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「愛」と「ナラティブ」の備忘録

最近、「愛」について考えています。

エーリッヒ・フロムは『愛するということ』で、「人間のもっとも強い欲求とは、孤立を克服し、孤独の牢獄から抜け出したいという欲求である」といいました。そしてそんな孤独から抜け出すために、「愛」が必要であると。

もうね、「めっちゃわかる!」なわけです。僕も日々「孤独だなぁ」と思っていて(笑)。だからこそフロムさんがいうように「愛するということの修錬」をしないとなぁと思って、「愛」をテーマにしたトークイベントをやったり、焚き火を囲みながら「愛」を語ってみたり、いろんな人に「愛」について聞いてみたりしていて。


でも、僕の「ナラティブ」という関心領域と、この「愛」っていう関心領域は、自分の中で接続されているわけじゃなかったんです。それとこれとは別、みたいな。

それが、東京学芸大の野口裕二教授の著書『ナラティヴと共同性――自助グループ・当事者研究・オープンダイアローグ』を読んだら、「愛」と「ナラティブ」のつながりが見えてきて、「うおおお」って、朝から泣きそうになりました。


野口さんは、これまでのナラティブアプローチは個人主義的な傾向を引きずり、関係性や共同性(ざっくりいうと人とのつながりですね)が持つ可能性を軽視していたのではないかと指摘。その上で、ナラティブアプローチの新たな役割として、「共同性の創出」を挙げます。

ナラティヴは、これまで見てきたように、失われた共同性を再生するための貴重な資源となりうる。[野口 裕二. ナラティヴと共同性自助グループ・当事者研究・オープンダイアローグ (Japanese Edition) (Kindle の位置No.2754-2757). Kindle 版.]

ナラティブを生み出すために人とのつながりをつくるのではなく、人とのつながりを生み出すためにナラティブがある、という発想の転換です。

それは、「愛のある人とのつながり」が、孤独や孤立をときほぐしていく力を持っているから。

「孤立と孤独のなかでもがき苦しむひとにとってもっとも必要なのは端的に「愛」ではないか。そして、「愛」はネットワークのなかに宿るときに安定するのではないか。すぐれた「技法」による解決だけでなく、「愛」のあるネットワークを生み出すことが目標となりうる。このことをオープンダイアローグは教えてくれた。[野口 裕二. ナラティヴと共同性自助グループ・当事者研究・オープンダイアローグ (Japanese Edition) (Kindle の位置No.2783-2784). Kindle 版. ]

例えば何かキャリアの悩みを持っている方がいたときに、相談を受けた者はその方のナラティブを共につくりなおしていく、というのが従来のナラティブアプローチでしたが、ナラティブを作り直すのではなくて、「愛のある関係性をつくること」にフォーカスする。その愛のある関係性によって、直接ナラティブに働きかけなくても、その方が感じていた孤独感が解消されて、問題も解きほぐされていく。そんな事例が、北欧でのオープンダイアローグやべてるの家での実戦で生まれてきているそうです。

僕の中で、「愛」と「ナラティブ」という二つの関心領域が、だんだんつながってきました。


今日は独白みたいなnoteになっちゃった。でもすごく大きな気づきだったから、備忘録的に書き留めておきました。

僕はどうやらこれから「愛」と「ナラティブ」の探求と実戦をしていくことになりそうです。いや〜、この森は奥が深そうだ。もりっとがんばります。


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