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休学を決断するまで① 〜休学前の私〜

大学3年生を終え、4月から休学生活を送っています。
旅先で会う方々に「休学しているんです」というのを言っているので、「なぜ休学しようと思ったの?」というのをよく聞かれます。
自分の中で「休学って逃げなのかな」と考えたこともありますが、休学することが現時点での最適解だと思ったので後悔は一ミリもしていないです。

私自身、休学を考え始めてから決断に至るまでに休学経験者に話を聞いたり、noteで休学関連の記事を読んだりしていました。
私の記事も、少しは誰かの参考になるかも知れないと思い、休学に至るまでに考えたことを書いてみようと思います。

休学を考える前の私

真面目なことが取り柄・良い所…?

かなり長い間、私は馬鹿真面目に生きてきたと思います。高校の担任の先生に「手の抜き方を学んだ方が良い」と言われたり、こうしなきゃという気持ちがしっかりめにあったり。
自分の感情があまり出ないタイプだったこともあり、自分がこうしたいと思うことよりもこうしなきゃと思うことを優先してしまうことが多かったと思います。
学生の本分は勉強だからととにかく真面目に授業を受け、真面目に宿題をこなし、真面目にテスト勉強をして、とにかく真面目にやってきました。
真面目なのが取り柄だと思っていたし、実際に真面目だねと褒められる場面がたくさんありました。
でも、高校生ぐらいから不意に「真面目って本当にいいことなの?」と思い始めました。内申点やテストの点数をよくしようと勉強に全振りしている私と、その周りで「テストやべ〜」と言いながらも赤点はなんとか逃れ、遊びに部活に恋愛に、とにかく楽しそうにしている同級生。
極端に言うと勉強しかしていない私よりも、学生らしく楽しくいろんなことをバランスよく楽しんでいる人の方がよっぽど今を生きているんじゃないかと思うようになりました。

もちろん真面目に取り組むのは私の一つの良い所。でも、真面目というより『真面目にやれない自分が嫌い』だったり、『ちゃんとやっていないと認めてもらえない、自分を保てない』という気持ちが根底にあったのだと思います。

私的には言われたことを言われた通りにこなしているだけで、そりゃあ褒めやすいし『いい子』と思われやすい。けれど、それは果たして私の本質的ないい部分なのかというとそうでは無いよなぁと感じ、モヤモヤしていました。

一つのことを突き詰める(やりきらないとダメと思っていた)

私は大学2年生の夏頃からあるNPO法人でボランティア・インターンをしていました。他の大学生メンバーや社会人の職員の方々と関わったことで自分自身を客観視できたり、プロジェクトマネジメントの基本、コミュニケーションについて学ぶことが出来たと思います。

実際、NPOに入る前後の自分は、かなり違う人間だったと感じています。自分の意見を言えず、特に何かに取り組んでいるわけでもなくとにかく自信がありませんでした。これまで関わることの無かった人と関わると凄く楽しくて、尊敬する職員の方から様々なことを学び、何も言語化できなかった自分が自分の意見を少しは言えるようになりました。

成長を実感できることが嬉しくて、何より教育支援の団体だったので教室で関わる高校生の変化が見えるのがやりがいになっていました。就活の時にも必ず活かせるし、大変ではあるけれど頑張りたいと思っていました。

けれどここでも、「本当はもっと遊びたい」「もう少しコミット量を減らしたい」という自分の気持ちを優先することができず苦しんでいた部分もありました。元々NPOに入ったのは「ボランティアやってみたいな~」くらいのテンションで、他に考えたいことややりたいことがあるのにそこに留まる必要性はなかったはずです。
でも、必要とされたり『ここで辞めたらなんか逃げてることにならないか…?』などと考えて続けていました。ここでも、真面目に取り組む自分を捨てるのが怖かったのだと思います。

