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商業行為の存在価値。


商業行為はお金を稼ぐためだけに
あるのではありません。


このnoteを通しても「商業の価値」について、
文章を書かせていただいたことがあります。


僕の中にある、
日本の社会における、
商業行為に対する違和感、、、。


商業デザインの職に就き、
建築事務所で視点の異なるデザインを学び、
今、再び桑沢でデザインを学んでいる中で、


ほんの少しずつではありますが、
僕が目指す商業行為というものが
言葉になりそうな気がしています。


そこで今回は、
大学時代の卒業設計に視点おいて
僕が考える商業行為の価値について、


考えていることを整理するとともに、
共有させていただきたいと思います。



それではさっそく、、、



始まりは、


人にとってのしあわせとは?

人が生きていく上で必要とする、
ワクワクやキラキラしたもの、

それってなんなんだろう?


ということです。


産業革命を機に、
人々は全ての物事に対して、

効率的、合理的、機能的
であることを重視してきました。


さらに商業行為では特に、
金銭的な利益を最重要視し、


「経済的機能性」というものを、
いかに利潤を生み出せるのか?

ということを追求し続けています。



あなたの存在には、
いくらの価値がありますか?



人にとってのしあわせ、
人の生きる意味、存在価値とは、

そんなにも明確なものなのでしょうか?


現代の商業行為、商空間では、

「経済的な利益を生み出すこと」
を軸として物事が考えられています。


店内動線
商品のレイアウト
空調
インテリアとしての表層

そして空間そのものが、
「モノを売るための場」として
店作りは行われてきました。


そしてそのような考えは、
公共空間、商空間の壁をも
乗り越えて、、、。

https://note.mu/koko06/n/n57b375f656fc



空間が存在しなくても、
効率よく「ネットによってモノが買える」
そんな時代はもうすでに来ているのに、


モノを売ることを軸として考えられた
店作りが今後通用するのでしょうか?


商空間が生き残っていくためには、
新しい存在価値を生み出す、
そして本来の存在価値を取り戻すことが
必要となってくるのではないかと考えます。


本来の商業行為の存在価値とは。


僕は「物々交換」というものが、
根本にはあるのではないかと、
そう考えています。


https://note.mu/koko06/n/n40c0e1f8aa3a



大まかに言うと、
生きていくために商業行為は
始まったということ。


「生きていくために必要な消費」
というものが商業行為における消費
のはずであったということ。

過剰に消費を促すのではなく、
生きていくために必要な消費を促す。


生きていくために必要な消費。

ワクワクやキラキラしたもの。



大学時代の恩師から頂いたお言葉を、、、。


桜の木があってもなくても、
何か困るかと問われたら、
なくてもいいかもしれない、桜の木は。

僕らの知ってる世界のほとんどは、
なくてもいいものばかりだということ。

でも、なくてもいいものとは、
あってよかったなぁと思うものだと。

おしゃれも、あそびも、おいしいものも、
おもちゃも、たのしいもののほとんどは、
なくてもいいと思われそうなものだ。

そして、ときどきあってよかったなぁと
思われてる。



これは、コピーライターである
糸井重里さんのお言葉でもあります。

この言葉を聞いた時、僕は、


「これが商業が大事にしていくべきものだ」


そう感じました。

人が生きていく上で必要とする、
ワクワクやキラキラしたものって、

なくてもいいと思われているもので、
そんな、なくてもいいと思われているものが
本当にゼロだったら、すごく寂しいことで。


世界から色が消えていく。


だからこそ商業行為には、
本来の価値を取り戻してほしい。


人が生きていく上で必要とする、
ワクワクやキラキラした消費を
促すためのものであってほしい。


決してお金を荒稼ぎ
するためのものではなくて、、、。


というところで、
すごく長くなりそうなので、

今回はここまでとしたいと思います。

また続きは次回書かせていただきたいと
思っていますので興味を持って
いただけた方がいれば是非、、、。

本日も最後までおつきあい、
ありがとうございました、、、。



#日記 #デザイン #インテリア #インテリアデザイン #商業 #建築 #とは


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