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「うんこ」という存在

#foodskole 「2021年度前期Basicカリキュラム」
「食」に夢を持てる社会を創りたい
第九回目は8月10日火曜日、「食べものとウンコのはなし」
人間は循環に参加しているようでしていないのかもしれない。ふだんは気にしないウンコの価値を知ることで、循環にどのように参加しているのか?を想像してみる。食べること、ウンコをすることは本来外に開かれるべき。環の中に位置付けられるものであることを知る。食についても、環境についても、すべては自分の責任。自分の行動に責任をもつ。だからウンコについても知る。
講師は、法政大学 湯澤規子さん。

今回の授業は夏休みに入って時間がとれず、あとで配信された動画を見ての履修となった。

日常のうんこ💩

授業の中で、最初に「うんこ」のことについてディスカッションするということが行われた。
私は腸の病気なので、毎日うんこの状況を観察している。私はこれまでほぼ一度も便秘をしたことがなく*、逆にうんこがゆるくて困ることの方が多い。更年期に入り、体内の水分調節がうまく機能していないような感覚があり、それが如実に体調に比例する。

* 日本緩和医療学会による便秘の定義を参考にした場合。
https://www.jspm.ne.jp/guidelines/gastro/2017/pdf/02_06.pdf

なので、我が家では毎日うんこの話はふつうにしている。
今日のうんこはどうだったか。色はどうで、固さ、長さ、量、ガスの具合まで話す。これらは、私たち夫婦の通常の会話だったりするのだが、逆によその家はちがうのか?
腸が弱く一日に何度もうんこが出るので、常に腸の中にうんこが滞在しているような気がする。
逆に、なんの抵抗もなくするりとお出ましになったものが、切れることなく身体から自然と離れ、排泄した後にへその下あたりまで腹の中に何もない感覚がはっきりと伝わった時は、この上ない快感を覚える

ディスカッション報告の中で、「アラレちゃん(Dr.スランプ)のような巻きクソをしてみたい」という意見が出ていたが、これはうんこのゆるさと量が問題で、私はよく巻いているなあと思いながら聞いていた(証拠を見せろと言われても拒否します)。うんこをし終わったときに、水たまりの中ではっきりとうんこが巻いているのを確認するのも、わりと快感だったりする。

ところで、アラレちゃんはロボットなのでうんこはしない。アラレちゃんがおもちゃにして、のちに「うんちくん」というキャラクターに発展したものは牛糞であることを指摘したい。

私は子供の頃はうんこを「うんち」と言っていた。母がそう言っていたからだと思うが、小学校に入ると圧倒的に「うんこ」派が多く、「うんち」というとなんだか子供っぽいイメージができてしまった。今では「うんこ」と呼ぶことが多いが、「うんち」でもいいのになと今でも思う。
大阪では「うんちゃん」と呼ぶという話が授業中にあり、それは決してバスやタクシーの運転手のことではなく、どこかで区別しているのだろうなと思った。
他の参加者の方のnoteでは、大阪で言う「飴ちゃん」みたいな感覚なのかということがあったが、私はそれを思いつかなかったので興味深い。
今回レポートにする上で、かなり参考にさせていただきました。あべさん、ありがとうございます。

漫画の中のうんこ💩

講師の湯澤 規子さんは、小学生のセミナーの際に、「Dr.スランプ(鳥山明/週刊少年ジャンプ/集英社/1980年)」のアラレちゃんのコスプレをして登場するらしい。
1970年代の少年誌には、うんこに関わる漫画がたくさんあった。私が思い浮かべるの最初のうんこ漫画は、「まことちゃん(楳図かずお/週刊少年サンデー/小学館/1971年」。この時期は、「トイレット博士(とりいかずよし/週刊少年ジャンプ/集英社/1970年」という漫画もあった。
いずれも、うんこを重要アイテムとして自在にいじくりまわした漫画だが、このころの文化的背景を考えると、それまであった常識をひっくり返し、エロ、グロの禁忌をいかに打ち破るかがテーマの時代。ことに少年誌の中では、それがテーマとなって大ヒットした作品は少なくない。うんこは、エロもグロもそなえたアイテムであったといえると思う。