休学を考え始めたきっかけ

NPOで大学生のマネージャーをするようになり、学ぶことやできるようになること、まかされることも沢山増えました。大変で、しんどくて、辞めたいと思うこともありつつ、やりがいや自分の存在意義のようなものを感じ(今思うと間違っているなというか、自己肯定感が低かったように思う)頑張りたいと思っていました。
すると、もはやNPOの活動だけできたらいいのになと思うように。
就職するときに大卒の称号は確かに見られてしまう部分ではある。けど単位を取るために講義の内容を一時的に詰め込んだり、どの授業が楽単なのか情報交換したり、大学に高い授業料を払って通っているのって馬鹿馬鹿しいなと思う気持ちもありました。

それを、私が尊敬しているNPOの社員の方に話した時に「休学しても良いと思うけどなぁ」と言われました。結局休学の目的は『NPOの活動に専念するため』ではなくなるのですが、初めて休学という選択肢を知ったのはこれがきっかけでした。

休学を知ってから考えたこと

知っている範囲が狭い

NPOに入って一年経ったくらいに、「もっと他のことも知った方が良いんじゃないか」と考えるようになりました。
私が大学に入学したのは2020年4月で、まさにコロナ禍まっただ中。サークルも機能しておらず、バイト以外は一歩も外に出ないような生活を送っていました。
NPOに入ってそこにかなりの時間を割くようになり、同時期に塾講師のアルバイトをしていました。「教育」への関心は確かにあるけれど他のフィールドを見ることすらしていない。大学3年になって就活を意識しだした頃だったというのもあり、このまま就活して良いのかと考えていました。

考えられる範囲が狭い

NPOで活動し始めて1年ほど経つと、毎回同じ思考パターンをたどっていることに気がつくようになりました。誰かとのコミュニケーションにおいても、ミーティングしている時も、何か問題が起こったときの対処方も、自分はワンパターンだな…と。
これに気づいてしまうと、考えるのが楽しくない。というか、どうせまた同じパターンを辿るなら考える意味ってなくないか?と。

なんとなくですが、「自分が知っている範囲の限界を知った」状態なのかなと思います。自分が卵の中で生きていて、卵の殻が自分の知っている範囲と知らない範囲を分ける壁。小さい頃は卵の真ん中で生きていて、どんどん動ける範囲が広がっていく。元の真面目な性格や色んな経験の不足から、このタイミングで殻にぶち当たり、これ以上広い範囲のことを考えられないという状態になったのかなぁと。

働くことに対して全然良いイメージがない

電車の中で見る疲れたサラリーマンや、嫌だなと思いながらも生活のために同じ仕事をし続ける人、通勤途中に電車に飛び込んでしまう人など、たとえ自分や家族が生きていくためとはいえそんなに思い詰める必要って本当にあるんだろうか。
それに自分自身が嫌だな、辞めたいなと思ってもそれを『逃げ』と捉えてしまいなかなか行動に移せないことがあることを知っていたので『とりあえず就活しないと』という気持ちにはなれませんでした。

世の中には自分がやりたいことを仕事にしてます!という方もいるし、こんな面白そうなことばっかりやっていてどうやって生活が成り立っているんだろう…という方も沢山います。でも、テレビや本、YouTube、Instagramなどでそういう方々を見てもなんだか実感として吸収されない。

仕事に支配されて生きるのではなく、仕事を使って自分を楽しませている人や仕事に限らず自分のやりたいことをやっている人に実際に会いたい。どういうマインドで仕事をしているのか、どんなことに楽しさを見いだしているのか、今後どういったキャリアを望むのか、かっこいい話や大きい主語でなくていいから(というかそうでない方が響く)聞いてみたい。と思うようになりました。


こうして、休学したい!という気持ちがどんどん膨らんでいきました。
ですが、すぐに休学の選択肢をとったわけではなく休学したい気持ちと本当にしてもいいの…?という気持ちでせめぎ合ってた期間も長かったです。

休学してから得られたものは沢山ありますが、休学するかどうかを考えるにあたって自分のこれまでのあり方を見直せたのはそれだけでも良い経験だったと思います。(しんどさもあったけれど、休学したいかもと思う気持ちを無視しなくてよかった!)

ここまで読んで下さってありがとうございました!

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