが善良に見えるタイプのコミュニティに自分はいる。何か素敵な体験があって、世界がガラッと変わるなんてすばらしいじゃないか、それに誰が反論するのか? と思うけど、反論はある。そのくらいまったく違う価値観があってもおかしくないということを知った。歳を取るってそういうこと。(いん)

● いっちーのアカウントは昔のほうがもっと戦っていた。今はめっちゃ平和。あのころは、そこは通じるはずだ、とかここは共有できるはずだ、という期待があったけど、今は根本的に考えが違う人がいるよね、となったということか(よう)

● 根本的に考え方が違う人と最低限共有する部分にアプローチする方法が変わった。「おまえらとおれは一生分かり合えないけど」の先が今までは「ここは守れよ」だった。今は「ここまでは日本語で通じるんでしたっけ?」になった。ぼくが間違っている。彼らからどこまで間違っているか探らないとわからないくらい圧倒的に間違っている場合があることがよくわかった。(いん)

● たとえば、ここ百年アメリカで宗教関連の百人単位の集団自殺が何件もある。次の彗星に乗って宇宙人がやってくるから、連れてってもらうために死のう、というような。そういう宗教に騙されないようにね、というのは言ってもいいだろうというのが昔のぼく。今は死ぬ直前まで信じ切っていたならそれはそれでかっこいい人生かもしれない、というところまで軟化した。(いん)

● そこに、自分で判断するのが困難な人が巻き込まれていたとして、「自殺の寸前直後に後悔するならかわいそうだ」というのは真実でいいのでは、と昔は思っていた。しかしそれも傲慢で、騙されてちくしょうって死ぬ幸せすら人間にはある。万人の真実はないからとりあえず「ぼくはこれがたのしいとおもいました」だけにしようと思った。(いん)

● noteに感情と理性の関係性について思うことを書いた。理性は道具に過ぎなくて、感情や価値観がおおもとにあってそれを組み立てるために理屈があると思っているけれど、感情や価値観に正しさがないと考えると、理屈上破綻していない限り価値観を批判することはできない。相容れないひととはお互いひっそり楽しく生きていくしかない。(よう)

● 自分と一緒に楽しくやっている人たちが楽しいのは許してほしいと思うが、それもダメという人はいる。その時は笑いの幅を狭める。気を付けているのは人を馬鹿にしないこと、病気や心情をネタにしないこと。ここは医学生と医師が陥りがち。人をボコボコに言って戦うのが幸せな人もいるから仕方ないけど、少なくても自分をフォローして長年自分のツイートを見ている人は将来自分と同じ考えになるはず。フォローをしてるならこれでいいよね、という確認作業はするようになった。(いん)

● ふだん平和にやっていて、たまに皮肉を混ぜたりすると「そういう人たち」がどわーっとやってくる。そういう時に優しい呪いをする。それがいつしか大喜利になるのがいい。そこでうまいこと言えるように脳を使うほうが楽しくね?と思う。好きな呪いは「足の親指の根元に毛が生える」というやつ。バカリズムが上手そうなやつ。(いん)

よう:そうだね。そっちのほうが、言った後に面白いことを言えたんじゃないかという満足感もあるしね
いん:そう、そうなんです。ちょっと気恥ずかしさも出るし(笑)で、結局そういうことを繰り返している人のほうが発信力がある、という数字が出たらいいな、と思ったり思わなかったり。(笑)するんですよね
よう:そうすかー
いん:(笑)くっくっく
よう:あのー、特に結論はないんだけども
いん:そうね。だいぶ盛り上がってしまいましたからね
よう:なんかねー、メガネにかんしては一番大事なところを実は言語化できてないんじゃないかと思ってるんだよね
いん:メガネの話、もうちょっと続けましょう、これ
よう:ちょっと切り口を変えて、同じテーマで話したほうがいいかな、と思うんだけど。多分さ、二人以外に話聞いた方がいいんだよね
いん:ほんとはそうなんでしょうね
よう:専門分野がおれらさ、割と似てしまってるからさ。その瞬間に今までの常識と感覚が崩れ去るような経験をしたことがある人の話を聞くとさ、また面白いかな、と思うんだけど。
いん:それはすごいわかります。そういう日を夢見て我々が同じところを循環してるのが、あと二週くらい続いてもいいかなという気はしています。
よう:そうだね。
いん:非効率だけど(笑)
よう:あの、(笑)ネタこねくりまわすの得意だからね二人ともね。(笑)
いん:(笑)
よう:クリエイティビティとかっていうよりはね




******** 感想********


★ メガネの話そのものというよりもその周辺の「見え方」「とらえ方」「価値観のすり合わせ」などがメインになっています。その中でハダカデバネズミの例をだしたところは、よう先輩の「生命科学メガネ」がキラリと光っていて、大好きな箇所。



★ 高校の時、生物で48点、物理は30点、化学で17点を取った実績を誇るわたしは、理系メガネを獲得せずに生活していましたが、20年ほど前、コラーゲンでお肌つるつる発言を大学同期の理系友達にたしなめられて、「でもここにこう書いてある」と雑誌の記事かなんかを手にくいさがったため、こんこんと消化の説明をされて、さらに「さどく(査読)付き論文」という言葉を教わったのが、手探り理系メガネを手に入れた初体験でした。その時はなんか世間に裏切られたような気持になったことを覚えています。おはずかしい話ですが、その後サプリとかに大枚をはたかずに済んだのは彼のおかげ。

その後、私の理系メガネにうすーくうすーく度がついているとすれば、それはYouTubeの「いんよう!科学ニュース雑談」のおかげです。いろんな言葉や考え方の方向性を示してくださって、いまも時々見返します。あれは本当にすばらしい番組でした。誰も興味ないとおもいますが、わたしが欲しいメガネは言語学メガネと哲学メガネと歴史メガネです(文系のはずですが)(何ひとつ持っていない)。




★ 最後20分近くが、ヤ先生のツイッターでの戦いと苦悶の歴史を感じさせます。先生がきちんとここをあるいてきたのはすごいし、やめずにあるきつづけているのもすごいです。粘り強くコミュニケーションを考え抜いている先生のアカウントは軽くて強いイメージがありましたが、その道程が示されたようでずーんとしました。感染症をきっかけに多くの医療情報伝達アカウントやグループが生まれたけれど、伝え方をまちがえずに残っているのって、あまりないのではないでしょうか。あるいてきた道のりが違うなあ、とちょっと白目です。




★ グーグルマップでカネサビルを検索しつつ、見てはいけないものを見ようとしているのではないかと罪悪感もあり。だって聖地じゃないですか。侵犯する意図はありませんでした。どなたかの気分を悪くしていたら謝ります。ごめんなさい。カネサビルの画像を出してきたPCを拝みました。いつかホンモノも拝みにいきたいです。


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