これが1980年に入り、「Dr.スランプ」でうんこがカワイイ💩に変貌した。ストレートに人糞をおもちゃにし、カップに巻きぐそが入ったビチグソカップが大ヒットしたまことちゃんを、当時の大人はわりと冷めた目で見ていた。

まことちゃんのビチグソロック

しかし、アラレちゃんのうんちくんの登場で、うんちくんグッズが雑貨屋の一角をにぎわす自体になったとき、大人たちはすでにそれを受け入れていたのを覚えている。

うんちくんとアラレちゃん

1970年代は、昭和45年~50年代。田舎にはまだ野壷も存在したし、トイレはまだまだぼっとんトイレが一般的だった。人は人糞の臭いを生活臭として受け入れていた。
しかし1980年代に入り、下水や浄化槽も普及で、人の生活から人糞の臭いは少し遠のいた。少なくとも、他人のうんこの臭いを常に感じて生活する時代は終わりを告げつつある。
このあたりの生活の違いから、まことちゃんのビチグソが、カワイイうんちくんキャラクターとして受け入れられる素地があったようにも思う。

1970年と1980年というのは、日本人のうんこ感の大きな変換期にあったのではないかと、講義を聞いていて思った。

生活の中のうんこ💩

江戸時代までの日本では、人糞は肥料として大事な商品だった。下肥として回収し、肥料として発酵させ、田畑の生産の重要なものだった。
江戸東京博物館には、肥桶を実際にかつげるコーナーがあるのだが(2015年2月現在)、実際にこれを担いでこぼさないよう田畑まで運ぶのは大変な作業だったと思う。

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江戸東京博物館にて、2015年撮影
ピンボケ😥

ただ、この時期の人のうんこに対する認識は、臭くて忌み嫌うものであると同時に、それがあればこそ日々の生活が成り立つものであったと思われる。
このころの人は、毎日風呂に入るということもしないし、臭いに関しては今よりもずっと寛容だっただろう。
時代劇などで、人が野壷に落ちて「きたねーなあ、くせーよ」というようなセリフは、実は現代的な感覚からくる演出なのかもしれない。
1960年代頃には、まだ実際に野壷に落ちて死ぬような人があった。発酵する人糞に落ちるというのは、身動きを抑制されかなり危険だった。

アラレちゃんといえば、野にある牛糞で遊ぶのが常で、漫画の中の登場人物たちはそれを当初はものすごく嫌がっていた。しかし、回がすすむにつれ、漫画の中でも登場人物のうんこに対する感覚が微妙に変化していく。そのうち、うんこに人格があらわれ「うんちくん」というキャラクターに発展する。
「Dr.スランプ」よりも前の「まことちゃん」でもそれは顕著で、当初まことちゃんの沢田家はまことの所業にほとほと手を焼いていたし、両親はまだまだ常識的だった。まことが人糞を自在にあやつり占いまではじめ、「ビチグソロック」なるレコードまで大ヒットするようになると、沢田家全てがまこと的な感覚を身に着け、沢田家の周辺もそれを受け入れていくようになる。

1970~80年代初めころの人にとっては、うんこに対する感覚は現代よりは江戸時代にまだ近いものがあったのかもしれないと思う。
ただ、このころは「うんこは汚いもの」という大前提のタブーがあったはず。それでも、人はうんこを受け入れている。

Wikipediaの「日本における人糞利用」の項を見ると、日本各地で人糞による民間療法が掲載されており、1980年でも歯痛止めとして便器についた便カスを歯につめるなど、薬物として使用していた記述がある。

Wikipedia「日本における人糞利用」
昭和以前の民間療法
岩手県軽米町のあたりでは、歯痛が起こるとオガワ(おまる)の内側にこびりついているカスを削り取って虫歯の穴に詰めた(昭和55年)[12]。
秋田県阿仁村(現・北秋田市)中村では、便所の溜の中に竹コを入れておくと節から節までの間にきれいな水が溜まるので、それを悪い物を食べたりきのこにあたったりした時に飲むという[13]。
静岡県小河内(現・静岡市清水区)では、ミミンダレ(耳だれ)の時、便所つぼ(溜桶)の縁の汁をつけるとよく利くという[14]。
沖縄県伊計島の人によると、バンノウフウ(山に行った後などにできるひどく痒いブツブツ)と呼ぶできものには、使用後のチビヌグヤー(尻ぬぐい)を焼いて、煙をかけた[15]。

