何のために働いているのか

わたしは今までの人生において、「対価」をあまり考えずに行動してきていた節があります。

ものごと全てが「部活」というか。

だから、わたしが動くにあたって求める「対価」って、

・みんなで頑張ってゴールド金賞取れた、うれしい(吹奏楽の世界ですね)
・一生懸命応援していたチームが優勝した、うれしい(これは大学の応援部)
・目の前のお客さまが満足して帰っていった、うれしい(今の仕事です)
・すこしは役に立てているみたい、うれしい(オンラインサロンの話)

こんなところなんです。
要は、うれしい気持ちが満たされればそれで良いんです。

入社1年目、毎日がお客さま対応でしんどかった頃。
クレーム対応がとても上手な先輩に、ふと聞いたことがあります。

「先輩は、この仕事のどこにやりがいを感じているんですか?やっぱり人と接することですか?」

この質問に対する答えが、わたしにとっては衝撃でした。
「やりがいなんてないよ。生きるため。お金がないと暮らしていけないでしょ。」

そっか。そうだよね、たしかにそうだなあ。
でもこの人は、生きるために、身を削ってまでこのクレームの嵐を耐えているのか?それって割に合わなくないかな?大丈夫かな?

そんなお節介なことをぐるぐる考えながらも、でもそれを我慢してでも手に入るお金に価値があるんだということに思いが至ったとき、

「対価」がお金になりうることに、初めて気付かされたのでした。



今は働いていて、接客=仕事だから、接客をするとお金がもらえます。
でも月給制だから、正直ちゃんと接客しなくてもお金はもらえるので、

手抜きしたって一緒だよね。

一緒だけど、それってすごく味気ないことだ、とわたしは思ってしまいます。

お金は生きるために必要。わたしだって、叶うならばたくさん欲しい。
であれば、どうせお金のために同じことをやるのなら、うれしい気持ちをめいっぱい満たしたい。

だからやっぱり、あの先輩のような考え方で働くことは、わたしにはむずかしい。

もしかしたら、わたしが一番よくばりなのかもしれませんね。

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あなたの今日のラッキーカラーは、まっしろ!
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こけちゃん

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