新婚旅行、ついでにモン・ブラン危機一髪(前編)
ジリジリと肌を痛めつける太陽。
絵の具で描いたような、青い空。
その二つに反射する眩い峰々、その麓でそよそよと揺れるトリコロールの三色旗。
2013年8月、新婚ホヤホヤのぼくと妻は、フランスのシャモニーに居た。
歴史ある世界有数のリゾート地に来て上機嫌の妻を前に、ぼくは別の意味で笑みが止まらなかった。
それもそのはず、約半年前から粛々と進められていた「新婚旅行、ついでにモン・ブラン」計画が、遂に実行の時を迎えたからだ。
実行に移す前に、皆さんに計画の詳細を説明しよう。
まずは、新婚旅行のルートである。妻と「どうせ行くならヨーロッパ」と大雑把な場所を設定してから、この計画はスタートした。
山好きであればーヨーロッパ=ヨーロッパアルプスは、ごく自然な図式であり、ヨーロッパに行くのに、アルプスに行かないなんて、豚のない豚汁、フランス式で言えば中身の入ってないムール貝みたいなものである。
したがって、ぼくの頭の中でごく自然な流れで新婚旅行のルートにアルプス行きは組み込まれた。
さて、せっかく山に行くのであれば、ただ眺めるだけではもったいない。
どうせなら、登りたい。
その時、 その瞬間、ぼくの脳裏にパッと思い浮かんだのがこの山だった。
そう、標高4,810m、西ヨーロッパ最高峰のモン・ブランだ。
あの植村直己氏の著書「青春を山に賭けて」にも熱く書かれていた、若き植村氏が四苦八苦しながら登りつめたあの山だ。
古くは1786年にジャック・バルマと、ミッシェル=ガブリエル・パッカールが初登頂し、そこから近代登山がはじまったとされる、いわば登山発祥の地、もしくは登山家憧れの聖地である、あの山だ。
そんなモン・ブランと新婚旅行をどう結びつけるかが、この計画の鍵となった。
試しに妻に
「せっかくヨーロッパ行くんだからさぁ〜、アルプス見たいじゃん」
「ね、見たいよね?」
「せっかくだしさ」
と、それとなくそっち方面に行きたいオーラを出すと「別にいいよ(大して興味なさげ)」の御回答。
よし!脈ありだと鼻息を荒くし、早速モン・ブランのルートを確認する。
モン・ブラン登山の一番ポピュラーなルートは、ヴォワ・ローヤルと呼ばれる登山鉄道のニー・デーグル駅発、テート・ルース小屋、グーテ小屋経由のルート。
でも、一泊二日のコースで、ハイシーズンは小屋の予約も困難。
そもそも一泊二日も別行動なんて、新婚旅行ではタブーでしょ。
もうひとつが、ラ・トラヴァースと呼ばれる三山縦走ルートである。
登山の拠点はシャモニーで、そこから標高3,842mのエギーユ・デュ・ミディ駅までロープウェイでひとっ飛び。
エギーユ・デュ・ミディ駅から南に稜線を下ると見えるコズミック小屋に脇目も振らず、モンブラン・デュ・タキュル(Mont Blanc du Tacul、標高 4,248m)とモン・モディ(Mont Maudit、標高4,465m)を越え、モン・ブランに至るルート。
本来ならコズミック小屋で一泊し高度順化が基本だが、このルートならミディ駅スタートなので、頑張れば日帰りも可能?である。
最悪でも、モン・ブランの前にある二山いずれかぐらいは登れるはずなので、ぼくはこのラ・トラヴァースに賭けることにした。
だが、勝手に新婚旅行にモン・ブラン登山を組み込んでみたものの、もちろん妻は登らない。
よって、日帰りにせよ、新婚の夫婦が別行動しなければならないという、一番大きな壁が未だ残っていた。