1980年というと私は中学生で、当時の自分を思い起こすと、幼稚園の頃から水洗トイレを利用していた自分の行く高校がぼっとんトイレで嫌だなあと思ったこと。母の実家のトイレはわりと最近までぼっとんトイレだったけれど、従姉が小学生の頃にそこの便壷に落ちたという話を恐怖と共に聞いたときの心情は、決してうんこを受け入れたいと思うものではなかった。
それでも地方によっては、うんこは「汚いもの」「グロいもの」というイメージはあれど、人の生活の中にさまざまな形で存在し、利用されてきた愛すべきアイテムだったのではないかと思う。

うんこ💩が汚くなったとき

湯澤さんの話によると、戦後GHQの勧めで清浄野菜というものを米軍仕様に栽培する必要が出てきて、人糞のステータスが大きく変わったとのこと。
Wikipediaの「日本における人糞利用」の項を見ると、

Wikipedia「日本における人糞利用」
第二次大戦後、ダグラス・マッカーサー率いるGHQは日本のサラダに人糞の細菌と寄生虫が多数混入していたため、日本政府に人糞肥料の中止を命じた。日本政府は「寄生虫予防会」を各市町村に作り、人糞肥料から化学肥料へと一大転換が行われた[2]。1955年頃になっても学校の保健室には「よい子はなま野菜を食べないようにしましょう」といった表題のポスターが貼ってある状況だった[3]。ただちに人糞肥料から化学肥料の使用へと完全移行した生産者は多くなかったのである。

とある。
2016年に廃止されるまで、小学生にはぎょう虫検査が義務付けられていたのは、この名残でもある。
台所洗剤に洗う物の品目として、食器の他に「野菜」と書かれているのは、昔の野菜は寄生虫予防と残留農薬を洗い流すために、洗剤で洗うことが推奨されていた。

土についた下肥は「洗剤で洗う汚いもの」としての認識から、「人糞は汚いもの」としての認識が広まる。それは、時系列的にもアラレちゃんの「うんちくん」の登場で、なんとなく曖昧にかわいいキャラクターとして昇華し、時代は水洗トイレの本格的な時代に突入し、生活の中からうんこが消えて行ったのではないかと考える。

中世ヨーロッパでは、糞尿は部屋の中で壷のようなものですまされ、あふれそうになったら窓から外に投げ捨てるということも普通に行われていた。
フランスのベルサイユ宮殿では、部屋のあちこちに壷があっていつでも用を足せたようで、その臭いをごまかすために香水の文化が発達し、道端の糞尿を避けるためにハイヒールが発明されたといわれるほど、糞尿には無頓着だった。1700年代にパリに下水道が完成するも、あまりにも使い勝手が悪いためにヨーロッパでは100年ほどこの問題が放置され、1800年代に入ってコレラの大流行でやっとヨーロッパ各地に下水道が完備され、水洗トイレが使われ始める。
アメリカに下水道ができたのは、1858年のシカゴでのこと。

モーツァルトがうんこマニアだったことは有名だが、実はヨーロッパの人たちもうんこにはあまり「汚い」という感覚を持っていなかったのではないかと思ったりする。

この間、ヨーロッパでも下肥のような形で、人糞を肥料にするということは行われていたのだが、野菜を生で食べるという習慣のためか、ヨーロッパやアメリカでは約100年のうちにうんこに対する価値観が変わってしまった。
その習慣と感覚が戦後日本に定着したため、日本は世界一衛生観念に敏感な国になってしまったのではないだろうか。

