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映画レビュー「ある町の高い煙突」

映画のような夢を見てますか?
映画は映画館で観たい小山コウ二です!

その昔、映画学校に通っていた頃は同時にレンタルビデオ屋に毎日通って、映画を一日一本見てました。その時思ったのは「世の中に映画っていっぱいあるなぁ。一生かけても二生かけても、絶対に観きれることはないだろうな」でした。笑

映画を撮ることよりも "この物語は誰に何を伝えようとしているのか" ということに興味を持っていましたから、その時はもっぱら目新しい映像表現よりもストーリーとドラマばかりを気にして見ていました。

「だったら、小説でいいんじゃん?」
って話ですが、小説も小説で結構読んでました。笑

小説も面白いのですが、私の想像の中で人物像や情景を描き出す訳ですから、自分自身の想像の域を超えません。しかも、一冊読むのに結構な日数を要すので、読めても一ヶ月で二、三冊程度です。

でも、映像は "誰かが描いた人物像と情景" を見ることになります。それを見て、笑ったり感動したり気づいたりと、何らかの『感情経験』が自分の中に起きたりして、それって「すごく面白いな」と思うのです。しかも、2時間程度で1本観れます。まあ、効率も良い訳ですね。

なので、映像で "ストーリーやドラマを見たいし、魅せたいな" と今でも思っています。

おそらく、私の人生はあと数十年(現役でいられるのは20年かな)ぐらいでしょうが、いずれ映画や映画館に携わる仕事もするのだろうと思っています。

今は短観映画館を始められればと、少しずつそれに携わっている人たちに会って教えをいただいている状況ですが、いつか具体的な話ができるようになったら、そんなこともレビューとあわせて、書けたら面白いだろうなと思っています。(ただし、一般的で普通の映画館をやるつもりは一切ないんです。だからハードルがめちゃくちゃ高いんです)

さて、前置きが長すぎてしまいましたね。

馴染みのカフェに立ち寄ったら、お休みっぽかったので、イオンシネマ米沢でちょうど上映開始時間がぴったりだった封切り映画をやってたので見てきました。いつものように、コーヒーとポップコーンを食べながら。笑

さあ、お待たせしました!レビューしますね!

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ある町の高い煙突

この映画は、1969年に刊行された「ある町の高い煙突(著者:故・新田次郎)」で、実話を基とした、政府主導による鉱害問題を題材に、そこに生きている地元の人たちと日立鉱山との闘いと共闘を描いた物語です。

故・新田次郎氏は、映画人を魅了する小説家として、本作を含めると映画化は10作品目となります。

社会に問題提起がある小説らしい題材ですね。

ただ、個人的にはこの映画を観終わってすぐの感想としては「ドラマ以外は良くも悪くも歴史的な環境問題通じた観光映画だなぁ」と思いました。

それは、この映画製作の背景によるものでしょうが、かなり地域の声がかかった映画のような気がしたのです。ラストシーンではそれがやっぱりと思えましたし、エンドクレジットを観て、もの凄い数の地元協力者と協力会社、官公庁が関わっているのも分かりました。

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まあ、それはこの映画のテーマの一つでもある「地元の理解や、共闘と共存」が今に蘇ったと思えば、何となく納得するところではありますし、映画製作ってかなりの人と時間とお金がかかるので理解はできるところではありますが、そのせいで「映画としては、ラストのオチがオチないなぁ」と、思えてしまったのが残念でした。

あと、映画パンフはグッズなので、煙突ぐらい高くてもいいから、もうちょい体裁にこだわって作って欲しかったなあと思いました。

と、先に映画作品として "残念" と表現しつつ、これを "映画として生み出したことはとても素晴らしい団結の力である" とも言いたいです。まあ、私が言わずとも、地元の方々はそれを誇りに思っていらっしゃると思いますし、同じような地域の方々がこれを観たら、賞賛されるに違いありませんが。