しかも、日帰りするにせよ、前日にミディ駅まで上がり、高度順化する必要はある。
なので、シャモニー滞在は最低二泊三日必要だ。
この壁を超えるため、今度は新婚旅行全体のスケジュールを考える必要があった。
今回はツアーやパックではなく、全くフリーでヨーロッパを周遊する予定だったので、全てぼくがプランニングした。
ヨーロッパアルプス以外は、妻の希望を叶え、なおかつモン・ブランを含めた全行程を考えると、かなり複雑なコース取りを強いられた。
しかも妻は、ほとんど初の海外旅行、そして初ヨーロッパである。
新婚旅行を成功させ、かつモン・ブラン楽しむとなると、このシャモニー滞在の日取りが非常に重要であった。
そして、僕と妻が少なくとも半日以上離れても大丈夫な日を作る。
妻の希望は、フランスのパリと近郊、モンサンミッシェル、スペインのバルセロナに行きたいとことだったので、ちょうど真ん中ぐらいにモン・ブランをぶち込みたかった。
ちょうどその頃、ぼくが大学院生時代にお世話になった先輩家族がパリ在住だったので、相談したところ、「ウチを拠点にしなよ!」というありがたいお言葉を頂けたので、思いきり甘え、先輩のいう通りにパリ拠点でコースを考えた。
結果、パリからバルセロナ飛び、そこからスイスのジュネーブへ。
ジュネーブでレンタカーを借りて、シャモニー。
シャモニーで数日滞在後、再びジュネーブへ戻りパリに飛び、そこからモンサンミッシェルを目指すコース取りとなった。
シャモニーは、前半のハイライトであるスペインの箸休め、避暑地的なアプローチで、妻にはアルプスのリゾート地でゆっくりバカンスしてねという主旨で、見事組み入れることに成功した。
ここまでは、なんとかなったのだが・・・。
肝心の「山に登る、しかも一人で」、これがなかなか切り出せなかった。
やはり新婚旅行で妻を置いてモン・ブランに登るだなんて、良心の呵責というか、一抹の罪悪感というか、なんというか。
まさか妻も、新婚旅行でダンナが「モン・ブラン登る!しかも一人で」なんて言い出すとは露程も思っていないだろう。
この最大の障壁を超えるため、中途半端な気持ちに踏ん切りをつけるため、ぼくはある行動に出た。
ある日のこと、パソコンの画面とにらめっこしていたぼくは、遂にマウスの右クリックをポチッと押した。
それは、フランスのアウトドアメーカーsimond(シモン)の購入確認画面の了承ボタンだった。
送り先は、シャモニーのホテル・リシュモン。
購入した商品は、登攀用のピッケルとクランポンだ。
これでもう後戻りは出来なくなった。
ホテル・リシュモンにはすでに荷物の受け取りをメールでお願いしていた。
その日ぼくは意を決して、恐る恐る妻にモン・ブランの話を切り出した。
―せっかくシャモニーに行くんだしさー、ちょっと登ってきてもいい?(恐る恐る)
「え、どこに」
―ちょっとモンブランあたりにさ、登りたいなぁ〜なんて(思っちゃったりして)
「・・・」
―いや、モンブランって言ってもさすがに上までじゃないよ!(大慌て)
―ちょっと氷河を歩いて登れそうな山があったら、ちょろっと登ってさ(取り繕う)
「その間私、どうするの?」
―そうそう、それなんだけどさ
―初めてのヨーロッパで、しかも長期じゃん。
―シャモニーのあとのことも考えて、1日ぐらいホテルでゆっくり休む日作った方がいいかなぁーと。まあ、その間にちょろっと登ってくる感じ?
「ふーん、まあ危なくないんだったら別にいいけど・・・」
やったぞ、作戦成功!
