身勝手な主張

人生一度きり。だから好きなこと、楽しいこと、ワクワクすることをたくさんして、人生を悔いが残らないように、おもいっきり楽しんでやりたい。

これが僕の「やりたいこと」
それ以上でも、それ以下でもない。この一瞬、一瞬に己の全てをかける。それで十分。成功しようが、しなかろうが、この人生に本気で向き合い、闘った。それが生き甲斐だと思う。

24歳。

この人生は振り返ってみると、野球の人生だった。小学生から始めた野球。親父の影響で始めた。楽しかった。好きだった。ワクワクした。自然とのめり込んだ。いつしか、野球が好きという気持ちを飛び越えて、上手くなりたい。プロ野球選手になりたい。そう思った。

そして、大学まで野球に打ち込んだ。好きで始めた野球、楽しかった野球は、いつしか「プロ野球選手になる」ことが、僕にとっての野球になった。

それは情熱的な日々だった。突き動かされるように練習にのめりこみ、野球と己自身と向き合った。そして、気付けば同じ志を持った仲間ができた。刺激し合った。苦しいことの方が多かった。だけど、毎日が楽しかった。それが僕の全てであり、支えだった。

結局、プロ野球選手にはなれなかった。だけど、死ぬ気で闘った。それで爽やかだ。

「球道即人道」

野球を通して、人間を学んだ。成長できた。友という尊い存在ができた。両親、そして、野球、本当にありがとう。

野球が終わり、社会人となった。野球しか考えたことがなかった僕は、企業へ就職することが当たり前だと思った。縁のある企業へ内定が決まり、なんの疑いもなく地元へ帰り、働いた。

その会社へ就職し、もうすぐ2年が過ぎようとしている。新しい体験は、たくさんのこと教えてくれた。そして、今日まで僕を生かさせてくれた。本当に感謝の気持ちでいっぱいだ。

だけど、
僕はこの会社を辞めることにした。

この2年間で、自分という存在が何か他人のように感じた。目は力を失い、偽りの自分を演じている。どんどん自分が遠い存在のように感じ、自分なのに誰だか分からない。エネルギーは失われ、小さくなっていく。世間体や常識に染まっていく自分。死は確実に近づいているのに、ただ無駄に過ぎていく時間。

肉体は生きていても、
魂は死んでしまっていた。

だけど、これは会社や、人間関係とかのせいじゃない。一言だけ付け加えるなら、僕が働いているこの会社は素晴らしい会社だ。

なら、なぜ僕はこうなってしまったのか。。

答えはとてもシンプルだった。

それは僕が、「自分の好きなこと」をしていないからだ。

好き、楽しい、ワクワクするという気持ちを無視したからだった。感情で動こう!そうすれば必ず人生は楽しいんじゃないか!?野球が教えてくれてたことを完全に忘れてしまっていた。


そして、僕には信念ができた。
やりたいことをやろう。Giverになろう。

ルールは簡単だ。「自己満足による他者貢献」であることだ。これだと楽しい!
感情で動き、己と闘い、それが個性となり、価値となる。世界中の人に、笑顔、感動、歓喜を与える。

与えて、与えて、与えまくる。

そんなGiverとして生きること。これが今の僕の信念だ。

そして忘れてはならないことがある。人は必ず「死ぬ」ということだ。いつ死ぬかなんて分からない。だけど、必ず死は迎えにやってくる。だから、いつ死んでもいいように、いつも「死」を感じていなければいけない。準備なんかしてたら死んじゃうぞ。

偉大なる未完へ。
この一瞬を生きよう。

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