TOTOからおしり洗浄機ウォシュレットが登場したのが、1980年6月。ちょうど「Dr.スランプ」の連載が開始した年だというのも、興味深い。

食べるうんこ💩 

諸星大二郎の初期の作品に、「食事の時間」という作品がある。
とある人間型生命体のいる星か、あるいは地球の話。

食糧問題がピークをむかえたとき政府が行った政策は、上流階級と下流階級に居住区を分け、それぞれ食べ物を配給するシステムに。
下流階級の人たちには、どんなものでも消化できる“虫”を植え付け、上流階級の食べ残しを与えるというものだったが、次第に内容は上流階級のゴミに変わっていく。フラストレーションがたまる下流階級の人々。
犀吉は、まともな食べ物を求めて“虫”を管轄する生化省に忍び込むが、そこで政府が下流階級の人たちに上流階級の人たちの排泄物を消化できる新たな“虫”を植え付けようとする計画を知る。
怒る犀吉は暴れ始めるが、制御室が破壊され“虫”があふれだし、全てを消化しつくしていく。

うんこの残留栄養素を考えると、ここまでひどい差別をするかどうかは別として、自分のうんこを再利用して食料にするということは行われる可能性はあるかもしれない。
実際、腸内フローラを調整するために、他人のうんこの成分を薬として飲むという取り組みは、現実に行われている。
でも何度も再利用すると、やがてうんこはすかすかになっていくのではないだろうか。それとも、人の養分を吸い取って別な栄養素が排出される可能性があるのだろうか。

動物の親が自分のうんこを子供に与える例はたくさんあるし、生物の身体は摂取した食べ物を全て栄養として取り込むわけではないこともわかっている。腸の弱い人は、健康な人よりも栄養素の取り込みが悪いこともあるらしい。
そう考えると、自分のうんこであれば将来的に食料として再利用され、加工される日もあるのだろうか。

うんこ💩を循環させる

こちらはもう少し現実的な話で、すでに国のプロジェクトとして動いているもの。
国土交通省が下水汚泥を利用し、廃棄物利用の農業・エネルギー事業について、「BISTRO下水道」をとして事業支援を始めたのが、2013年。それを利用した農作物などの下水道発食材を、「じゅんかん育ち」として浸透させることを発表したのが、2017年。

国土交通省は、GKP※(下水道広報プラットホーム)と連携し、下水汚泥を発酵した肥料で育てた農作物などの「下水道発食材」の愛称を本日、「じゅんかん育ち」に決定しました。
 今後、「じゅんかん育ち」を浸透させ、農業における生産性の向上を促進します。
https://www.mlit.go.jp/common/001194609.pdf

じゅんかん育ち通信 facebook
https://www.facebook.com/jyunkansodachi/

実践している地域のうち、私の生まれ故郷の北海道十勝でも、取り組みがあることを知った。
農業大国十勝では、2016年の台風直撃から離農する農家が増え、広大な農地を維持できなくなってきている。そのような中で、これらの下水道プロジェクトは非常に興味深い。

この取り組みを見ていると、その土地にあった栄養素を考慮するにあたり、その土地の人の食生活まで変わっていくかもしれないと思う。
例えばある種の作物を作るために、その地域の人一丸となってその作物のために必要な栄養素が排出される食べ物を食べ、その土地の農業を活性化し、産業を育てる。
それは江戸時代に、その地域で下肥を集めたことと少し似ているかもしれない。

そこに内在する影響を考えるとすれば、1980年代までと比較すると、人は人の作った薬剤にたよった生活をしている。人糞にも人が口にしている環境が出てくるだろう。
人が腸内の細菌を綺麗に維持するということは、本当に大変なことだ。

人がうんこを循環するものから廃棄してしまってから、40年あまり。生活環境の変化とともに、人の感覚も大きく変わってしまった。
1980年代までは寄生虫だったが、これからは人の生活や環境そのものが、そのさまだけになっていくだろう。
人が自分の生産物を資源にかえるためには、自身の体調管理や生活までも見直す必要が出てくるかもしれない。それこそ、一人ひとりの循環の取り組みなのだろう。

これからのうんこ💩

一度は捨ててしまった、うんこを生活圏に戻す取り組み。
それは、昔とは違って直接うんこと対峙することはないだろうけれど、生き物であれば必ず生産するものを資源として再利用するという感覚。
生き物として生まれたからには必ず生産するもの。健康のバロメーターとして、生きる証として、人が正常に排泄するということの意味さえも包括して存在するうんこを、いつから資源ではなく廃棄物として認識するようになったのか。
そして、人はうんことの生活を再び取り戻す日を夢見るのか。

それは次の授業の「それはごみか資源か」につながっていくようだ。


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