心の中で大きなガッツポーズ。
危なくないとは言い切れないけど、見事に?妻の許し?を得たのだ。
勇気を振り絞って言ってみるものだ。
よし、これで晴れて堂々と山の準備ができる。
かくして、ぼくらのキャリーバッグには、およそ新婚旅行には似つかわしくない代物がギッシリと詰め込まれたのであった。
話を戻して、
シャモニーに着いたその日、早速ぼくは明後日以降の天候を確認するために、シャモニー山岳情報センター(Office de Haute Montagne)へ向かった。
シャモニーの中心地に位置するこの情報センターは、三階建ての塗り壁石造り。
歴史と伝統が感じられる建物の二階がモン・ブラン登山に関するインフォメーションデスクだ。
そこでデスクの担当者から告げられた天気は、「明日はオーケー、でも夕方からは崩れる。雷に気をつけろ。明後日以降はやめた方が良い。」ということだった。
うーむ、困ったぞ。
予定では、明日はミデュ駅まで上がり氷河ウォークで高度順化をして、明後日登る予定だったからだ。
でも、天候的なチャンスは明日がベスト。
コンディションを整えて登るなら絶対に明後日。
いきなり決断を迫られた。
結果、急遽ではあるが明日登ることに決めた。
高度順応していない状況で一気に登る危険性と、悪天候の中で登る危険性を考えた時、どちらが自分自身の力で最終的に回避できるかで決めた。
8月といえど、標高4,000m。
吹雪けばホワイトアウトになり、自力下山はかなり厳しくなる。
高山病はヒマラヤで経験済みだ。
(※2013年1月にアマ・ダブラム登攀を行った。ジェットストリームに遮られ登頂ならず。下山時に滑落するというオマケもついた。)
予兆となる症状が出た段階で、無理せず下山してくれば良い。
自然には逆らうことはできないが、自分のコンディションは気力でなんとかカバーできるはず。
ホテルに戻り、妻と軽く打ち合わせ。
明日は6時発のロープウェイで登り、最悪最終便の17時半発のロープウェイで戻ると約束する。
ぼくに与えられた行動時間は11時間。
本来であれば、前泊は後泊で3,613mにあるコズミック小屋を利用するのだが、ぼくにはそれができない。
何度も言うが、新婚旅行なのであくまで日帰りするしかないのだ。
いずれにせよ、かなりのハイペースで登らなければモン・ブランの頂上にはたどり着けないだろう。
自分の限界が試される山登りになりそうだ。
ぼくの限界はどこにあるのか。
できれば、モン・ブランの頂上にタッチして帰ってきたい。
興奮しないように、と心がけていたが、出発が明日へと早まってしまったためか、興奮して寝つけなかった。
横でスヤスヤ寝ている妻の横顔を見ながら、新婚旅行に来てまで登ろうとする自分の山への執着加減に、いまさらながら若干嫌気がさした。
登れても、登れなくてもいいから、絶対に帰ってくる。
妻を新婚旅行未亡人にしないために・・・。
はっ・・・。
目を覚まし、時計を見ると6時すぎ。
・・・やっちまった。
昨夜の興奮でなかなか寝付けなかったせいで、見事に寝坊してしまった。
6時発のロープウェイに間に合わず。
次は6時半だが、今から準備して向かっても間に合わないだろう。
朝の駅は登山者が列を為し定員に達すると締め切られる、と何かのガイドブックに書いてあったからだ。
とすると、次は7時。
早速貴重な一時間を無駄にしてしまった。
正直、かなり落ち込んだが、気を取り直し、寝起きで瞼が重そうな妻に見送られホテルを後にする。
パンの焼ける香ばしい匂い、トマトのような青臭い果実の匂い、大気中に散らばった様々なシャモニーの独特な匂いを吸い込み、駅を目指し歩く。
ピッケルとカラビナがぶつかる音が背中で鳴る。
真夏といえども、標高1,000mを越すシャモニーの朝は肌寒い。
歩くうちに、ぼやけた脳みそがシャキッとした。
6時半に駅に着くと、やはり登山者で列ができていた。
なんとか7時発のロープウェイには乗ることができそうだ。
順番を待っている人たちの装備は様々。
冬山使用でロープ持参のガイドらしき男性もいれば、夏山のトレッキングにいくような格好の女性もいる。
みんな目的が違うのだろう。
ぼくは、モン・ブランに登る。
7時、白くガスに包まれた陰鬱な空の中を、ロープウェイで一気に上がる。
途中、2,317mの駅で乗り継いだが、なんと20分足らずで3,777mまで上がってしまった。
びっくりしたのが、乗り継いだ駅からミディ駅まで中継する支柱がなかったこと。
つまり、駅から駅までダイレクトにケーブル一本のみ。
まさに宙ぶらりんとはこのこと。
揺れる、揺れる。
正直、結構ビビった。
