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辞めない方が迷惑 ってこともあると思う

大学を卒業し晴れて社会人の仲間入りを果たしたあの頃、学生時代の仲間と飲む時の話題は専ら仕事に対することであった。

「最近仕事の方はどうよ?」

各々の不満を肴に、自らの境遇の過酷さをひけらかしあい、尿酸値のことなんか気にせずにさほど好きでもないビールを得意げに飲み続けていた22歳の自分がとても懐かしい。

それから年を重ね、友人等と会った時にかけられる言葉達は次第に「今は何の仕事してんの?」と転職していること前提のものとなり、ついには久しぶりに会っても職については何も聞かれなくなった。

新卒で入社した会社を数ヶ月で退職し、それから10年の間にいくつかの会社を渡り歩いていたので、そうなるのも当然だと思える。
彼等も会う度に環境が変わっている僕を見て、聞くだけ無駄だと学習したのだろう。
世間から「継続性のない人間」と認識されるには十分すぎる程の経歴が僕にはついてまわり、そんな過去達をまだ飼いならせずにいる。

しかし、意外にも昔からこうだった訳ではない。
小学校一年生の頃からサッカーは9年間続けてきたし、高校時代のアルバイトも入学早々に始めてから一途に同じところで働き続けた。
どちらかと言うと僕は「辞められない側の人間」だったのだ。

そんな奴の成れの果てが、なぜこんな感じの仕上がりになっているのだろうか。
「全ての始まり」なのかもしれない新卒の会社を退職すると決意したあの頃のことを、僕は毎年高校サッカー選手権を見る度に思い出すのだった。

———「下校時間の10分前過ぎたから、ラスト1プレーな!」
この時を待ってましたとばかりに、キャプテンに告げる。
中学時代、サッカー部で青春を浪費していた時の風景。
とりあえず早く部活を終えたくて、ミニゲームをしている最中だというのに僕の目線は先ほどからボールではなく時計の針を捉えていた。

小学校1年生の頃から、なんとなく続けてきたサッカー。

いや、白状すると「なんとなく」続けてきたというよりかは「いやいや」続けてきた、の方がシックリくる。
中学では絶対にサッカーはやらないと決めていた筈なのに、入学前の春休みにうっかり部の練習へ参加してしまい、先輩とも顔見知りになってしまった僕は気が付くと入部届に名前を書いていた。

僕の学校は公立校だったがサッカー部は県内屈指の強豪校として有名で、体育会気質と真逆にいる自分の性格を分かりながら、その一員となるべくペンを走らせている当時の浅はかさが恨めしい。

入部後は毎日朝練に始まり、授業をこなした後は下校時刻ギリギリまで練習が続き、テスト期間ですら、校庭のランニングと筋トレが必須ルーティーンとして組み込まれている。
そんな日々を一度もサボらなかったことだけは自分を褒めてあげよう。

サボる勇気がない代わりに常々考えていたのは「いかに正当な理由で練習
に参加しないで済むか」という姑息な手段についてであり、その為に3年間、学級委員や風紀委員といった放課後に居残り必須の役回りを進んで買っていた。

そんな僕も高校生になって、やっとサッカーと手を切り、大学に進学してからは時々仲間内でフットサルをする様になった。

義務ではなく(元々義務など無いのだが)自発的にボールに触れ、人生で初めてサッカーの楽しさを知った代わりに胸の内に「あの頃、下校時間を知らせる僕の声はチームメート達にどう響いていたのだろう」という、疑問が沸き立ってきた。

どんな場所にも、場のモチベーションを下げる奴というのはきっといて、中学時代の僕はまさしくそっち側の人間だった。
部員の中でも目立つ方ではないのに、練習時間の終わりを伝える時だけは威勢が良いので、ほとほと周囲も呆れていたことだろう。

別にサッカーが上手い訳でも無く、途中からレギュラーの座も奪われた僕が退部しても誰も困らなかっただろうが、退部=はみ出し者 とみなされる村社会の様な中学校では、とても部を抜ける勇気など出なかった。

もし、あの頃。
既定路線を走り続けている中で、一旦途中下車を試みて、正しい行先へと乗り換えが出来ていたなら。
その為の勇気を出せていたら、自分にとっても周囲にとっても良かったのではないだろうか。との考えが、静電気を纏ったセーターの様にチクチクと感情を包みこんでいく。

この時の思いを覚えていたから、新卒で入社した会社を数ヶ月という短さで辞めるかどうか悩んだ時に、人生で初めて「辞める」選択をとってみたのだ。

……そこからものの見事にやめ癖がついてしまったのは僕の不徳ではあるが。

僕自身、仕事にせよ恋愛にせよ「続けられる人」と出会うとそれだけで一定の信用に繋がるし、採用等で【継続性】を物差しとして人を振り分ける為の道具にするのは理にかなっているな、と思う。

ただ、周囲に悪影響を巻き散らかしながら居座り続けているだけの人も沢山いて、僕は辞めることのリスクよりもそういった人に自分がなってしまう方が怖いな、とも思う。

今年も目の前のテレビの中では寒空の下、高校生たちが必死にボールを追いかけている。
彼等の様に感動とまでは言わなくても、周囲に良い影響を与えられる人間でありたい。



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