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空気を読みつつ、空気を読まない。ファシリテーターのむずかしさと楽しさ

なにかものごとに熟達してくると、「読める」ようになってくる。

たとえば、サーファーは波を読んで、いつ大きな波が来るかを予測する。コンパスがなかった時代の船乗りは星を読んで、進むべき方向をみちびきだす。天気予報がなかった時代の農家は雲の流れを読んで明日の天気を予想していたはずだ。

サーファーが波を読むように、船乗りが星を読むように、農家が雲を読むように、ファシリテーターはその場に流れている空気を読む。

空気というのは、その参加者やファシリテーターも含めた相互作用から生み出される、雰囲気のようなもの。

「ちょっと停滞しているな」

「あ、いまあの人のこの発言で、場の空気がかわったぞ」

とかいうように、空気を読んだうえで、それがその場が目指すゴールに向かっていなければなにかアクションを起こす。あえて今流れている空気を乱すような問いを投げかけてみたり。

そう。ファシリテーターは、空気を読んだうえであえて「空気を読まない」という方法をとることもある。ともすればその場を壊してしまうリスクもあるわけで、相当に空気を読めていないとできないからむずかしい。

「空気を読みつつ、空気を読まない」ためには、勇気と経験と繊細さと大胆さと言葉のセンスと信頼が必要。

だけれど、そこにこそファシリテーターの醍醐味のひとつもある気がしてる。

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