駅の表示にしたがって歩いてゆくと、雪洞のような青黒い氷のトンネルがあり、そこを抜けると柵で仕切られた展望台。
モン・ブランへのトレイルヘッドでもある。
黄色い立て看板で「ここから先はアルピニスト以外お断り。」の表示。
ガイドと顧客のペアがクランポンを装着したり、ハーネスを点検したりしている。
その横で、一人いそいそと準備する。
どうやらソロで登るのは、ぼくだけみたいだ。
さっさと準備を終えて、「Keep out」の黄色いテープがついた柵を越える。
急勾配を一気に下り、だだっ広い雪原、ミディのコル(Col du Midi)に着いたのが8時。
雪原の先には、最初の一山モンブラン・デュ・タキュルがある。
いかにも崩落しそうな雪塊の層が斜面に陰影を帯び、その上部が朝陽を浴びて白く輝いている。
自分の限界がどこなのか、いよいよ試す時がきた。
一度立ち止まり、大きく息をついて、ぼくは再び歩きはじめた。
モンブラン・デュ・タキュルは40分で超えた。
今にも崩れ落ちてきそうな巨人の階段を蟻のように這いつくばり、必死に登り切った。
途中、青黒く底の見えないクレバスを何度か覗き、ゾッとした。
タキュルの肩の上まで登りつめると、これまたゾッとした。
そこにはデジャヴかと思うような光景が広がっていた。
再び、だだっ広い雪原、そして雪原の先には、先ほど登り切ったタキュルよりも急峻な山容のモン・モディがそびえ立っている。
こりゃ想像以上に強烈な山行だ。
でも、今のところ調子は絶好調。
高度障害の兆候も全くない。
このペースで登れば、もしかするとモン・ブランのピークまでいけちゃうかも。
荒くなった息を整え、再び歩き出す。
雪原のはるか先に、先行するペアが黒い点で見える。
そこから約1時間、ようやく雪原の末端、モン・モディ北東壁の取り付きまでやってきた。
腕時計を見ると9時30分。
強烈な雪の壁が目の前に立ちはだかる。
もちろんノーザイルで超えなければならない。
指先まで緊張感が伝わる。
覚悟を決め、ピッケルを雪面に突き刺した。
抜けるような青天に続きそうな雪壁を、一本のピッケルと両足のクランポンに身を委ね、緊張感を持続させながら登る。
部分的に氷壁と化した斜度はおよそ30度ぐらいであろうか。
三角バランスを取る四肢に、自然と力が入る。
特に、ふくらはぎに負荷がかかる。
落ち着け、落ち着け。
先行するパーティが落としてくる雪片が、時折シャワーのように降ってくる。
そしてたまに、拳ほどの氷塊も落としてくる。
おいおい、ふざけるなよ。あんなの食らったら大怪我するぞ。
ちょっとは下を気遣えよ。
ザイルで括り付けられ、ガイドに引っ張り上げられている登山者は、どうやらそれほど経験者ではないようだ。
かといって、上の二人をちんたら待っている余裕はない。
そこでぼくは、若干ルートをはずし、遥か上部の二人を巻くように、右側の斜面にルートを伸ばした。
右に行けばいくほど傾斜はきつくなり、さらに陽のあたり具合からか、ほぼ完全に氷壁となった。
ただ、上からの落し物に気を遣わなくてよくなり、おかげでペースも上がった。
やがて最後の50mまでたどり着いた。
もうひとふんばり。
さらに傾斜が増した雪壁の斜度は40度ぐらい。
ここまでくると、体感的にはほぼ垂直だ。緊張感が増す。
今、僕は硬い雪の壁に、ピックの刃先とクランポンの爪で立っている。
乳酸が貯まってきた腕の筋肉にしばしの休息を与え、それぞれ腕をぶらぶら、下を見る。
やっぱ見なきゃよかった。
下までストーーーーンだ。
こりゃ、とんでもないデカい滑り台だな。
その末端には、巨大なクレバスが大きな口を開けて待っている。
今更ながら恐えーーーーーー。
しかも、ノーザイル。
もう絶対に下は見ない。
さて、気を取り直して登りましょう。
刺し込み、蹴り込み、また刺し込み、また蹴り込みの繰り返し。
丁寧に、かつ俊敏に。
4,000mの雪壁に無心で取り付く。
全神経を集中させ、三点に命を託す。
近づけた顔の蒸気で、雪面との切片に気の対流が起きているようだ。
少しずつ、壁の突端が近づく。
ふぅ、ふぅ。
落ち着け、落ち着け。
ビスターリ。ビスターリ。
最後まで、乱さず規則正しいリズムでいこう。
刺し込み、蹴り込み、刺し込んだとき、垂直から再び水平の世界へ。
モン・モディの肩の上、腕時計でちょうど11時。
超えた。
安堵感と、達成感。
いや、まだまだ。あと、500mだ。
目指すは、モン・ブラン。
3時間半でここまできた。
上々だ。
後編につづく。
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