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「社会人になるのが憂うつ」な学生に、「社会人ってわりと楽しいぜ」という背中を見せること。あと自己決定感の話。

「社会人になるのが憂うつです」

学生の方と話してると、そんな言葉を聞くことがあります。

くわしく聞いてみると、彼ら、彼女らが接する先輩社会人はとてもつらそうなのだと。日曜の夜にはインスタやツイッターに鬱ツイートがあふれるのだそう。そりゃ、そんな姿をみたら「社会人なりたくねー!」って思いますわな。

そんなんじゃだめだぜ、って上から目線で言うつもりはありません。だって、その気持ちはすごくわかる。僕も学生時代はほんとに社会人になるのが嫌でした。スーツ着て満員電車にゆられて一日中パソコンとにらめっこしながら一日働くなんて、想像するだけでじんましんが出そうでした。


僕が「社会人になるのが憂うつ」と思っていた根っこには、「社会人になると自己決定ができなくなるんじゃないか」というイメージがあったような気がします。働く時間、遊ぶ時間、家族と過ごす時間、なにをするのか、誰と働くのか、どこで暮らすのか、などなど。自分をとりまくぐるりのことに関して、職場のいうとおりにしなきゃいけない範囲が大きくなるような、そんなイメージ。

社会人になることが自己決定ができなくなることだとすると、たしかに「社会人になるのは憂うつ」と思うのも、さもありなん、という感じです。最近では、所得や学歴よりも「自己決定」が幸福度を上げるという調査結果も出ていますし、「社会人になる→自己決定できない→幸福じゃなくなる」っていうふうに思っていたのかも。


そんな僕が、今では「学生時代より社会人になってからのほうが楽しいじゃん」って思ってるから、人生はわかんないもんです。

さいわいスーツを着る必要も満員電車に揺られる必要もなく、ナラティブファシリテーターとかわけのわからん肩書きを名乗って、平日昼間から散歩したり、お金にならないようなイベントを友達とやったり、好き勝手やってる。そりゃ、たいへんなこともあるけれど、学生時代よりよっぽど自由だし、たくさんの出会いもあるし、楽しい。

端的にいえば、「社会人になる→自己決定できる→幸福度上がる」というふうに、僕が学生の頃思っていたのと逆の流れがうまくまわっているんです。

社会人楽しんじゃってる人は僕のまわりにはたくさんいます。その人たちも、好き勝手やってる(失礼w)。彼ら、彼女らも「社会人になる→自己決定できる→幸福度上がる」の流れができているのだと思います。


「社会に出るの憂うつ」な学生は、そういう自己決定できて(苦しくも)楽しく生きている社会人たちとなかなか話す機会がないのかもしれません。だから、「社会人になる→自己決定できる→幸福度上がる」な先輩たちと学生が話す場をつくりたいなぁ、と思うんですよね。もうちょい具体的にいうと、「生き方見本市の学生向け」みたいなものをやりたい。(どなたか興味ある学生いたら、誰か一緒にやりません?)

(生き方見本市はこれ)

そうそう。以前取材した同い年の起業家の方が、「次の世代が働くことや生きることに希望を持てるように、わたしは楽しそうに働いてる姿をみせたいんです」と言っていたのが印象に残って、僕もそうありたいなぁと。

なんかあのおっさんめっちゃ楽しそうに生きてるな、もしかしたら社会人になるのも悪くないのかも?

そんなふうに思ってもらえるように、楽しく生きている背中をみせていきたいなぁ、と思うのです。

さて、今日もモリッと社会人楽しんじゃうよ。






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