見出し画像

あの頃の音楽は・・・ (BEATLES ESSAY 6)

1年程前の事だったと思うが,確か、NHKで真夜中に森繁久彌の社長シリーズという映画が放映されていた。この手の映画は,興味が無くても50年以上生きて来た者にはまた別な意味で,とても興味ぶかいものがある。その映画の中で走っている車が今では,博物館でしか見られないとか,あんな格好をしていたんだ、とか、結構面白いのです。それに当時のコメディアンはなんだか出て来るだけでおかしいのです。その画面を見ていたら,駅前のデザイン事務所というのが映し出されました。すると、えーっ!!!ドアのところにビートルズのポスターが貼られているではありませんか!これにはびっくりしてしまいました。何と,森繁久彌や,三木のり平とビートルズは同じ時代ではありませんか!周りの空気と,ポスターの周りの空気は明らかに違います。そう言えば、そうかも知れません。明らかに,当時の日本の空気はこの映画のようだったと思います。そうして,ビートルズのポスターの中の空気は異次元の世界のものだったのです。なんという違いでしょう。当時,日本の洋楽といえば,代表的なのが,ザ・ヒット・パレードでしたが、ビートルズのア・ハード・デイズ・ナイトが1位になってもそれを歌うのはザ・ピーナッツですから,何にもならないのですが、当時のビートルズファンはけなげにも、世の中の人々に少しでも彼らの曲の良さや,歌のうまさを解ってもらおうと,リクエストしていたのです。純粋なファンがたくさんいたのです。みんなおこづかいではがきを買ってリクエストしたのです。他に、ゴー・ゴー・フラバルーや、ハリウッド・ア・ゴー・ゴー、それに、ビートルズが、確か、4回出演した、エド・サリバン・ショウがありました。そうそう、アマチュアバンドのための”勝ち抜きエレキ合戦”という番組がありました。タイトルもちょっと恥ずかしいけど、登場して来る、バンドも恥ずかしいものがありました。優勝するのは決まってベンチャーズのコピーバンドです。ビートルズは歌が難しくて、当時の日本人ではとても歌えなかったのだと思います。彼らの曲はよく楽譜が音楽の月刊誌や、平凡とかの雑誌に載っていました。多くはタブ譜がついていました。僕は歌詞の英語にカタカナの発音がついている楽譜を見たことがありました。まあ、僕たちのバンド(中学時代にやっていた)でも歌詞は耳で聞いて歌っていたのです。そう言えば,いちど、僕らのバンドが、パーティーで演奏してる時,外人が入って来た事がありました。TWIST AND SHOUTの時でしたが,ヴォーカルの担当が,しどろもどろになって歌えなくなってしまいました。インチキ英語だったからです。この時は焦りました。本当に。
  また,中学の頃に僕の住んでいた街の映画館(また,映画館です。)で,なんと、”夏休みエレキ大会”というイヴェントがありました。恐れ多くも、なんともはや、ビートルズの映画の上映と,これは本当に冗談ではなく,アマチュアのバンドが演奏するのです。そのバンドのア・ハード・デイズ・ナイトのジャーンは解放弦で始まりました。でも当時はみんなそんな者だったのです。おかしいぞなんていうやつはひとりもいませんでした。太った,スポーツ刈りのベーシストは臨時です。きっと、だって、全部、指のポジションが一緒でした。でも当時は,確かにベースに音階という概念が無かったかも知れません。だって,ベースは,バスドラと同じリズムを刻んでればいいなんて,上の人達がよくいってました。全く何という時代だったのでしょう。これは本当に,冗談ではない事実なのでした。あぁ・・・

2006年12月21日21時27分

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?