これらをかんがみて、私がこの映画を一言で表現するとしたら次のようになります。

地元総出で蘇らせた100年後の約束を果たした映画

この映画には、負の遺産に変えないための人情を超えた地元愛と理想と義理堅き地元住民の素晴らしいドラマが描かれているのです。

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序盤のあらすじはこんな感じです。

「この美しい村は大きく変わるかもしれません」1910年、茨城県久慈郡入四間の裕福な地主の家に生まれ育った関根三郎(井出麻渡)は、ノルウェー人の鉱山技師からそう告げられる。隣村の日立鉱山が大量の銅を生産しているため、煙害が拡大するだろうというのだ。 鉱山から出ている黄色い煙は亜硫酸ガス。松や杉、栗に蕎麦、大麦小麦など、植物から作物まで何もかも枯らしてしまう。三郎は、それを村の権力者である祖父の兵馬(仲代達矢)に伝える。その事態を重く見て分家の恒吉(伊嵜充則)を連れて鉱山会社に掛け合いに行くが「補償はするが、煙害は我慢してくれ」と言われてしまう。 志高くお国の仕事がしたい三郎は高等教育に進学するための受験を控えていた折、「日立鉱山の採掘を許可したのは私だ」と病魔に犯された兵馬に告げられる。 合格通知が届いた日。兵馬は「止めねばならぬ」と床に生き絶えてしまう。三郎は祖父の意思を継ぎ、進学を諦めて煙害を食い止めることを決意する。そして、煙害と戦うための入四間青年会が結成し、日立鉱山との交渉にあたったのだが…。※一部、パンフレットより抜粋

配役は、主演に、銀幕ではほぼ無名の井出麻渡さん。ヒロインに、小島梨里杏さん。助演として物語に深みを出し脇を固めているは、渡辺大さん、吉川晃司さん、仲代達矢さんです。

吉川晃司さんは、日立鉱山会社の社長役。下町ロケット以来、交渉相手となる会社側の宿敵というのがはまり役になってきましたね。今回の演技も背中で語っています。

また、物語序盤に、伊嵜充則さんが受験勉強をする井出麻渡さんに対して、村に残るように説得するシーンがあります。

「俺は外交官になって国のために働くんだ!こんな村で終わりたくねぇ!」「こんな村って…そうだよな。こんな村だよな」

今も昔も変わらない。田舎に残る若者と出て行く若者。
演技も撮り方も素晴らしかったです。

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この物語は、村の存続をかけて煙害と戦う若者たちと鉱山会社の話ですが、この頃、銅の採掘は国策であったため、ある意味、地方の小さな村が国の悪政によって翻弄され故郷を守るために戦う話でもあります。

国とは、往々にしてこういった政がなされる場合があると思います。100年前であればなおのことです。

こういった地方の危機的状況を乗り越えてきた歴史を、今に繋いで発展してきたことに対して、我が国の同じような地方自治体の方々や、その地域にある企業も個人も羨しいと思えるのではないでしょうか。

歴史とは、過去と未来を繋ぐ絆

なんだと思います。ちょうどこの映画を見た日が「沖縄慰霊の日」だったからこそ、私にはそう思えたのかもしれませんが。

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また、私自身は経営者ですが、恥ずかしながら所信を忘れることが多々あります。歳を重ねると守りに入る姿勢が強くなり、中途半端になることが多くなっていく気がします。

この物語の中で、日立鉱山の社長が煙突を立てることを社員たちの前で宣言する姿を見て、言葉を聞き “社長とはこういう人のことをいうのだろう” と思わされました。僕もいつかこんな社長になれたらいいなって思います。

「私たちは、あなたを100年忘れない」

主人公の三郎が、涼やかに、真摯に、誠意を持って、日立鉱山の社長に言った言葉です。それから100年。この物語は映画としてスクリーンに蘇りました。

映画「ある町の高い煙突」予告

映画「ある町の高い煙突」公式サイト

原作「ある町の高い煙突」

その土地との土地には必ず歴史や経過があって今があるんですね。

僕たちは、今の自分を楽しく生きようとするあまり、何気ない見慣れた風景のたった一世紀前の出来事すら知らないことが多いようです。

そんなことを考えるきっかけになりました。

さて、「ある町の高い煙突」をご覧になった方がいらっしゃれば、こんなシーンやこんなとこも良かったよ!という方は、お気軽にコメントください。

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