左利きの犬

2023/12/08

 毎日何かを考えたり、文章を書いたりしている。僕は基本的に「暇だ」と思うことがない。ずっと何かを考えたり想像したりしている。休みの日とか何も予定がない日でも、寝ながら何か考えたりスマホにポチポチ文章を書くだけでわりと楽しい。書くことや考えること無限にある。どれだけ書いても満たされることはない。だから毎日書く。書かないと身体が重くなり、頭が働かなくなってくる。頭の中だけで考えているとわけがわからなくなってくる。だから書くことによって考えを明確にし、初めて自分の思いが理解できる。書く習慣がないのに深い話ができる人はすごいと思う。頭だけで考えを整理するなんてできない。今まで書いてきた文章の量は、小説家や文章を生業としている人に匹敵すると思う。それくらい書いてきた。ただ誰にも見せない日記みたいなものばかりなので、技術的なものが上がっているとはあまり思ない。だからってわけじゃないけど、このブログを書いてみている。なんとなく思いを綴る場がほしくなった。そろそろ残しておかなければいけない気がした。どっかで死んでしまうのは間違いないから、その時がきたら誰かにしらに読んでもらいたい。別に大した内容じゃなくてもいい。なんとなく日々考えていることを残す。下手にテクニックとかバズる文章とかノウハウがどーたらどうでもいい。呼吸のような日記。鼻歌のような文章。そんなものを書き残したい。

 音楽について考えることが増えた。
 
 自分の意思とは関係なく、音楽中心の生活になってきたような感覚。自然とギターやドラムを再開して、自然とメンバーを探して、自然とメンバーに誘われて、以前働いていたスタジオにも復帰して、今の生活がある。町田という場所に住んでいるのもごく自然な流れで、そこがたまたま誰かの大切な場所で、少しずつ知り合いが増えていて、居場所のようなものができつつある。時間は10年経った。未だに僕は何も成し遂げられていないし、何者でもない。ずっと何かを追いかけているような気がする。この先もずっと。

 ライブ中、演奏している時は誰にも負ける気がしない。ドラム叩いてる時はこの世で1番カッコいい叩き方をしていると思ってる。その時だけは。歌を歌う時は、ドラムの時のようにはいかないけれど、頭は冷静さを保ちつつも、自分にしかできないことをやっていると思う。弾き語りは本当に1人の世界で孤独だ。だけどそこから逃げていては始まらない気がする。12月に弾き語りのオープンマイクに誘われた。スケジュールが調整できれば出させてもらうことにした。ここで逃げたり断ったりするのはダサい。せっかく求めてくれたなら精一杯やりたい。新しいギターを弾いていると、ちょっと無敵になったような気分になる。もしかしたらすごいいい歌が歌えるかも? 俺の作る曲めちゃくちゃいいかも? なんて。自信や技術や根拠なんて何もないんだよな。ただ、自分を信じられない代わりに音楽を信じている。いや、信じたい。やっぱりなんだかんだ言ってものすごいものだと思っている。どんな表現にも勝る爆発力がある。そして目には見えないけれど、何もより美しい気がする。せっかく作れるのに、弾けるのに、叩けるのに、歌えるのに、逃げていたら勿体ない。残り時間は無限にあるわけじゃないと、今年は嫌というほど痛感させられた。やり残したとは何か。死ぬ時に後悔しない為の生き方。日々そんなことと向き合いながら、少しずつ歩を進めていく。

 人間にはとても汚い部分があって、きっとそれは誰しもが持っているもので、表に出すか出さないかの違いだけで、もちろん自分にもあるし、いつもニコニコ顔のあの人にだってあるはずだ。ただ、それを見せるか見せないか、表現するかしないかは本当に大きな違いだ。美学みたいなものを捨てるか否か。なりふり構わずっていうことはまた違うと思う。人としてのプライドを捨てるかどうか。そもそもプライドなんて持ち合わせていないのかもしれないけれど。

 汚いものは見たくないから目を背ける。それを楽しんで、それで金を稼ぐ人もいる。僕の周りにはそんな価値観の人はあまりいないように思う。というかネットとかやらないor苦手な人が多い。僕は配信やらをするので、ネットには明るい方だと思っている。でもネットのノリは合わない。なんだかずっと違和感みたいなものがある。こんなところに染まってたまるか、という気持ちを持ち続けながら。

 音楽は楽しいしカッコいいし美しい。奏でる人の人間性みたいなものがどうしても滲み出てしまう。音楽をやっていてめちゃくちゃ嫌な人になんて出会ったことがない。みんなどこかしらピュアでやさしくて不器用でいい人ばかり。頑張っていれば報われるというわけでもなく、才能が何よりも大切で、努力ではどうにもならないことばかりな世界だと思う。だけど必死になって食らいついて、なんとか日々音楽だけで生活している人もいる。そんなのミュージシャンのエゴだろうと思うんだ。別に他に働き口があれば土日だけライブするとかでも生活できるだろう。ただなんというか、その賢明さは確実に見ている人たちに伝わっていて、音楽にもそれが滲み出て、その結果応援する人が増えるのだと思う。

 棚から牡丹餅で2人のコアなファンに出逢った。なんだか最近の生活はその人たちが全てみたいな錯覚がある。自分は何もしてないのに、ただ生きていただけなのに、褒めてもらって励ましてもらえる喜び。もうそれだけで音楽を再開した価値があるし、もう辞めてしまっても何の問題もないように思う。ただ人生は続いていく。どこかでセーブして終わりじゃない。何かしらのエンディングを見るまではセーブもロードもできない。映画は長くても三、四時間で終わるだろう。人生は三、四時間寝るだけじゃ足りない。永遠とも思えるような、延々と続く道。どうせならいい景色が見たいし、BGMはカッコいいものがいい。なにができるだろうか、そう考えた時にやれることは無限じゃなくて限られている。命にも限りがある。だから今手にしているもので精一杯やるしかないだろう。また1から何かを作っていたらたぶん間に合わない。だから今あるもので戦うしかない。それがやっぱり自分にとっては音楽なのかもしれない。

 人生は音楽だけなんかじゃない。なくても生きていける。生きていかなきゃいけない。ただどうしてとまとわりついて離れてくれない。やり残したことといえばそれしか思い浮かばない。だから僕は音楽をやる。やりたい。

「一体何をビビってるんだ君の人生だ」

 そんな歌があった。この歌詞が大好きでよくカラオケで歌っていたのを思い出す。

 それではまた。

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