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おじさんのたしなみとして、愛を語る。

「愛を語ろうぜ」

昨年9月に開催した「生き方見本市TOKYO」。そのイベントを紹介するFacebookの投稿で、たしか僕はそんなことを書いた気がする。僕は「愛し方」について語るセッションの担当者だったのだ。

「愛を語ろうぜ」と言うときの、この”おもはゆさ”はなんだろう。

あのときも、「え、なに愛とか言っちゃってるの?」って思われるんじゃないかと、内心ビクビクしながら投稿したのを覚えてる。

おかげさまで「愛し方セッション」は大好評で、僕もそれから、一部で「愛し方おじさん」と呼ばれるようになったりした(もう「お兄さん」じゃないのか、と思うとかなしいけど)。

ただ、上で書いた”おもはゆさ”もあって、最近はめっきり「愛」について語ることもなくなっていた。

でも最近、「あれ、やっぱ僕がやってるのって、愛についての探求なんじゃないかな」と思い始めたのだ。

「愛」をひろくとらえて、「自分とことなる存在を尊重する、心のありようや態度・行動」だとしてみる。

そうすると、僕の最近の興味関心である「キャリアデザイン」「パートナーシップ」「サスティナビリティ」は、「自己」「他者」「自然」に対する「愛」を探求することだとも言えるんじゃないかな、と思うのだ。

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(雑な図でごめんなさい。朝パパッとつくってるので許して笑)

内なる他者である「自己」、身近な他者である「パートナー」、僕らをつつみこむ他者である「自然」。

そうした、自分とは境界線のある他者と、その境界線をのりこえるための橋となるのが「愛」なんじゃないか。だとしたら、どうしたら「愛」をつくっていくことができるんだろう。

そのことが、僕が今興味があることみたいだ。

なので、やっぱり僕は「愛し方おじさん」なのかもしれない。「愛」を語るのはおもはゆいけど、「愛し合ってるかい?」とステージで叫び続けた清志郎さんみたいに、やっぱり僕も、胸を張って語りかけ続けていきたいと思う。

愛を語ろうぜ。


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